いとお菓子〜異能者から全力で愛されてます!

キャラメルストーン

第1話 狙われた真夜中の田舎饅頭

 時刻は午前零時をとっくに過ぎている。

 神主の白衣装を着た、端正な顔立ちの白銀の髪色の男性が佇んでいる。その隣には、この世のものではない、黒い大きな狼がいる。

 モヤがかかった黒緑のカカシのような物怪が一体、その男性と狼の周りをぐるぐると、飛び回っている。


 結界師たちが『妖魔』と呼ぶ化け物だ。人間に取り憑いて事件や事故を起こしたり、妖魔自身が様々な破壊行動を繰り返し、人間の生活の邪魔をする。妖魔は人間の負の感情から生まれたものだから、悲しいことに負の連鎖しか生まない。これらを天へと送る仕事をするものたちがいた。この白銀髪の男性と、黒い狼もその仕事をしている。結界師だ。

 人間社会で全うな仕事をしながら、時には闇に紛れて物怪と戦う。政府公認の裏稼業だ。



 白銀髪の男性が両手を合わせ、結界と呼ばれる異次元空間を作る。この結界から妖魔は逃げることは出来ない。

 黒い狼が軽やかにジャンプし、クローナイフのような鋭い爪で、まるで紙を切るように容易く、妖魔を一瞬で切り裂いた。この妖魔の中には何もなかった。血も体液も何も出てこない。

 『ぐぎゃああああああ』

 断末魔の叫びと共に、妖魔はプスプスと黒い塵になって消えた。


「今夜は結構多いな、朝までコースか……」

 白銀髪の男性がぼやく。その表情からは疲労の色が見える。

 春の夜風が前を通り過ぎた。するとさっきまで大人しかった黒い狼が何かを感じたのか、突然すごい勢いで結界を飛び出し、走り出した——

「……お、おい、どうした?」

 白銀髪の男性が、転がるようにして黒い狼を追いかけたが、すでに姿は見えなくなっていた——






 ***

 厨房で一人黙々と生地をこねている。

 時刻はすでに、午前零時をとうに過ぎ、一時になろうとしている。明日の仕事の事を考えたら寝た方がいい。

 そんな事は誰に言われなくてもわかっている。


 明日の朝も早いし、お得意先への納品がある。よもぎ饅頭と、桜饅頭作りも五十個ずつ作ると、父が言っていた。

 考えているより、ずっと忙しくなるだろうな、と思った。


 それでも今日は寝れそうにない。いつも通り何事もなく、無事に一日終わるはずだったのに。

 甘山桜琴あまやまさくらこは生地をこねる手を止め、ふぅと、ため息をついた。今にも泣き出しそうな浮かない表情で目を瞑る。

 瞼の裏に夕方見た光景が鮮明に甦ってくる——



 姉の楓と佐一さいちが近所のブランコ公園で、何やら話していた。親から夕飯の買い出しを頼まれていた桜琴は、スーパーからの帰り道でたまたま見てしまったのだ。本当に間が悪い。


 二人が古ぼけたベンチに座り、半分散ってしまった桜を名残り惜しそうに見ながら、肩がぶつかりそうな近距離で、互いの顔を見つめ合い、親しげに会話をしていたのだ。誰が見ても二人は恋人同士にしか見えない。

 優しい目で佐一を見つめる姉と、恥ずかしそうに姉を見ながら話す佐一。

 

 立ち聞きするつもりなんてなかった。心拍数が上がり、足が震え、動けなかった。


 ブランコ公園は、夕日に照らされて、遊具がその光を反射し、子供の遊び時間の終わりを告げる。誰もいなくなって、今までいた子供の気配だけが残り、しんと静かだった。

 夕日だけが、月と交代する準備に忙しそうだ。

 だから聞こえてしまった。


「ずっとそばにいて欲しい、と俺は思ってるんだが」

 佐一が楓から目を逸らし、首の付け根まで赤くした顔で恥ずかしそうに呟いた。聞きたくない言葉を意地悪な風が桜琴の耳に運んできた。

 見たくなかった。

 聞きたくなかった。

 近道なんてしなきゃよかった。

 桜琴は震える足で、二人に気づかれないように、俯きながら踵を返した。頬が燃えるように熱くなり、目から信じられないぐらい涙が溢れて、全ての景色が歪んだ——



 瞑っていた目を開けて、息を吸い込む。誰もいない真夜中の厨房である。

(今は饅頭作りに集中しなきゃ……)

 なんとか気持ちを奮い立たせる。

 桜琴は生地を手粉の上に出して、硬さを整え、手際よく、あらかじめ作っておいた粒餡を包んでいく。

 全て包んだら、饅頭を蒸し器に入れていく。



 好きな人の告白。佐一の顔。

 春の夕日に照らされて、より赤く見えた佐一の顔。楓のみを映す真っ直ぐな瞳。

 頭をよぎるのはずっと、そればかり。ずっと好きだった。

(何よ! 佐一のあのデレデレした情けない顔! 普段は愛想ないくせに!)


