動機

 光川に教えてもらった記事は、すぐに見つかった。

 『陸上名門•〇〇高校でいじめか 期待のエース被害者の可能性』

 見たこともないネットニュースのサイトで、他の記事もPV稼ぎ目的の胡散臭いタイトルのものばかりだったが、このニュースだけ、PV数が他の記事と比べると異常なほど多い。

 この記事の内容(いじめの内容や、高校名など)は大方当たっていたが、ただ一つ、間違っているところがあった。

 そう、被害者だ。

 この記事を書いた人が取材を怠ったのか、スクープを早く我が物にしたいがために短絡的になったかは分からないが、間違っているという事実は変えようがなかった。

 被害者の名前こそ出していないが、少しでも高校陸上を知っている人ならピンとくるように書かれていた。

 彼は中学時代からのエースで、とか、彼の甘いマスクは、とか。

 違う、全部違う。そう呟きながら、ニュースの全文を舐めるように見た。

 他のニュースサイトでも、同じように調べてみたが、どれも被害者は分からないように書かれていた。

 他の関連ニュースを調べながら、そうか、と思う。

 このニュースが、全ての火種なのだ。

 まず、このニュースが発端で、ここの高校の陸上部内にいじめがあると判明した。ここまではいい。

 しかし、このニュースの影響で被害者は世間に誤認されたままとなり、全く関係ない坂崎先輩が世間にとって被害者になり、本当の被害者である自分が全くの無関係者となってしまったのだ。

 無論、その後に、内容に誤りがあった旨の投稿がされていたが、誤解しきった社会に行き届かずそのままこの問題はなあなあで沈静化してしまったようだ。

 なんだか急に馬鹿馬鹿しく感じられ、スマホの電源を落とし、ベッドにダイブする。

 これが動機か。

 緩やかにまどろみながら、そう思った。


 次の日、部活が始まる前に、顧問の先生にスマホの画面を突きつけた。

 「話があります」

 すると、顧問の先生は、

 「いつかバレると思ってたんだけどなあ」

 と呟いてから、他の部員に伝言を残すと、

 「部室に来い」

 とだけ言ってきた。


 部室に一人で待たされるのは、二回目だった。

 変わったところと言えば、『大会まであと35日!』の張り紙が『あと6日!』に変わってるくらいだったが、それがなぜかとても馬鹿馬鹿しい物のように感じられた。

 顧問の先生が入ってくる。

 「話って、なんだ」

 椅子に座りながら、そう聞いてきた。

 「坂崎先輩の怪我のことです」

 「そうか」

 のらりくらりと躱されるかと思いきや、スムーズに話が進みそうで、少し拍子抜けする。

 「単刀直入に言います」

 先生の目を見る。

 目が合った。

 その瞬間、先生と同じ感情を共有しているのだと気づいた。

 それは、悲哀だった。

 「坂崎先輩の怪我は、自作自演ですね?」

 「ああ、そうだ」

 最悪の可能性。それは、ただ一つの真実だった。


 概要はこうだ。

 ネットの某記事によって、いじめの存在を認識した先輩は、そのいじめの被害者が春人であることを知る。

 しかし、自分が被害者かのように書かれたネットニュースは瞬く間に拡散され、誤解は解かれないまま、やがて、春人は幽霊部員になってしまう。

 春人が幽霊部員になってしまったことに責任を感じた先輩は、なんとかして春人を復帰させようと考えた結果、今回の事件を起こすに至ったというわけだ。

 「先輩が不自然にトップランナーだった理由は、僕がスタートダッシュが得意だったからですよね?」

 「そうだ。あいつはお前が少しでも復帰しやすいように、お前の得意な走順の席が空くようにした」

 「そのために、先生も協力しましたね?」

 「ああ、そうだ。あいつが最初に相談した時は、バカなことはやめろって言ったんだかな、あいつ、『俺はもう、走る理由が分からない』なんて言ったんだ。『被害者として悲しむことができないあいつがあまりにも可哀想だ』とも、言っていた」

