第3話 塩饅頭にご注意ください
桜琴の家は、曾祖父母の時代から続く、老舗和菓子屋『
創業百二十年。
敷地は百坪で、自宅兼、店舗だ。
販売場所以外にも、店内にはちょっとしたテーブル席が二つある。
休憩したり、買った和菓子を食べたり、飲み物も種類は少ないが、注文はできる。
テーブル席の横は、全面ガラス張りで、ちょっとした庭園が楽しめる。
陽射しが入ってくるため、和風のガーデンパラソルを二つのテーブルに設置している。
知り合いの職人さんに頼んで、百二十周年記念に特別に作ってもらった、一級品のパラソルである。色合いが単調ではなく、生地も良いものだ。
紅と紫の色の二つのパラソルは大きくて、ハイカラで店内を引き立てている。
桜琴は閉店後、よくこの席に座る。月が綺麗に見えるから——
——お月様が、人とのご縁を運んできてくれるのよ、桜琴。だから満月の夜は、空に祈るの、会いたい人に会えるわ、きっと——
祖母が桜琴を膝に乗せ、月を見てよく言っていたな、と桜琴は思う。祖母の温もりが心地よくて、縁側で二人で饅頭を食べながら、月を眺める—
大好きな時間だった。
昨年、祖父と祖母が同じ時期に亡くなってしまった。祖父が病気で亡くなり、その三日後に祖母が亡くなるんて……。
祖父が祖母を呼んだのか、それとも祖母が祖父に会いたくて、逝ってしまったのか。
……二人はどれだけ、仲が良かったんだろう、ちょっと羨ましい、と桜琴は思う。
——現在、桜琴は母の
ショートヘアにゆるいパーマをあて、髪はグレーパープルに染めている。気品があり、目は大きくないが、綺麗な卵型の顔立ちの美人だ。
その美人が今、厳しいお顔だ。
窓から春陽が入って来た。月縁堂の厨房には今、『春陽麗和』にはほど遠い、重苦しい空気が漂っている。
あまりの重苦しさから、桜琴の脳内が祖母との幸せな時間旅行に行っていた。
黒砂糖が全てなくなり、そして島塩は一切使っていないのに、饅頭がなぜか、激塩味になって、それを母が愛してやまない父に、桜琴が食べさせたのだから……。全てが無茶苦茶である。
何がどうなってああなったのか、分からないが、あのイカれ塩饅頭を作り、食べさせたのは桜琴だ。桜琴も悪かったと思っている。
「おとうさん、ごめんなさい。あ、あんな不味いもの食べさせて、本当にごめんなさい」
桜琴は頭を下げ、謝る。
「はは、もういいよ、桜琴。いつもの事じゃないか。冒険の味!」
父が満面の笑みを浮かべる。
(父、フォローになってないよ……、それより母は!?)
謝ったから、母の表情も少しは穏やかになるかと思いきや……、
(わわ、怒ってるー。先ほどから無言、ダンマリだよ……)
母は眉間に皺を寄せ、今度は厨房全体を見ている。鬼の形相だ。
(ヒー! 厨房が散らかっている事にお怒りなのね。ごめんなさい〜)
『作業終了したら、明日に備えて、きちんと清掃、消毒、衛生管理に努める事』
耳にタコができるほど聞いていた。
「あ、洗い物、消毒、急いでしま〜す!」
桜琴は急いで洗い物に取り掛かろうとした、その時、
「
母が父、幸三に注意した。注意の仕方が鬼だ。父が少しシュンとした。
そして再び、母が桜琴を見ている。美人は怒ると恐いな、桜琴は俯いた。
「桜琴、誰か来たでしょう?」
母が怪訝な面持ちで訊いてきた。
「そうね、人というより、大きな獣かしらね……? まだ何か匂うわね……」
じっと桜琴を見てくる。
「な、何を言ってるのか全然、分かんないんだけど」
桜琴の心臓はバクバクした。
(言ったって信じてもらえないだろうし、なんでわかったんだろう……。え? なんか匂いしてるの? 全然分からないよ、あたしには)
「何言ってるの。誰も来てないって! あっ、猫か狸でも入ったんじゃない?」
桜琴はそう答えるので精一杯だった。昔から母は妙に鋭い。見透かされているような、超能力でもあるのかと思う時がある。
「そういえば、なんか猫の良い匂いがするような、ねぇぎんちゃん? 大きな猫が来たんじゃない? なんか匂うぞ……」
父がそう言い、鼻をクンクンさせていた。
「あ! 嗚呼!! お隣のミケ猫が冷蔵庫の所にいるぞ! わ、わわ、
父が猫を捕まえて、窓から外へ出していた。途中で『あっ、踏んじゃった』と父の声が聞こえた気がしたが、聞こえないふりをした。
父が一人、てんやわんやしてると、吟琴が桜琴に近づいて呟いた。
「あんたはいつからか、本当の事、言わなくなったね。あ〜あ、遅い反抗期。お母さんは悲しいよ」
そう言って、引き戸から家の中に入って行った。
——母の悲しい顔。胸が痛かった。でも言えないよ。3年前からずっと、身の回りで変なことが起きてるのに。みんなを巻き込みたくない。本当の事言っていいの? あの黒緑の奴らの事も、あの狼の事も? 黒緑にあたしも何で襲われるのか分からないのに?