 だけど心の何処かでは分かっていた。

 佐一が誰を好きなのか、自分と姉のかえでとでは、彼の態度が天地ぐらい違う事ぐらい桜琴はとうに分かっていた。認めたくなかっただけなんだと……。

 桜琴にはいつからか、なぜか佐一は何処か余所余所しく、片言で続かない会話、笑顔もぎこちなくて、氷みたいに冷たい。ご近所で昔はあんなに仲良くてお腹が痛くなるぐらい笑ったりしたのに? 

 桜琴に対するそれとは対照的に、楓には気を許しているのが火を見るより明らかだった。なんといっても佐一の表情が羽毛のように柔らかい。

 二人は幼馴染みだから、仲がいいんだと、桜琴は自分に言い聞かせて、この件に関しては随分前から完全にご都合主義者になっていた。


 なんで? あたしが何かした? 桜琴は自分を臆病で情けない人間だと苦笑いを浮かべ、自嘲した。怖くて佐一に訊く勇気もないくせに、何が失恋だ。


 忘れようとしても、頭の中に居座っていてなかなか出て行ってくれない厄介な感情、重たい石を身体に乗せられ、心をナイフで抉られて、痛い。まだ出血が止まっていない……。ジワジワと流れ続けている。これが瘡蓋になり、傷跡になるのはいつだろうか? 

 また涙が滲む。心から片付けても片付けてもなくならない、洗面台の埃のようだ。視界がぼやける。

(せめて片思いのままいたかった……。これから二人を見るのが辛いだろうな……)




 タイマーが鳴った。

 饅頭が出来上がったのを知らせる音で、現実に戻る音。涙を止めてくれる音だった。


 蒸し器の蓋を開ける。蒸気が厨房の一角に広がる。桜琴はやけどしないように、蒸し上がった饅頭をざるに乗せて、うちわで仰ぐ。

 白い田舎饅頭が、十五個ほど出来た。五センチほどの可愛らしい饅頭だ。

 ふんわりと甘く、優しい餡子の匂いが、傷ついた心を少しだけ癒してくれる。そんな気がした。

 今日は疲れた。

 時計を見ると、もう一時四十分になろうとしていた。饅頭を作ると、少し落ち着いた。

 今回のはずっと考えていた自信作だったから、食べるのが楽しみである。

(こんな時間に食べると、太るかな? 太るかな)

 悩んでみたものの、饅頭の香ばしい匂い、純白のツヤツヤの皮が誘惑してくる。

(今日はいいや、気にしない。これ食べて今日はもう寝よう)

 強くあろうとしても、また涙が滲んでくる。胸がズキズキと痛む。桜琴は半ば自棄で、饅頭に手を伸ばそうとした時、背筋がぞくりとした。



(な、何? なに? 何なの?)

 鼓動が早くなる。何かが見ている。感じる。人の視線とは明らかに違う、焼け付くような、絡みつくような、何とも言えない恐ろしい視線を感じる。

 絶対に見るなと、本能が言ってくる。全身に鳥肌が立ち、動く事はおろか、瞬きすらできない。


 厨房の裏口の近くの窓だ。少しだけ、開けていた。十センチ程度しかない、その隙間から何かが、こちらを見ているのだ。

 逸らす気配もなく、ずっとこちらを見ている。

 両親は二階で寝ている。この時間だ、きっと爆睡している、助けてはもらえない。そしてここは住宅街。真夜中、大きな声は出せない。いや、どのみち今は、恐怖で声なんか出せやしないだろう。

 逆に今、声や音を出す方が危険かもしれない。

 自分の心臓の音だけが聞こえる。うるさいぐらい。



 ただ時間が過ぎていく……。

(ど、どうしよう……。でもあの窓、鉄格子がついてるから、大丈夫なはず。ただの動物、狸かなんかかもしれないし……)

 桜琴は、その場に立っているのが精一杯だった。手も足も震えているが、大きな何かだったら、入って来れないはず、と思った。なんとかやり過ごせば……。

 その時、きぃぃぃいい……。と古い金属独特の擦れる音がした。窓が開けられていくのが分かった。ゆっくり、ゆっくりと……。

(え……、入って来るの? 嘘でしょ……)

 こちらの反応を伺っているようなやり取りに、桜琴の心臓が速くなり過ぎて、鼓膜までドクドクと、脈打っているのが分かる。恐怖で口の中が渇き、悲鳴すら出せそうにない。

(こうなったら、片手鍋で思い切り叩くしかない!)

 震える手で、側にあった片手鍋を両手でなんとか掴む。


 ガタン!

 ついに全部、窓が開けられてしまったようだ。何か分からないものが、静かに入って来た。

 近づいてくる……。

(いよいよだわ、叩くしかない!)

