第2話 夢のような夢

 太陽がゆっくり昇り始め、雀があちこちで歌い、朝を告げ始めた。

 風が心地よい。今日は過ごしやすい一日になりそうだ。


 そんな中、一人の女の子が、厨房の作業台に持たれて寝ていた。

 すやすや眠るこの女の子の名前は、甘山桜琴。パティシエである。

 腰まである茶色の長い髪を一つに束ね、地味なゴムで止めている。二十一歳に見てもらえない、童顔である。

 休みの日は基本インドアな為、色は白かった。長い前髪で、顔を隠している。美意識が低いわけではない。シミだってできてほしくないし、垂れ目だって、気にしている。

 人からの印象は良くないだろう。だが今はこれでいい。

 そんな彼女は今、幸せな夢を見ている—


 ***ここは不思議なたまごから、精霊、妖精、あるいは、もふもふな動物が生まれる世界。小説『たまごだらけの異世界物語』の中。

 あたしは今、夢をみてる。アレン王太子と馬に乗っている。馬がゆっくり歩いて進んでいく。あたしは横乗りして、アレン王太子の腰に両腕を回し、彼のその背中の温かさを感じながら、微笑んでいる。

 夢なのに、アレン王太子、背中がいい匂いがする。幸せすぎる。

 ブルーとホワイトのフリルと、リボンがたくさんついたドレスを着ている。ドレスのストライプの柄が、フリルと合っている。インナーパニエはシルクなのか、着心地は抜群だった。髪飾りのストライプ柄のリボンも、お揃いだ。髪も綺麗に結い上げている。

(可愛いドレス。こんなの着た事ない……)

 あたしはドレスに見惚れた。素敵なリボンが付いた、白の革のショートブーツ。

(まるでお姫様じゃない……)

 しばらくすると、湖面がキラキラする湖に着いた。馬から降りて、二人で湖の方へ歩いていく。

「足元、気をつけて」

 アレン王太子が手を差し出してくれる。あたしの顔が赤くなるのがわかる。心拍数が上がる。

(持つかな、あたしの心臓……)

 あたしはそっと、アレン王太子の手を握る。あたしを見つめ、にっこりと微笑むアレン王太子。

「綺麗だね。ここは水真珠湖と言って、ここで真珠を見つけた恋人たちは、神の祝福が受けられるという、言い伝えがある。何があろうと必ず、障害を乗り越えて、結ばれるというね」

 湖を見て微笑みながら、あたしに教えてくれた。

(そそんな場所にあたしと二人で……?)

 宝石みたいな澄んだ碧い瞳、長いまつ毛。吹き出物一つない白い肌。風が吹くたびに、優しくなびくサラサラの銀髪。綺麗に切り揃えられた髪、前下がりのボブ。

(こんな髪型が似合う人って、ほんとにいるんだ。顔、綺麗で可愛い!!)

 あたしは思わず、目を逸らす。耐性がない。異性とお付き合いなんて、したことない。

「贈ったドレス着てくれて、嬉しいよ。その色、とても似合っているね。これからも僕が選んだドレス、着てくれる? どうしたの? …………緊張してるの?」

 アレン王太子があたしの顔を覗きこんできた。近い! 近すぎる!!

 もう耐性限界値突破!!

 あたしはアレン王太子を両手で突き飛ばした。

「お、おわっ!?」

 アレン王太子がびっくりした声を出して、草の上に尻持ちをついた。

「! だって初めてのデートじゃないですか!」

 照れて、あたしはそう言い返したのだけど、

「? は、初めて? ふふふ。ははは。何の冗談か知らないけど、先日、婚約したじゃあないか。君は本当に面白い。くくく」

 アレン王太子がおかしそうに笑って起き上がり、お尻に付いた草を手で払っている。

(!! こ、婚約……? これは夢だってわかってる……。なんて夢……。アレン王太子もあたしを好きって事? 本当に?)

 普通なら嬉しいはず。でも、あたしは顔が青くなる。小説でも好きなキャラの不幸は見たくない。

「突き飛ばしてご、ごめんなさい」

 俯きながら、あたしは謝る。そして思う。

(あたしだけが、好きでいい。そうでなければならない……。でなければ……)

 この夢が小説と分かっていても、それはバッドエンドだ。

 絶対、見たくないラストだ。

「……不安なのかな? マリッジブルーかな……? ならもう一度言うよ。いや何度でも言うよ」

 アレン王太子は優しい口調でそう言い、片膝突いて、あたしの目の前に座って、あたしを見る、真剣な眼差しだ。胸が痛い。

「言わなくていい……」

 あたしは小さい声でそう言うのが、精一杯だった。恐怖が心を支配していく……。

「ちょうど、この水真珠湖で誓いたかったし、僕はあなたを、……愛しています。僕と結婚してください」

 アレン王太子は恥ずかしそうに、上目づかいでこちらを見た。

 空がピカっと怪しく光る。

「もう来た……」

 あたしは呟く。

「え? 何が? ……あれ、なんか空が暗いな。天気が……、急におかしくなったね。すごい雨降りそう。残念だけど帰ろうか? 」

 暗くなりゆく、不穏な空を見ていたアレン王太子の背後に、無数の黒緑の塊が見えた。

 すごい速さで、彼を飲み込もうとしている。彼は気づいていない。

「やめてぇええ!!!!! 」

 あたしは思い切り叫んだ———

  



