薄暗い水音のする部屋の




楠瀬はゆっくりと目を開けた。

薄いカーテンから日が射している。置いてあった布団は普通の寝心地で、十分に眠れたと思いながら、欠伸をして起き上がった。


近くのコンビニで買ってきたペットを冷蔵庫から出して、半分ぐらいいっき飲みする。

求人誌も貰ってきたが、まだ真剣に探す気にもなれずに歯を磨くために洗面所に入った。


ユニットバスのそれはやけに湿気が多いようで、曇った鏡を手で拭うと、自分の顔を見る。久しぶりに見た顔はそんなに以前と変わっている訳でもなく、やつれてもいない。

俺って丈夫なんだな。

楠瀬はそんな感想で、歯を磨きながら周りを見回す。


クリーム色の壁は水滴がたくさんついていて、少し気分が悪い。

外側についているスイッチをいじって乾燥機を作動させるが、小さいもので頼りになりそうもない。

かびたら嫌だなあ。


暫く開けておこうかと思いながら、口をゆすぐと天井から水滴が落ちて来て、もう一度天井を見る。


後でバスタオル買ってきて、全部拭こう。

楠瀬が決意してから外に出て、紫紺から貰ったタブレットを見ていると、部屋全体が湿気てきた。

顔を上げて、部屋の窓を開ける。

外の風は幾らか乾いていて、楠瀬はほっとした。


乾燥器買ってこようかな?

せっかく住める場所なのだから、出来れば快適に過ごしたい。


エアコンをドライにして使ってもいいけど。

電気代が不安。

乾燥器とどちらが電気代掛かるだろう?


今はエアコンしかないから、そう思ってリモコンで付ける。

ドライにして、窓を閉めて。

タブレットを見て、広告を見ながら、ふと顔を上げた。


部屋から廊下側を見る。

キッチンがある場所の向かい側がバスルームで。

そこから水音がする。


あれ?さっき歯を磨いてから水を止めてない?

洗面台を見る。水漏れは無い。下を覗いても壊れた部分も無い。

ユニットバスの天井を見る。

さっきよりも水滴が多い気がする。


ぽたぽたと多くの水滴が落ちてくる。

部屋の中で雨に降られているような。


【今日は酷い天気ですね】


「え?」

楠瀬は後ろを振り返る。

自分のうちのユニットバスの、入り口に。

真っ黒な人が立っていた。


ずぶ濡れの姿の。

笑い顔の、血まみれの、女性が。

楠瀬に触ろうと手を伸ばしながら、ユニットバスの入り口に。


天井からは、雨のように水滴が落ちてくる。

止むことが無い、雨のように。


べしゃりと楠瀬の腕を掴んだ女性が。

裂けているような口で、ゆっくり笑った。


【雨がやみませんね】


「ふ、うわ」

叫ぶことも出来ない。


掴まれている腕は、冷たくて温度が無い。

楠瀬の温度まで、奪われていくように。


【傘は無いですか?】


「え、かさ」

湿気が満ちているのに、喉が渇いている。


家の玄関を見る。

コンビニの傘が立てかけてある。


「そこ、に」


女性が振り向いて、玄関を見る。

その隙に、楠瀬はユニットバスから出た。


まだ玄関に女性がいる。

傘を渡して良いのか。

本当に渡して良いのか。


楠瀬は、ハアハアと荒い息の中で。

女性を見ている。


濡れた女性は、ゆっくりと振り返って。

部屋に立っている楠瀬を見る。


【いただいても?】


血と水が女性の身体から滴って落ちている。


「う、うん」

楠瀬の答えに、女性が笑う。


【ありがとう】


傘を手に取って、女性は外に出た。

玄関が開いて、バタンと閉じる。




楠瀬は部屋でペタンと座った。

開いたと思った玄関は、開いていない。

チェーンが掛かったままだ。


女性がいた場所は、すべて濡れて。

傘はなくなっていた。



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おそらくは非凡な僕らの日常 棒王 円 @nisemadoka

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