第10話 妖精の輪(冒険者視点)
下っ端の朝は早い。というか、食事の支度は最年少であるテオの仕事だ。
基本的にこのパーティでは夜間の見張りをしなくて済む。ディエゴの従魔が周辺を警戒してくれるからだ。
夜間の見張りをしなくて済む分、疲労はかなり軽減される。だが昨夜は野良ブラウニーの様子が気になって、何度もブラウニーのテントの所在を確認してしまった。
「~~あふっ」
眠い目を擦りつつ、焚火へと薪をくべる。
野営で温かな食事が出来るのは一流の冒険者ならではだ。二流はまだしも三流や新人など、野営中に食事の支度をする余裕などはない。常に辺りを警戒し、精々空腹を誤魔化す程度に何かを口にできるレベルだった。
「あ~向こうから、何か良い匂いがするっす~」
香ばしい何かが焼ける匂いに、テオはクンクンと鼻を鳴らした。
直ぐ近くでは、見張り番をしている従魔の銀狼が、同じく鼻をひくつかせながら、大きな耳をリオンのテントへ傾けていた。
ブラウニーが小さな家のようなテントの中で、一体何をやっているのか物凄く興味を惹かれる。
「おいテオ、お前あんま寝てなかっただろ?」
「だって、気になるんすもん」
若手の教育係であるギガンは、食事の支度をしているテオに、呆れたように声をかけた。
「……まぁ、気持ちは分かるがな」
「でもちゃんと一晩居てくれて、良かったっす」
「だな」
「これって、ちょっとは期待してもいいんすかねぇ?」
「どういう期待だよ」
「俺たちについてきてくれないかなぁ~っていう」
連れて行きたいと、テオは思っていることを正直に話した。
「ブラウニーは、家精霊だろう?冒険家業の俺たちにゃ、無理な話じゃねぇか?」
「やっぱ、そうっすかね?」
「安定した住処を提供できない時点で、難しいだろうな」
冒険者の中では一流とはいえ、大手クランのような拠点を持っていないだけに難しいとギガンは首を振った。自分たちは各地を転々とする、宿屋住まいの冒険者だ。自由民であるだけに、未だ定住する地を定められずにいる。
「精々警戒されないようにしとけ」
「まぁ、ボガートになられても困るっすしね……」
「ディエゴの話によると、ブラウニーがボガートになるっつーしな」
精霊信仰の強いこの国では、その眷属であるとされる妖精に対しても敬意を払う。何せ大昔に妖精を怒らせて滅んだ国もあるとされ、多少の悪戯には目を瞑るようにと、おとぎ話を交えて子供の頃から言い聞かされていた。
とはいえその細やかな悪戯も、実際は子供の仕出かしたことが多く、妖精の仕業に見せかけたモノが殆どだ。大人たちも子供の頃に覚えがあり、少々のことは妖精の仕業として許してくれる。そう言った大らかな気風になったのも、ある意味妖精のお陰なのかもしれないが。
だから小さなころから言い聞かせられる「悪戯をし過ぎるとゴブリンになる」「言うことを聞かない子は、ボカートに攫われる」等々、子供の躾に妖精の存在は必要不可欠であった。
「おはよう。無事に一晩明けたわね」
食事の準備が終わる頃。
アマンダたちも起きてきて、リオンのテントへと視線を向けながら話しかけてきた。
「見れば見る程あのテント?小さな家みたいで不思議よね?」
「ブラウニーだからな」
「しかも美味しそうな匂いまでさせちゃって」
「ブラウニーだからな」
「ちょっとディエゴ。アンタなんでもブラウニーって言っとけばいいと思ってない?」
「妖精だから仕方がない」
人知を超えた存在に、疑問を抱くなとばかりにディエゴは言い切った。
自分たちは雨風が凌げればいい程度の、タープを四方に張っただけの簡易テントだ。それでも野晒しの中でごろ寝するより快適である。駆け出しの若手時代に比べれば、マジックバックによってタープテントを持ち歩けるだけ贅沢というものだった。
