第6話 「なんで松尾がここにいるの!?」
月本瞳と話すようになった切っ掛けは、本。
たしか夏休みに、図書室の本を一つ選んで帯を作る、みたいな宿題があったんだよな。今考えれば読書感想文よりは少しフランクで、利用者の少ない図書室の本に触れさせる狙いがあったんだろう。
クラスメイトの殆どは、すぐに読み切れる絵本だったり、当時有名だった映画の原作本なんかを選んでいたけど、俺は格好付けて誰も読まないような結構文量のある一冊を選んだ。タイトルは憶えていないが、漢字二文字の硬派な(ように見える)大判小説だったと思う。
気恥ずかしいことに、子供の頃の俺はそういうキャラクターを気取っていたのだ。
当然、家に帰ったらそんな本は放ってけいちゃんと遊んでばかりいたのだが。
それでも宿題は宿題。夏休み残り数日となって、慌てた俺はようやくその小説を読み始めた。適当に斜め読みして、感想文とキャッチコピーをでっち上げれば良い。
――そう、思ってたのだが……。
なんと、その本は面白かったのである。
今になって考えればそれでも子供向けの平易な文章だったんだろうけど、硬派なタイトルとは裏腹に、丁度当時の自分のような少年少女がタイムリープして、終わらない夏休みの謎を解き明かす、という豪胆なSFだったんだっけな。
けいちゃんとの約束もすっぽかして、夢中になって読んだ。それで、読み終わった後は少し呆然として、こんな面白い話が全く知られていないのは勿体ないことだと真剣に憤り、結構真面目に帯のキャッチコピーを考えた。
……当然、そんなんでクラスで小説が流行ることはなかったが。一人だけ、手に取って読んでくれた奴がいた。
それが、月本瞳だ。
「――月本!」
いつも教室の机で本を読む彼女が、その本を開いていたのに驚いて思わず声を掛けた記憶がある。
「な、なに?」
「それ読んでんのか!」
「あ――うん。この帯書いたの、まっちゃんだっけ」
「そ、そう。面白い? それ」
「まだ初めの方だから……」彼女は、縮れた前髪から見慣れない笑顔をこちらに向けた。口の端が硬く歪んでいた。「でも、面白くなりそうだね」
「そうなんだよ」
何故か得意な気分になった俺は、腕を組んで本を読み進める月本を見守った。
「……。あの、まっちゃん」
「ん?」
「見られてると集中できない……」
「あ。そ、そう」
月本はまた笑った。
「今度、感想言い合お」
*
北広島に行ってから、既に四日が経っている。
その間の俺はというと、札幌で高齢者宅のエアコン掃除をしたり、ストーカー被害に悩めるキャバ嬢の助けをしたり、今世話になっているオカルト雑誌社の取材の手伝いをしたりなどと、雑多な仕事をこなした。
……何でも屋にも程がある気がするが、取りあえず居候としての義務は十分果たしているだろう。
そして、五日目の晩に居候先の家主であり、本来所属している会社の社長の旧友であり、オカルト雑誌社の社長である
「松尾、お前のことで電話があった」
借り部屋の扉をノック無しに開いて、いきなり誉美は言った。
「電話?……どこの電話です?」
「事務所の。北方さんって人からだ。小学校の校長なんだって?」
……北方先生が、俺に?
