第39話 ボアのお肉は良いお肉(毛皮もね)
この世界に迷い込んで、気が付けば一月近く経っていた。
直ぐにでもウェールランドに行く予定だったのに、おかしいね?
少しずつだけど、この世界について学び、理解を深めている。まだまだ想像の範囲外の常識もあるんだろうけど、人が住んでいる限りそこには生活があって、様々な文化や文明があるものだ。
寂れた田舎町の冒険者ギルドの哀しい事情もあって、どこの世界でも抱える問題は似たようなものだなと実感した。
魔王がはびこるアポカリプス的な世界でもなく、国家間での戦争やらでドンパチしてなかっただけマシなんだろうけれど。
そんな中、偶然発見された(気付かなかっただけ)キャリュフフィーバーに沸く町の住民と、コロポックルの森に挑む冒険者たちで賑わいを見せだしたのは良いことだと思う。
ホットサンドメーカーも商品として販売されることになり(俺の発明品じゃないので心苦しい)実験的にこの町の店頭に並べられ、レシピの小冊子もあるので売り上げも上々だ。(不労所得万歳)
噂を聞きつけた目端の鋭い商人さんが、こぞってそれらを買い入れに来るもんだから、商業ギルドも冒険者ギルドもウハウハだ。
閑古鳥が鳴っていた『ぶどうの樹』のコテージの利用客も増え、オーナー夫妻も忙しそうで、嬉しい悲鳴を上げている。宿泊はしなくても、お土産として買えるキャリュフオイルやバターも好調に売れているので、哀しい扱いだった高価な魔道冷蔵庫も大活躍だ。
テオやチェリッシュは、自分の武器である弓や剣の鍛錬をし(冒険者ギルドに鍛錬場がある)、大人三人組は面倒なお偉いさんと難しい商談をしたり、合間に鍛錬をしている若者の面倒をみている。
そして俺は言いつけを守って、ちゃんと大人しくしていた。
俺の中では常識であって普段の行動でしかないのに、それを見咎められると一々面倒なことになるしね。主にシュテルさんとかギルマスとかのせいだけど!
元々不慣れな土地なので出歩かないし、町では少々厄介な連中が増えているらしいとの噂もあって、コテージの敷地から出ることなく過ごしている。
毎日のルーティン(食事の支度)を繰り返し、暇なので忙しいオーナー夫妻に代わってヤギを連れて草刈りをしたり、鶏の餌やりのお駄賃に卵やミルクを貰ったりと、それ以外は何もやらかしてはいない。
たまに奥さんと料理のレシピを考えたり、レシピを教えて貰ったり、その合間にせっせと携帯保存食を作り、アントネストへの思いを馳せているだけなのに。
だがどうしてこうなった。
「ボア肉が、まさかこんなに旨くなるとはなぁ……」
相変わらず腕毛が凄い。ありんこじゃなくて黒いアイツが作れそう。頭髪が寂しいのに、体毛が濃いのがギルマスの個性だ。
そんな感想を抱きつつ、俺の作ったボア肉の燻製や料理に舌鼓を打つ冒険者ギルドのお偉いさんは、ジビエ料理を心から楽しんでいた。
「あの厄介な野生の獣も、こうなれば立派な森の資源だな」
「魔物肉でなくとも、野生の獣の肉も【熟成】という段階を踏めばこのようになるのですね。これが滋味深いという味わいですか。大変興味深いですなぁ」
薬草などの買い付けに来たついでに、キャリュフの噂を聞きつけ立ち寄っただけのシュテルさんも、何故かこの町に長期滞在したままだった。
無事にキャリュフを定期的に仕入れる商談を取り付けたのに、まだここにいるんだよな。護衛の二人も、あちこち出歩くシュテルさんのお守りで大変そう。
「ただ魔物肉と違い、処理に手間取るのが問題だな。あれだけデカイと、生きたまま連れてくるのも難しい。森の中に狩猟小屋を設置できないか、ギルドの職員と策を練っているところだ」
「そうなると、盗難防止の結界魔道装置や、魔道冷蔵庫も必要ですからね」
「以前なら無理だったが、キャリュフの売り上げで、そこはどうにか工面できそうだ。ウハハハハ!」
「ははは、何とも豪勢ですね。ですが嬉しい悲鳴続きで結構なことではないですか―――ところでリオン君は、どうしてそんなに不機嫌そうなのですか?」
シュテルさんにフリーズドライの試作食品を見られた時には、ボア肉自体はそこまで注目されてなかった。
特許の手続きでディエゴを中心に、スプリガンの大人組が苦労しただけで。
魔法を駆使しての食品加工はディエゴ以外まだ無理(今後も無理)だと判明し、市場に流通できるほどの販売は諦めたはずなのに。
