第2話 「すれば良いじゃん。結婚」

 伊勢が車を止めたのは、駅近くにある割と新しめな建物の駐車場だった。


「……あ? こんなところが、居酒屋?」


「ここ私の家だし。ここから歩いて行くの。車で飲みに行ったら飲酒運転になるでしょ」


「あ、そうか」


 車から降りて、つい目の前のマンションを眺めてしまう。階数があるような建物ではないけど、年季を重ねていない綺麗な白亜で、玄関はオートロック。戸数はそれほど無さそう。……駐車場のスペースから見て恐らく六、1LDKで――


「なにぼーっとしてんの?」


「いや、結構いいとこ住んでるんだなあ……と」


「そう? 別に普通だし。流石に札幌よりは安いけど、そっちにもこれくらいの物件あるでしょ」


「ん? 札幌?」


 *


「まっちゃ――松尾、東京に住んでるの!?」


 店は駅の方面からすぐ横の通りにあった。


 テレビで紹介されたと言うからどんなもんかと思ったが、なんのことはない大衆寄りの串焼き屋である。交差点の隅に何の用途かよく分からない建物がぽつんとあって、よく見れば脇の階段に看板が掛かっているのだ。


 良いところは滅茶苦茶空いていることと、広い店内にテーブル席がいくつもあること。東京の肩を寄せ合うような飲み屋に馴れてる俺からすれば随分開放的だ。


「そうだよ。一応実家は札幌の郊外だけど、大学から東京で一人暮らし。エビは? まさか、ずっと北広島じゃないよな」


「……私はあいの里の教育大だけど……というか、その呼び方!」


「教育大ってことは、やっぱり小学校の先生なんだなあ」


「逆に何者だと思ってたわけ?」


「普通に、主婦。……いきなりさすまたを突きつけてくるんだから、まさかとは思ったけど」


 伊勢は手元でサラダを取り分けながら、ゲッと顔をしかめて見せた。……ただし、さっきまでの表情より少し艶がある。荷物を置いてくるとか言っておいて、ちゃっかり化粧してきてるな。