 俺は、止めるべきだったのかな、と先生が呟いた。

 「ネットを見るのを辞めろ、と先生が言ったのも、この記事が拡散されていたからですよね?」

 「そうだ。あの記事はありえないスピードで拡散されていったからな。当事者たちに見せられるわけないだろ、あんなもの」

 「先輩はなんでわざわざ怪我までしたんですかね?」

 「あいつのファンレターの中に、『いじめに負けないで、これからも頑張ってください!』ていう内容が多くあったんだよ。大切な後輩を裏切りながら『いじめに屈しないスター選手』を演じるのに疲れたんだろう。『逃げたい』とも言っていたな」

 沈黙が降りる。先生の語りは、淡々としていて、まるで罪の告白のようだった。

 「ありがとうございました。今日聞きたかったのはこれだけです」

 「そうか。今日はお前、しっかり休め。部活、今日は来なくていいぞ」

 明日から、がんばれよ。

 そう言われて、先に部室を出た。

 トイレに行き、洗面台の鏡で顔を確認する。

 限りない「無」が、そこにあった。

 コンビニのお菓子を一緒に食べた時の、先輩の顔と重なる。

 そうか、こんな気持ちだったのか。

 ばしゃばしゃと、水で顔を洗った。

 ふと、坂崎先輩の声で、それは再生された。

 『俺はもう、走る理由が分からない』

 それは、空っぽの頭の中でリフレインされる。

 『俺はもう、走る理由が分からない』

 『俺はもう、走る理由が分からない』

 『俺はもう、走る理由が分からない』

 やがて、その声は別の人の物に変質する。

 「『俺はもう、走る理由が分からない』」

 ぽろりと、言葉に出た。ある種の強迫観念によって、もう一度、呟く。

 「俺はもう、走る理由が分からない」

 完全に、重なった。

 「無」の表情と、先輩の、あの表情が、重なる。

 自分は何のために走っているんだろう。先輩のため? 先輩は走りたくないらしい。じゃあなんのために? 誰のために? どうやって走ればいいんだっけ? なんで走ってるんだっけ?

 地面に足を擦り付けながら、春人はトイレを出た。


 大会当日。春人は他のランナーたちとグラウンドにいた。

 先生は春人に、

 「まあ、がんばれよ」

 と言った。

 光川は春人に、

 「最近元気ないじゃないですか。ご飯ちゃんと食べました?」

 と言った。

 機械的にストレッチを済ませたが、まさに油を差し損ねた機械のように体が硬くなっていた。

 雲ひとつない快晴。

 一応、沼山にもLINEで事件の真相を伝えておいたが、既読すらつかなかった。

 周りのランナーが続々とストレッチやら何やらしている間、春人は、ただ、立っていた。

 やがて、走者が準備をする段階に入った。

 大会運営の指示に従って、自分のスタブロに足をかけようとしたその時、あることに気づく。

 観客席。正面に、居た。

 沼山は、いつものニヤニヤ顔だった。その手にはスマホが握られており、明らかにこちらを撮影している。

 自分が沼山を凝視していることにようやく気づいたのか、沼山がよりはしゃぎ出した。

 そんな姿を見て、ひとつの感情が芽生える。

 なんなんだよ、お前。

 なんなんだよ、マジで。ぶざけてんじゃねえよ。何撮ってんだよ。お前、既読ぐらいつけろよ。そんで、いつものように、『これくらいでアンニュイな気持ちになるんですか? 全く、悲劇の主人公気取りも大概にしてくださいよ』とでも書けよ。ふざけんなよ、お前。マジで、何様のつもりなんだよ。なんでお前の隣に、先輩がいるんだよ。まだギプス取れてないだろ。連れ回すのも大概にしろよ。なんなんだよ、まじで。ふざけんな。はしゃぐな。これ以上はしゃぐと他の客に迷惑がかかるだろ。

 なあ、おい。

 そこで、大会運営に呼びかけられていることに気づいて、急いでスタブロに足をかける。

 沼山の姿は見えなくなったが、手に取るようにわかった。

 会場全体が静寂に包まれていることに気づく。

 「オンユアマーク」

 「セット」

 体制を整えると同時に、スタブロの抜群の安定感に、安心する。

 集中力が研ぎ澄まされ、静寂の中に流れるただ一つの音を発見する。

 心臓の鼓動だった。

 空砲が、快晴に鳴り響く。

 左足が前に出る。やがて、右足も。

 勝ちたい、漠然とそう思った。

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