燻製肉を奥さんにおすそ分けしたのがまずかったのか、そのボア肉を宿泊客の食事に出したところ、意外にも美味いという評判が広まり、それを耳にしたギルマスが出しゃばって来たのである。
そしてボア肉の解体方法と熟成の仕方を聞きに、俺たちに会いに忙しい中やって来ていた。(領主の貴族との交渉バトルは、キャリュフ自体に税金を上乗せすることで一応の決着をしたそうだ)
だからどうしてこうなった。
「せっかく作ったボアの熟成肉が、貴方たちに容赦なく食べ尽くされそうだからよ」
「だがこんだけ美味いのを隠されちゃなぁ?せっかくの加工技術だ。ボアも立派な食肉になるなら、欲しがるやつも出てくる。だったらギルドでも依頼として出さねぇ訳にはいかねぇだろう?この町の発展のためにも必要な経費だ。金なら払うぞ?」
「私もタダでご相伴に肖らせて頂きませんよ。このボア肉の保存食。是非とも商人として販売させて頂きたいものです」
そういうことじゃぁないんだよ。
やるなら勝手にやってくれ。俺は早くアントネストに行きたいんだ。居座られると迷惑なんだけど、空気が読めないギルマスとシュテルさんはやりたい放題だ。
それにボアの肉が美味しいのは、イベリコボアだからだ。どんぐりの生る木が沢山あるし、おそらく他所に生息しているボアとは確実に違う育ちがその美味さを実証している―――と、いうのを一応伝えてはいる。だからここだけで食べれる美味しいボア肉だよっていう宣伝をすればいいだけなんだけどね。
「しかも、ここだけで食える、特別なボア肉だからな!」
「イベリコボアですか。なんとも良い名付けですなぁ」
正しくはイベリア半島に生息する、放牧されて育った黒豚の名前だけどね。
そのため筋肉質で豚とは思えない霜降りがあり、ほのかな甘味とナッツのような香りで、重厚な口当たりが人気なのである。この森に生息しているボアも、似たような味わいだ。けれど、イベリコ豚よりも更に旨いので、内心驚いていた。
「特産品として、依頼も沢山くるぜ!」
ははは!と高笑うギルマスは大変ご機嫌である。
ここ数日。商談をしてくれと、色んな役職のおっさんたちが連日押しかけてくるものだから、テオやチェリッシュは町へ買い物と称して逃げるし、大人組はまたかとうんざりしているし、俺はルーティンが崩れるからテンションダダ下がりだよ。
静かで閑散としていたコテージも、宿泊客が増えて煩くなってきたし、そろそろ俺はここから旅立ちたい。でも色々な手続きとか沢山あって、中々旅立てずにいた。
「ボア肉の解体の仕方は教えたし、熟成の仕方も判ったでしょう?」
「知的財産権の放棄もした。後は好きにしてくれればいい」
「フリーズドライの術式は流石に無理ですが、夫でもボア肉の加工なら魔法で可能だそうで、お教えいただけて大変助かっております。お客様にも好評ですし、この宿の名物料理となりそうです。夫も今は肉を仕入れに昨日から森へ向かっておりますの。今日の夕方には戻るそうなので、今から楽しみですわ」
奥さんはにっこり笑って、俺たちに感謝した。今まで苦労した分、経営が軌道に乗って表情も益々明るくなっている。心なし若返ったようだ。
それにただの害獣扱いだったボアの熟成肉料理がこのコテージでの名物になるなんて良かったね。そこは俺も素直に喜んでいる。
食品加工技術も、知的財産権が発生する。だけど独占しなければならない程の技術でもない。害獣として駆除はしても捨てられていた獣肉が、誰もが安心して美味しく頂ける食肉になれば、少しは命のありがたみを感じるだろう。なので俺たちはその権利を放棄した。(手続きは必要だけど)
しかし現状、狩ったその場で素早く解体できる人材は、コテージのオーナーであるおじさん(流石は元宮廷魔術師)ぐらいなので、ギルド職員とボア狩りに出かけている。本来は罠にかけて、生きているのを狩猟小屋に連れて行って―――みたいにしなきゃ、放血も冷却も難しいのだ。でも魔法なら、その場で解体も可能なんだよね。
皆さん老齢なのに、この間キャリュフ狩りで留守にしてたと思ったら、今度はボア狩りだなんてアグレッシブだよな。
奥さん一人ではコテージの経営は大変だろうと、今は従業員を雇っている状態だ。(人を雇えるまでに経営が回復して良かった)旦那さんもこれで心置きなくボア狩り&キャリュフ狩りが出来ると喜んで、あの白い悪魔のいる森へ行っていて、今までの暇さが嘘のようだと逆に生き生きしていた。
フットワーク軽いな。しかもなんかみんな若返ってない?気のせい?