「独身の女性に向かって、それ失礼じゃない?」


「俺たちの年じゃ結婚してても不思議じゃないだろ」


「あ……松尾は?」


「見たら分かるだろ。って、さっき同じこと言ったな……」


「分かんないから聞いてるんでしょ~!? はぐらかしてんの!?」


「……独身」


「あっ。ふ~ん」大して興味なさそうな風に鼻を鳴らして、目の下に皺を寄せて笑う。「松尾、女の子にもてないんだ~! かわいそ~!」


「それ自分で言ってて傷つかないのか?」


「私は良いんです~! こんな田舎じゃ出会いなんて無いもん。あんたとは条件が全然違います~!」


 俺は、はたと考え込んでしまった。


 ……なんでこんなクソガキみたいな女が小学校の教師やってるんだろう。


 見てくれこそ小洒落た大人になっているけど、中身は子供の頃と大して変わらないんじゃないのかな。


「ていうか、自分で田舎って言ってるし……」


「――あっ。う、うるさいなっ。これからここは都会になるんです~!」


 とはいえ、伊勢の言うことには一理ある。どうやら緑葉小学校の教員は殆ど四十台五十台のようだし、彼女からすれば親の世代がそのまま上にいるっていう感覚なんだろう。


 ……まあいいか。伊勢の恋愛事情など至極どうでも良いことだし。


 俺が聞きたいことは別にある。


「まあ私のことは別に良いよ。松尾の話が聞きたいな……」


 伊勢は変わらない顔色のままジョッキを飲み干した。空いたグラスがテーブルの上にあると落ち着かないので、さっと店員を呼んで追加の酒を注文する。


「俺の話なんて大して面白くないって。それより、こっちに残ってるの連中で同窓会とかしてる?」


 伊勢は新しいジョッキを掴んだまま首を傾げた。


「同窓会? 何で?」


「……昔の知り合いが、今どうしてんのかなって」


「してないと思うよ。北方先生ともそういう話は全然しないし」


「ふーん。クラスメイトで北広島に残ってる奴はいないのか?」


「一人知ってる。鈴木さんいたでしょ。憶えてる?」


 俺の脳内に、ふやふやとしたイメージが浮かんだ。が、結局人間の形になる前に霧散してしまう。


「全然憶えてないわ。女子だよな?」


「そ。小学生の頃は地味な子だったんだけどね。なんか中学か高校でギャルになったとかで、十九で妊娠だよ。それで、旦那さんと分かれて今こっちの実家でシングルマザー」


「十九で子供を……」


「ね」


 思わず呟くと、伊勢も少し遠い目をした。


 そういえば、俺が高校の頃も学年に一人はそんなやつがいた気がするが、まさか六年間すごしたクラスメイトの一人がそんなことになっているとは。


「ってことは、鈴木ジュニアはもしかしてお前のクラスの生徒だったり?」


「しないし。まあ、まだ二年生だからこれから分かんないけどね」


 伊勢は渋い表情でビールを煽った。地元で暮らし続けるアラサーの独身女性としては、旧友の子供の先生っていう立場には複雑な思いがあるんだろう。


「それじゃあ、地元に残ってるのはそのシングルマザーの鈴木さんだけか」


「多分だけど。……あ~あ。松尾のせいでしんみりしちゃった。私たちもう二十七になっちゃったよ。子供の頃はとっくに結婚してると思ってたのにさ」


 気分を損ねてしまったのか、クラスメイトの話は早々に切り上げられてしまった。


 ……まあ、流石に北広島に残ってる奴は多くないよな。道外に出て行く奴だってたくさんいるだろうし、それでなくともすぐ隣は都市・札幌だ。


「侘しいこと言うなよ、昔と今じゃ独身の割合だって違うだろうに」


「それ、慰めにもならないし。この間なんて私、クラスの子に『お母さん』なんて呼ばれちゃったんだよ。あ~あぁぁ……」


 うめき声を上げながら、少しべたつくテーブルに突っ伏してしまう。


 不思議なもんだ。伊勢だって、ガキ臭い性格と人を小馬鹿にした目付きを別にすれば割と綺麗めの女性ではある。俺たちの年代からすれば、まず彼氏がいると考えて良いようなスペックなのに。


「すれば良いじゃん。結婚」


 目元をつり上げた伊勢の顔が起き上がった。


「かんったんに言わないでくれる!? だったらここに良い男連れて来てよ!!」


「……連れてくるのは難しいけど、会いに行くのは簡単だ。札幌で婚活でもすれば良い。車を使わずとも電車で二十分。簡単だろ」


「ヤだし。そういうんじゃなくて、こっちでたまたま会ったりして、あれ、もしかして私のこと好きなんじゃない?……みたいな期間の後にちゃんと恋愛して……それで……」


 この期に及んでまだそんな高校生みたいな妄想をしているのか、こいつは。


 駄目だこりゃ。


「ちょっと。駄目だこりゃって顔しないでくれる……!」


「……。まあ、ほら。エスコンフィールドも出来たことだし、これからこっちで出会いが無いとも限らないだろ。追い風は吹いているんだから元気出せって」


「適当なこと言うなし。私が三十までに野球選手と結婚できると本気で思ってるわけ?」


 さらっと野球選手に限定している辺りが太々しい。


 彼女は若干やさぐれた目付きで首をもたげると、少し顔を赤らめてこんなことを聞いてきた。


「……松尾は、どうなの」


「なにが」


「結婚。結婚願望、とか――さあっ」


「ない」一度ビールを呷って、言葉を継ぎ足した。「ことも、ないかな。そのうちマッチングアプリとかやるかも」


 俺の言葉に、しな垂れていた伊勢の首がシャンと真っ直ぐになる。


「え!? やめな~!? そんなんやるくらいなら、私みたいに正々堂々と出会いを待ちなって!」


「俺はエビ程恋愛脳じゃないんで。三十になったらいよいよだぞ」


「あ、……じゃあこうしようよ」腕を組んで、諳んじるようにこんなことを言い出す。「お互い出会いが無いまま三十になったら、私たち結婚するの。売れ残り同士、お似合いだし」


「え」思わず顔が強ばる。三十になったら――なんて碌でもない約束、普通二十代前半でするもんだ。三十路近くで言う奴なんて最早痛い。「最悪だな、それ。それじゃあ、東京帰ったら真面目に恋人探さないといけないじゃん」


 すると、伊勢は何とも言えない笑みを浮かべて料理を口に運んだ。

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