第7話 「同窓会、開いて欲しいんだわ」

 全体的に深い色合いの木製家具が優位のダイニングだ。小さいシャンデリアのような照明が、長年磨かれたであろうテーブルの木目を浮き立たせている。老舗の喫茶店みたいな趣味である。


「松尾もすっかり立派になったなあ。伊勢先生と同い年だから……二十七歳か! 背も伸びるわけだわ」


 シックな雰囲気のダイニングで、北方先生はしみじみと言った。記憶の中の彼はスキー焼けした肌に茶髪という、ヤカラっぽい長身の男。目の前にいる現在の彼もそのイメージとさほど変わらないようだ。皺は増えたし髪は白髪だが、小麦色の肌はあの頃のままか。


 テーブルには、俺と伊勢が並んで座り、対面に北方先生と奥さんがニコニコしていた。


「先生も元気そうでなによりですよ。全然体型変わってないんで驚きました」


「まあ、なんもさ。これでも毎朝ジョギングしてんの。母さんと早起きしてさ。この辺りは走るのには良いから。札幌みたいにごちゃごちゃしてないから!」北方先生は既に赤くなった額をするりと撫でて笑った。「ま、こっちはちょっと、あれだけどな! うははは」


 テーブルに乗っているのは結構良い値段のしそうな出前寿司で、それとは別に北方先生の言う母さん――もとい、奥さんが作ったいなり寿司。何だかおかしな構成だが、ものが美味いので文句はない。


 加えて、徒歩の俺には先生が飲んでいるものと同じ日本酒。奥さんの方は酒を飲む人じゃないらしく、自家製の紫蘇ジュースだ。


「伊勢先生、本当に飲まなくていいの? 車は置いていって、タクシーで帰ってもいいのよ」


「あっ。全然、全然!……いなり寿司も美味しいです!」


「二人、随分久しぶりだろ。飲みに行ったりはしたのかい」


 伊勢と一瞬顔を合わせて、お互いなんとか作り笑いをした。


「ああ、まあ、飲みは先週一回、行きましたね」


「そりゃ役得だ。都会じゃこんなに綺麗な女の子、中々一緒に飲めないだろ。うははは。それこそキャバクラにでも行かないと」


「あなた、それセクハラでしょう。ごめんなさいねえ、古い人だから」


 顔が引きつった校長に、


「あ、私は全然平気ですよ」と、伊勢が涼しげに返す。こっちじゃこの程度のことは日常茶飯事なんだろう。


「うはっ……。でも、昔の教え子がこう、今も仲良くしてるのを見ると元気がでるさ」


「北方先生も人が悪いですよ。伊勢が先生やってるなんて、教えてくれませんでしたよね。お陰でひどい目に遭ったんですから」


「そりゃ、お前、サプライズさ!……ひどい目に遭ったって?」


 俺は、伊勢にさすまたを突きつけられたエピソードを話して一笑いを取った。ただし、当の彼女は苦笑いである。


 それから話題はエスコンフィールドに転がり、ファイターズの話題に転がり、いつの間にやら寿司の人気どころはからりと消えて、次第に酔っ払った北方先生が振る話題にひたすら付いていく形になった。


 *


 ぼちぼち料理が片付いた頃合いに、北方先生がこんなことを言い出した。


「――そうそう。北広島も、松尾たちが子供の頃より子供が増えたさ。うちの校舎も、どうにかこうにかだ」


「え? そうなんですか?」


 風の噂やテレビのニュースで聞き及んだ限りでは、この辺りは深刻な少子高齢化によって複数の小学校が廃校の危機に瀕していた憶えがある。その時は、緑葉小学校も無くなるのだろうと考えていたのだが。


 補足を求めて伊勢を見やると、こくりと頷いた。


「うん。私が赴任した時期からは、もう一学年二クラスだし。増設したとかで、教室も増えているの。結構変わってたでしょ」


「北広島に、そんなイメージ無いんだけど……エスコンが出来たから、住人が増えたとか?」


「いや、エスコンが出来る前からそうなんだ。丁度松尾たちが卒業してからは、もう学校続けるのも大変だったんだけどなあ。緑葉小学校だって、廃校するかしないかって話になるくらい生徒が少なくなってな。だけど、緑葉が潰れる前に隣の学区の小学校が音を上げてウチに合併、ってことになってさ」


「合併。へえ……」


「それで、まあ一学年十人ってところから、なんとか三十人くらいになってな。不思議なことに、その時期から北広島に若い家族の移住が増えたんだな。言わば、札幌が東京で北広島が千葉、埼玉って具合になったんだ」


 それは多分、近年の日本経済が低迷している影響ではないか。札幌に家を持つよりは、土地が安いこちらに居を構える的な。まあ、札幌まで電車で二十分と考えれば理解できる選択だ。


「……とすると、エスコンでまた住人が増えたら一学年三クラスに、なんてことにもなりそうですね」


「そうさ。でも、それだけじゃない。これからはきっと、北広島にUターン、Jターンしてくる世代も出てくるだろうさ。……それが、丁度松尾、伊勢先生辺りの世代になると、俺は思うんだな」


「はあ」


 俺と伊勢は話の行く先がよく分からず、気のない返事を重ねる。


 北方校長はきゅっと日本酒を飲みきって、少し真剣な顔になった。


「――で、なんだけどな。実は、二人に頼みたいことがあるんだわ」


 この辺りで、俺の方は大体話の流れが分かった。一方、ピンと来ていない伊勢は目をぱちくりとさせる。


「え。頼み事、ですか? 私と――松尾に?」


「同窓会、開いて欲しいんだわ」


「ど、同窓会?」


「そう! 同窓会! お前たちの世代じゃ、何故か全然やらないけどな。上の世代じゃ地元の立派な会場を貸し切って、お盆の時期とかによく開催しているもんなんだぞ。大抵は二十になったタイミングに誰か言い出す奴がいてさ、それから例年開催ってことになるもんなんだけどな。お前たちゃみ~んな地元出てくもんだから! けど、これからはエスコン見物、ファイターズ観戦のついでにってことで、帰ってくる気になる子も増えるだろって思うのさ」