 桜琴の思考は、完全に叩くの一択しかなくなり、相手が来るのを待ち侘びた。


(く、来る……!! 今だわ!!)

 目の前に現れた黒い物体に、桜琴は今出せる全身の力を込めて、片手鍋を思い切り振り下ろす。

 ゴーーン……。

 鈍い金属音が響き渡る。当たった……。骨に当たるような確かな手応えはあった。運動神経と、力には自信がある。


 足音もなく、桜琴の視界に入ったそれは、三メートルはありそうな、全身黒黒とした大きな大きな黒狼だった……。床の上にいたが、ひょいと、黒狼は作業台に移動した。

 さっき確かに叩いた、いや殴ったはずなのに、何事もなかったかのように、黒狼は身軽にジャンプして、いま、桜琴のすぐ目の前の作業台の上にいる。

 その黒狼の紅樺色べにかばいろの瞳がジッと、桜琴を見ている。

 桜琴の全身が嫌な感じで、じわりと汗ばんだ……。


(え……、あたしが今、叩いた、いや思い切り殴ったのはこの狼?)

 黒狼から目が逸らせなかった。もはや、普通の思考ではいられなかった。

 桜琴は終わったと思った。

 この黒狼が、鉄格子がある窓からどうやって入って来たのか、分からない。そもそも狼なのかも分からない。

(……日本狼は絶滅したはずだし、狼って、こんなに大きかったのね…… )

 ただ自分は今日、ここで死ぬ、そう思った。逃げられない、この黒狼に食べられるのだと。

 黒狼も品定めをしているのか、桜琴をじっと見ている。

 それにしても、なんて美しい生き物だろうと思った。黒曜石のような、艶のある美しい毛並み、たっぷりある長い毛量、引き締まった体躯。耳の中、足の爪まで黒い、ここまで全身黒いと、神々しい。


 体は黒一色なのに、瞳は紅樺色の茶色がかった深い赤。澄んでいて、まるで宝石のようだ。毛色と瞳の色の絶妙な組み合わせ。あまりの美しさに惹き込まれる。

 頭がぼんやりしてくる。恐怖心は薄れ、ただ黒狼に見惚れていた。

(爪は黒真珠のよう。綺麗……。こんな狼に殺されるならいい……)

 黒狼は何をするわけでもなく、まだ桜琴をじっと見ていた。



 その時だった。

「こら! 何をしている!」

 若い男性の声がした。かなりのハスキーボイスだった。桜琴ははっと我に返り、声がした窓の方を見る。

 白銀髪のボブカットで、神主の白衣装を着た男性が外に立っていた。暗くても、整った美しい顔立ちである事は分かった。夜風に、サラサラの白銀髪がなびいている。絹のような髪だった。

 その声にびっくりした黒狼は、かなり慌てている様子で、作業台の上の饅頭が入ったざるを咥えて、走り出した。桜琴は黒狼がお腹が空いているのか、混乱しているのだと思わざるを得なかった。


 ざるから饅頭が二つ、作業台の上にボタっと落ちた。

 黒狼はそのまま窓の方へ、一目散に駆けていく。

(鉄格子! ぶ、ぶつかる!)

 桜琴は思わず顔を覆ったが、窓の前で黒狼の姿が消えて、白銀髪の男性の姿しか見えなくなった。

(え……?  消えた? ざるごと……? )

 桜琴は目を擦り、もう一度見たが、黒狼の姿はなかった。


 窓の向こうで、白銀髪の男性がこちらを見ていた。

「いやぁ、うちのがすまない」

 白銀髪の男性がそう言い、頭を下げた。まだ若そうだ、二十代前半に見える。

「必ず詫びはする。夜分にすまない。ではまた」

 にこりと微笑む。信じられないほどのイケメンだ。桜琴は動けなくなった。

 美しい黄金比の笑顔にえくぼができて、あどけなさまで加わり、言葉なんて出ないぐらい、見惚れた。

 その男性の左耳の、碧い水晶型のピアスがきらりと揺れた。とても似合っていた。

(モデルさん? いや、俳優さん? いや、待って、思考を戻そう。ペット? あれが……? あの人イケメンが飼い主? 海外とかから来た新種狼のペットなの……?)

 呆気にとられていると、白銀髪の男性も闇に消えていた。



(……んなわけないでしょう!!)

 暗闇に一人ツッコむ。


(はぁ、綺麗な人だったな。『たまごだらけの異世界物語』のアレン王太子に、顔とイメージは、そっくりだわ。小説以外であんな人、本当にいるのねぇ……。)

 ファンタジー小説に出てくる、アレン王太子の笑顔が浮かんだ。

 頭の中がふわふわしていた。何だったのか。

(夢だった? あれは神様とか、そういう類いだと……)

 桜琴は急激な睡魔に襲われ、目の前が暗くなった——


 

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