「ああ~、昨夜みたいに妖精の粉が欲しいぃ~!」
あの味を知った今では、同じ食事とはいえ味気なさ過ぎてチェリッシュは嘆いた。
「温かい食事ができるだけ有難く思いなさいよ」
「でも、良い匂いを嗅がされただけに辛いんですぅ……」
リオンのテントから漂う香ばしい匂いで目覚めたチェリッシュは、それが自分たちの朝食でないことにショックを受けた。その気持ちは分かると、この場に居た者全員が静かに頷く。
「それにしてもさ、あの子の背負い袋の中身って、どうなってるのかしらね?」
ダンジョンなどで手に入るマジックバックも、空間魔法が施されており、見た目以上にモノが収納できる。しかしその許容量は区々で、見た目では判断が出来なかった。
「妖精は空間を自由に行き来できるらしいしな。袋の中も、相当な容量なのだろう」
「あれ?召喚魔法と、空間魔法って、同じじゃないんすか?」
どちらも次元を扱うという意味では同じなのではと、テオはディエゴに訊ねた。
「正確には違う。召喚魔法は出入り口を繋げるだけだ。自分が行き来出来る訳でもないし、空間を保存して、己の領域にする空間魔法とは仕組みが違うぞ」
「え?よく判んないんすけど」
「召喚魔法は、いわば他人の家のドアをノックして、相手が呼びかけに同意すれば扉が開かれると思えばいい。応答しなければ誰も出て来ない。あくまでも呼び出すだけしかできない。ここまでは分かるか?」
「あ~はい。何となく?」
レベルの高い召喚士は、その家のドアをノックするスキルがあり、強い力があれば無理にこじ開けることすらできる。とはいえ、基本的に任意での同意を求めるのがセオリーだ。
それ相応の対価を払って従えるだけに、その召喚に応じた魔獣の強さによって、召喚士の実力が図れる。
よって実力に伴わない魔獣を召喚すれば、従わずに己に襲い掛かってくる危険性があった。
「一方で、空間魔法とは領域の支配だ。ダンジョンのように、全く異なる空間を作り出す能力と思えばいい。マジックバックと同じようにな」
だからダンジョンは妖精――強力なボガート――のような、空間を支配する力を持った何者かが造り出しているとされていた。
「フェアリーリングというのを聞いたことがあるだろう?」
「あ~、キノコが輪っかになって生えてる奴ですよね?子供の頃に、見つけてもそのリングに入っちゃダメだって、よく言われましたけど」
深い森の中にあるとされる『フェアリーリング』は、その中に入ると幻想世界に閉じ込められると伝えられている。そこから運良く抜け出せても、気が触れてしまったり、全く別の場所に移動させられていることもあるという。
「妖精の空間転移魔法の一種だが、その殆どは単純にキノコがリング状になって残っているだけだがな。たまに魔力が残っていて、人間がその罠に引っ掛かるから気を付けろと言われているんだ」
それが妖精の悪戯の一つとされている。
すぐそばに置いたはずの物が突然無くなったり、置いた覚えのないところから出てきたり。そういう不思議な現象も、空間を自在に行き来できる妖精の悪戯扱いされていた。
「そっか~。だからあたしが輪っかに入っても、何も起こらなかったんだ!」
「チェリッシュお前……、フェアリーリングに足を突っ込んだことがあるのかよ……」
「子供心ゆえの好奇心よ!」
「好奇心は猫をも殺すっていうけど、あんた今までよく無事に生きて来れたわよね」
チェリッシュの子供時代の無謀さに、アマンダは呆れたように感心した。
「本物でなくて良かったというべきか……」
同じくギガンも呆れたように呟く。
「魔力が残っているフェアリーリングは滅多にないからな。それでも見かけたら避けるべきだ」