「……そんで、地元に俺たち世代を定住させたいわけですか」


 俺が口を挟むと、北方先生は手を振りながら大いに照れたようだった。


「いやっ。うははは! なんも、そこまで欲張っちゃいないんだ。ただ、これから毎年そういう行事があればさ、俺も若い連中に先生、先生ってちやほやしてもらって、楽しく元気に老後を暮らせるかなっちゅだけさ! うははは!」


「なるほど。……」


 誉美の言うことは至言だな。仕事の話ってのはどこから転がり出てくるか分からないもんだ。丁度諸々の事情で懐を暖めたかったところなんだよな。


「いやっ。ちょ、ちょっと待ってください。私は分かりますけど、なんで松尾にも頼むんですか!? こんなちゃらんぽらんな奴に!」


 突然の話に驚いたのか、猫を被っていた伊勢が喚きだした。


「ちゃらんぽらんって、オイ」


「伊勢先生、一人で同窓会の幹事できるっちゅのかい? それならそれでも良いんだけどさ」


「え……と、やったことないですけど、連絡回して、出欠確認して、会場抑えるだけですよね?」


「あら。同窓会の幹事って結構大変よ~?」


 ここで、北方夫人が台所からカットしたスイカを持ってきてくれた。


「そうだ。母さんは、そういうのやったことあるんだったな!」


「まあね。と言っても、私が同窓会の委員やってたのは昔のことよ。当時は個人情報の取り扱いが今ほど厳しくなかったから、それでもまだ簡単に連絡回せたのだけど。伊勢先生は、クラスメイトが今どこで何をしているのか、把握しているの?」


「あ……と……」


「把握なんかしてませんよ、こいつ。この間話したけどクラスメイトのこと全然知らなかったし」


「う、うるさいしっ。でも、実家とかに連絡するよう頼んで貰えば……」


「お前の言う実家って、こっちに一軒家構えてた家庭のことだろ。あれから十五年くらい経って、転居した親世代がどれほどいると思ってるんだ。現に俺の親だって今は札幌住みだし」


「…………」


「ま、連絡付く連中だけで開催する、って程度のもんならそれで良いかもしれないけどな。多分、先生がイメージしてるのってそういう感じじゃないだろ」


 伊勢の顔が青ざめる。今になって気軽に引き受けようとした仕事がかなり大変だと気付いたんだろう。


「松尾は、どうだ。やってくれるかい」


 ニコニコとスイカに噛みつく北方先生が、今度は俺に聞いてきた。


「俺は東京住みなんで。例年の幹事ってのは無理ですけど、取りあえずクラスメイト捜しならお引き受けできますよ。金額次第ですけどね」


 伊勢が脇腹を小突いてきた。


「こ、こらっ! 先生になにがめついこと言ってんの!? ほんっと信じらんない……!」


「……いや。実際、これ結構大仕事だぞ」俺は腕を組んで隣の伊勢に顔を向けた。「お前、タダで引き受けるつもりなの?……って、そうか。先生って副業だめなんだっけ?」


「うはははっ! ほんと、随分しっかりしたなあ。もちろん、松尾も伊勢先生も、お金のことは心配しなくていいんだ。おい、母さん!」


「はいはい」


 北方夫人が立ち上がって、テレビの横のタンスから封筒を持ってきた。


 その厚みを見て、伊勢の目がまん丸に広がる。


「ちょ――っとっ。北方先生!? 何ですかこのお金!?」


「いや、こういうもんの相場って、俺よく分かんないんだわ。取りあえず、着手金っちゅうの? これで間に合うかな」


「失礼します」


 俺は、胸ポケットに入れていた眼鏡を掛けて、封入された札束を数え始めた。クラスメイトの人数は、確か三十人に足らない程。既に現状が割れている伊勢と俺とシンママの鈴木さんを抜けば大体二十五人。


「え……相場? 着手金?」


「あら、伊勢先生、聞いてないの? 松尾君は、探偵さんなのよ」


 隣の伊勢が、驚愕したような顔を俺に向ける。


「あれ。この間飲んだとき話さなかったっけ?」


「そんなの聞いてないしっ……!」


「いや、まあ、正確に言えばそもそも探偵じゃなくて調査員だし、もっと正確に言えば今は調査員ですらないんだけど――あ、北方先生、当時のクラスメイトの情報ってまだ残ってます? なんでも良いんですけど」


「う。連絡帳は残ってるぞ。当時の住所と、電話番号くらいは確認できたと思うんだけどな。こんなんで良いか?」


「ええ。それと……期限は?」


「なんも、急ぎっちゅうわけじゃないんだ。けど、伊勢先生の都合を考えて夏休みの間中に取りかかって貰うのが良いと思うんだけど、できるかい?」


「なるほど。……はい、分かりました」


 とすると、今から数えて大体二ヶ月。簡単な現況確認で一人あたり三万程度に見積もるとして、行方不明者についてはほぼ最大値で勘定して……取りあえず、クラスメイトの三十パーセントを行方不明者すると……。


「少し多い気がしますね――いや。そうか……」


「なんだ? やっぱし、足りないかな」


「転校した生徒については?」


 北方先生はにかり、と白い歯を見せて言った。


「月本ちゃんな。勿論、探し出して誘ってほしい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る