「あのきったねぇボアの毛皮も、こうなりゃ立派なモンに見える。流石は魔塔出身者だ。坊主もよくボアなんかを食おうとしたもんだぜ。だがお前さんら二人のお陰で、厄介な害獣も立派な森の資源になったしな。しかもこれで何か作れりゃぁ、更にウハウハだろう?」
そう言ってギルマスは、俺から取り上げた(買い上げた)ボアの毛皮に頬ずりをする。桃の表皮みたく、小さなとげが刺さらないかなぁ。
ディエゴとシルバと共に、ボアを解体した時に毛皮も鞣して貰っていたのを思い出し、その毛皮で何か作れないかなと取り出してブラッシングしていた時。ボアの熟成肉の噂を聞きつけ、コテージに来たギルマスに見咎められ、いきなり取り上げられて俺は泣いた。メントールでの嘘泣きじゃない。マジ泣きだった。
シルバ&ノワルガードを掻い潜って、俺から取り上げたボアの毛皮を獲物のように掲げるギルマスは、ただの野蛮人だった。(ギルマスになる前は、高ランクの冒険者だったそうだ)
子供から物を取り上げるなとギガンたちに滅茶苦茶怒られてたけれど、俺は絶対に赦さない。買取りをするからいいだろうとか、そういうことじゃないんだよ!
「魔獣の毛皮に比べると劣るが、中々良い触り心地なのは意外だぜ。敷物にでもすれば人気が出そうじゃねぇか?」
魔物ではなくとも魔素に耐性があり、僅かでも魔力を持っているこの世界の獣だけに、生きている時は硬い毛皮も、鞣すとふわりと柔らかく手触りが良くなる。綺麗に汚れを落として、俺が丁寧に毛をブラッシングしたからだけどね。
いくら寂れかけた町の冒険者ギルドの存続が危ぶまれていたとはいえ、その悩みを解消するキャリュフだけで満足することなく、ボア肉と毛皮にまで目を付けるとは。経営者としては尊敬するけど、俺にとってはいい迷惑だった。
「この毛皮の質ですと、ブラシ等が宜しいですな。キャリュフの土や泥を取り払うのに、この繊細な毛が役に立ちそうですよ?」
「なるほど。流石は商人だけあって、いいアイデアだ。肉も食えて、毛皮も使えるとはな。意外だったぜ」
「あら、骨も良いスープが取れるのよ?使える部分はかなりありますわ」
「もぅすきにして……」
そういう話は俺のいないところでやって欲しい。
なんかね、アマンダ姉さんやギガンがね、ディエゴと俺を監視してるんだよ。また何か面倒なことをやらかすんじゃないかっていう、疑うような目でさ。
出会って間もない俺に信用がないのは仕方がないんだけど、ディエゴまで信用を落としている気がする。殆どが俺とディエゴの共同作業によるやらかしだから。取りあえずやってみようの発想がダメなのだろう。
「ところでお前ら。森の厄介者のあの白い悪魔も、なんかイイ感じに森の恵みに化けねぇもんかな?」
ならないよ!
ハヌマンラングールに似ている(それよりもデカイ)あの白い悪魔だけど、アレに手を出すとヤバいことになりそうな気がするんだよね。
だから大人しくうんこを投げつけられて、食べ物を奪われる程度の被害ですましておくといいと思う。
これは俺の長年の勘が云っている。あれは本当の意味で、白い悪魔だと――――。
「あれに、てをだしたら、ヤバイ」
だから絶対に触れてはならない禁忌だと。
俺は一応忠告しておいた。
そんな俺の予感は、後日的中することになる。
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