 はぁはぁと、息が切れる。桜琴は自分の叫び声で起きた。喉が痛い。

(すごい夢……。まさか、好きな小説の夢を見るなんて……どんだけ……)

 汗がすごい。桜琴は作業台に持たれて、タイルに座って寝ていたらしい。身体のあちらこちらが痛い。しばらくぼーっとしていた。

 作業台の下の冷蔵庫の音を聞いて、ホッとする。

(ここが現実だよね……。叫んだりして、近所迷惑もいいとこだ。はぁ、夢で良かった……。でもあいつら……、夢でも現れるんだ……)

 夢の中で、アレン王太子を襲った黒緑の物体たち……。

(しばらく見てなかったのに……夢でも現れるとか、酷くない?)

  


 「おお、こんな所で何をしてる? 大きな声まで出して。お父さんもお母さんも、びっくりして飛び起きたよ〜」

 家の中へと続く引き戸を開けて、厨房に父がやってきた。

 長身で昔、モデルをやっていた父は、自慢の父親である。最近、短髪の黒髪にも白髪が少し増えた気がする。


「どこか具合が悪いのか?」

 父が心配そうに尋ねてきた。

(娘が放心状態で床に座っていれば、そうなるよね……)

 桜琴はフラフラと起き上がり、何事もないように振る舞う。

 本当の事は言わない。

「おはよう、お父さん! あはは。昨日、新作饅頭を作ってたら、床で寝ちゃってさぁ、お、お尻が痛い。あとは何ともない! ちょっと汗臭いぐらい……」

「饅頭? 作業台の上に置いてある、あれかい? なんでこんな置き方……。裏口の窓も全開で……。饅頭、乾燥して……、カピカピじゃないか」

 そう言って父が饅頭を手に取る。ジロジロ見ている。

「今度のはね、自信作なの! 塩分と、糖分のバランスが絶妙になる配合なの。塩は特別! 『誰も知らない島の未知の味』が売り文句の、極少量しか毎年販売されない塩! と、とにかく食べてくれない?」

 怪しんでる父に、昨日の事がバレないように、早口で桜琴は話した。

「誰も知らない島塩? へぇ、楽しみだな。じゃあ、いただきます。いい香りだ」

 父がパクリと一口饅頭を食べた。途端に、父の端正な顔が歪んでいく。

「み、水、水をくれ!ぎんちゃん〜」

 父が母に助けを求める。

「あらら、大変」

 すぐに母がコップに水を入れて持ってきた。それを飲んだ父が、

「ありがとう、ぎんちゃん。助かった。桜琴、これ味見したか?」

 と聞いてきた。

「え、まだだけど。今のは喉にひっかけただけ、じゃなくて?」

 桜琴は饅頭の良い匂いを嗅ぎ、パクッと食べた。

(な、ななな辛い! なんで!)

「ま、まずっ!!まっずっ! か、辛い、何これ!」

 思わず口から吐き出す。

 桜琴は厨房の冷蔵庫から、水の入ったペットボトルを取り出し、そのままゴクゴクのむ。


(な、何で? 確かに黒砂糖を入れたはず……)

「確かに桜琴しか作れない、『誰も知らない未知饅頭』だな……。はは。」

 父は笑いながら、優しく同情するような目で、見てきた。和菓子の失敗はなぜか、しょっちゅうだった。その度、懲りずに食べてくれる父。

 失敗しても、何故かいつも怒らない父。

 同情されるのは嫌だけど、それだけは本当に嫌だけど、桜琴はこの父のもとに生まれて来て良かった、と思った。



「しかし、たった二つだけ作ったのか? 材料の調整とか、逆に難しくないか?」

 父が疑問を投げかけてきた。

 その言葉ではっと気づき、側に置いてあった、黒砂糖の袋の中身を確認した。

 空っぽだった……。

 開けた日付書いてる、昨日開けたものだ。おかしい……。

 (確かに使っている……。なぜ? 甘い匂いとは裏腹に、あんな饅頭が出来たのか?)

 昨夜、使用したはずの『未知の島塩』は封さえ空いていなくて、作業台の上に一袋そのままあった。購入した三袋をそのまま棚にしまっていた。

 急いで棚を調べる。残りの二袋も手付かずだった……。

 と言う事は、昨夜、確かに一袋持って来ている。なのに使っていない?

 訳が分からない……、怖い。

 桜琴の背筋が、ゾクッとした。


 そして、お腹が空いていたと思われる、黒狼もあの饅頭を食べたのか?

 あんなの食べていたとしたら……、可哀想こわい

 桜琴の背筋が、さらにゾクゾクした。

 






 


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