そういえば学校を見学させて貰ったとき、一応書類に札幌の連絡先書いといたんだっけ。
「そうですけど、なんか用事ですか?」
「せっかくこっち戻ってきてるんなら、一度家に遊びに来いだと。どうせお前に予定なんてないだろうから、勝手に俺がスケジュールしといたぞ。二日後の日曜日だ」
「……ええっ。こっちだって仕事とか色々……」
「仕事ねえ」
誉美は冷めた笑みを浮かべた。今、俺は間借りしている部屋の床に寝転がり、片手でスマホを弄っているのである。
咳払いをして、居住まいを正した。
「まあ、確かに今は休憩してますけど。忙しくないわけじゃないんです。大体、北広島なんて二度と行きたくないですよ。あんな田舎」
「馬鹿。あそこは都会な方だろうが。それに、俺たちみたいな人間は誰かに呼ばれたら一にも二にも飛んで行かなきゃならん。現場には取りあえず体だけでも運んでおくんだ。仕事の話は、いつどこから飛び出てくるか分からないからな」
「はあ。……」
*
というわけで、新千歳空港行きの電車に乗ってまるっと二十分で北広島に再訪した。
――北広島。伊勢が、小学校の先生をしている町。
……さて。誉美から聞いた北方先生の住所は、駅から歩いて二十分ほどの距離になるらしい。北海道というのはどこへ行っても基本的に車社会なんで、徒歩移動になれている俺にはちょっと大変だ。
とにかく、ちょちょいと食事を頂いて、札幌に帰らなければ。
この土地をうろうろしていたら、伊勢と遭遇する予感がする。それはなんとしても避けたい。あんな夜があったのもそうだし、何より「北広島には二度と来ない」とか豪語してしちゃってるんだから。……それを言えば、あのコンビニ店員にもか。
奇しくも、彼女の予言が的中してしまった今がある。
――これから未来になる町、ね。
俺は手土産の六花亭の袋を握り直して、こそこそとだだっ広い歩道を歩き出した。
*
北方先生の家は、俺たちが住んでいた方面からは学校を挟んで南西にあり、邸宅という言葉にふさわしい一軒家だった。
地上階の部分は自動開閉式シャッターの車庫になっていて、居住スペースは外階段を上がった二階の玄関から。こっちでは積雪の関係でこういった造りの家は珍しくない。……家の横では家庭菜園をしているみたいだな。ということはこっちの土地も北方先生の所有か。さすが校長。
――と、階段を上がろうとしたところで道路の方から白い軽がこっちに向かってやってきた。それだけなら大して気にはならないのだが見覚えがある。
「あっ――! くそっ……」
フロントミラー越しに伊勢とバッチリ目が合ってしまった。
彼女はシャッターの前に軽を止めると、猛然と運転席から詰め寄ってくる。
「なんで松尾がここにいるの!?」
「それはこっちの台詞だ。……って、そうか。エビも北方先生に――チッ」
元教え子である俺が食事に呼ばれた。となれば、同じクラスメイトだった伊勢も誘われて不思議はない。そんなこと予想できたじゃないか。俺の馬鹿……。
「舌打ちすんなしっ。あんた、北広島には二度と来ないって行ったよね!? あれ~? なんでシティボーイの松尾君がこんな田舎にいるんですか~!?」
案の定、痛いところを突かれる。正直返す言葉もない。伊勢を無視して階段を登り出すと、なおも罵倒しながら付いてきた。その勢いたるやまさしく立て板に水――いや、濁流。
きっと、一週間のうちに彼女の中で怒りが消化され、俺への恨みに変わったのだろう。
「黙んな、コラ。何で北広島に来たのっ。どうせまた月村さんのことを調べにでも来たんでしょっ。はんかくさっ! 松尾みたいな一般人が探しても見つかるわけないしっ! キモっ!」
「お前だって一般人だろ。……小学校教師のお前が探せば、見つかるかもしれないってことか?」
「はあ~っ!? 誰が、あんたの初恋の人なんか探すか!」
「誰も探してくれとは言ってない。探せるのか、探せないのか」
「へへ~、無理無理。二十年前に転校した子の情報なんて持ってるわけないし~」
階段を上がりきって、インターホンを押す。そこで、ようやく伊勢が小ぎれいな格好をしていることに気付いた。
唇には上品な紅。顔色はこの間見たときより若干白い気がする。ウェーブの前髪はヘアピンでこめかみに纏め、眉毛のラインがハッキリしている。服も襟付きのカットシャツだし。
俺の視線をまともに受けてか、伊勢は少し動揺したような声を挙げた。
「な、なにさ。人のことじろじろ見て」
「いや、なんでそんなに綺麗な格好してんのかなって」
伊勢は赤い唇をまるっと食んだ。それから、何だかもじもじした後にふっと冷静な顔つきになる。
「ちょっとまって。逆になんでそんなにラフな格好なの? アロハシャツにジーンズって……」
「今日暑いし。――え? 駄目かこれ」
伊勢はぶふうと息を吐いて顔を上げた。
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