——言えないよ、巻き込みたくない。あたしの周りは普通じゃない。
***
高い塀に囲まれた和風邸宅。豪邸と呼ぶに相応しい建物。三千坪はありそうな、その敷地内の一角に、『
庭には柊や、南天、つつじ、ネムノキ、椿などが植えられていて、今は
その神社の木の影に二人の男性の姿があった。
「ニ度とこんな泥棒みたいな真似はするな、
端正な顔立ちの白銀髪のボブヘアの男性が、黒髪マッシュヘアの男性に、強い口調で怒っている。
二人の男性の近くに、御影石で作ったベンチがあり、そのベンチの上に、白い饅頭が十三個乗ったお皿が置いてある。
「ごめんって
目鼻立ちがハッキリした黒髪の男性は、目をうるうるさせ懇願する。よく見ると男らしい顔立ちの美青年だ。鼻筋が綺麗である。
銀髪の男性がため息をつきながら言う。
「全く妖魔との戦いの最中に食べ物に釣られるとは……。まっ、飲まず、食わずで朝まで戦いだったもんな。今回だけは許してやる。
「あ、ありがとう〜、一生! ねえねえ、じゃあさ、せっかくだから、一生もお饅頭一緒に食べようよ〜! とりあえず座ろうよ〜」
二人は目の前のベンチに座った。
「それより拓、お前……、頭のたんこぶ、大丈夫か……?」
「あぁ、うん、すっごい腫れだよ。ジンジンする。あの場ではカッコつけて、何ともないふりしたけどさ〜、また叩かれると思って、俺、慌ててジャンプして台に乗ったって。あの子のあの時の顔、ぷくく……」
「……大丈夫そうだな……。あの女に鍋で叩かれた音で、拓がどこへ行ったか分かったぞ」
「あ、そうなんだ」
拓実が声のトーンを変えずに言う。
「何で饅頭を取って、すぐ逃げなかった?」
一生が訝しげな顔で尋ねる。
「……、分かんない」
そう言いながら、拓実がカピカピの饅頭をぱくっと食べた。
「え? えええ……何これ……。嘘だろ……こんなの……、俺さ初めて食べたよ……。う、うう、うんま〜!! どうやったら、こんなうめーもん作れんだよ!? なぁ一生も食えよ」
「ま、本来ならこういうことはしない主義だが、あとで支払いもするし、せっかくだからいただこう」
色々言い訳をしながら、一生も一口食べた。
「ぶっ!!! ま、まずっ!! まずい、というより塩そのものだ。なんだこれは!!」
一生は慌てて吐き出す。
「お、おい、拓! お前、こんな饅頭を食べたら死ぬぞ!!!!」
「え? なにがぁ?」
口いっぱい饅頭を頬張って拓が答える。
「た、拓、お前、全部食べたのか……?」
「うん、なんか元気出てきたよ〜」
一生は頭がくらくらした。拓実がひどい味覚音痴なのを忘れていた。
(まぁ、あの饅頭女には立ち去る時に、我々のことを忘れる術をかけた、覚えていないだろうが、代金は支払いに行かねばな)
そんな事を考えながら、一生は水を飲んで、カラカラになった喉を潤した。
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