そう言った教訓を教え込むべく、今回の薬草採取の依頼を受けて、テオやチェリッシュを引き連れてこの森へとやって来た。彼らはまだ若く経験も浅いし知識も少ない。本格的にダンジョンへ挑む前に、これらの知識を叩き込んでおかなければならなかった。
しかし運よくこの手の話に興味を持つ原因と出会い、ただのおとぎ話と軽んじることなく、知識として頭に叩き込むことができただろう。
ダンジョンだけでなく、深い森や山の中には、様々な罠が待ち受けている。危険なのは魔物だけではない。人知を超えた現象に遭遇し、行方知れずになる冒険者や狩人も多いのだ。
「――ところでだが。気付いているか?」
「どうした、ギガン……?」
「ブラウニーが……、こっちに来ている……」
「は……?」
ディエゴの従魔に向かってじりじりと距離を縮めているのに気付き、ギガンは俯いたまま指をそっとさす。
慎重に視線だけを向ければ、そこにはあったはずのテントが何時の間にかなくなっていて、茶色い物体が地面を這っていた。
「あれは、何をしていると思う?」
「匍匐……前進……?」
隠れるところなどないが、腹ばいになってじりじりと近付いてくる、ナニカ。
茶色の衣服は地面に近い保護色と言えば保護色なのだが。
「……まだ子供なんだ。賢くとも……、行動は妖精だからな……っ」
「やだ、ディエゴったら。何冷静を装ってんの?あんた、さっきから笑いそうになってるじゃない……っ」
「まさか妖精の悪戯を直に見られるんなんて……っ!俺、感動っす……っ」
肩を震わせながら、お互い吹き出さないよう堪える。テオは感動で打ち震えた。
「ディエゴさんのシルバ、噛みついたりしない、よねぇ?」
「敵意がなければ何もしないと思うが……」
リオンも保護対象だと言い聞かせているので、吠えたり噛んだりはしないだろう。
魔狼の中でも銀狼は特に強い個体で、緑<赤<黒<青銀<銀の順に知能は上がっていく。人間の指示に従えるのは黒狼からで、緑狼や赤狼は知能も低く凶暴で群れをなして人を襲うため、基本的に討伐対象だ。
そしてプライドが高く人語を解する銀狼は、召喚という手段でしか従魔に出来ないとされる。
因みにシルバは主と認めたディエゴ以外、許可なく触れることを赦さない。触れようとすれば、威嚇するか躱すぐらいのことはするだろう―――そう思っていたのだが。
「あの子、何かあげてない?」
銀狼の陰に隠れて見えないが、口元に何かを差し出しているように見え、チェリッシュは首を傾げた。
珍しく躊躇うようにディエゴを伺いながら、それでもパクリと白い物体を口に咥える。
「あ。食べた」
「悪戯……じゃぁ、ないんすか?」
「食べ物、あげてるのかな?」
よほど美味かったのだろう。ぺろぺろとリオンの手を舐め、そして顔まで舐めている。その姿に唖然としていると、リオンがわしゃわしゃとシルバを撫で始めた。
「じゃれてないっすか?」
「じゃれてるな……」
「お前の従魔って、子供嫌いだったよな?」
「子供どころか、ディエゴさん以外全部下に見てるよね?辛うじて、アマンダ姉さんは無視しないけどさぁ~。テオなんか存在すら無視されてるしぃ~」
「それを言うならチェリッシュだって同じっす!」
多分シルバは魔力量によって上下関係を測っていると思われる。なので、魔術師として実力のあるアマンダには、最低限の敬意を払っているのだろう。そんなプライドの高い銀狼が、リオンを相手に嫌な顔一つせず、撫でさせていることに驚いた。
「……おい。シルバがブラウニーを引き付けてる間に、ここをさっさと片付けるぞ」
「そうね。上手く行けば、シルバがあの子を懐かせてくれるかもしれないし……。ディエゴ、斥候は任せるから、何としてもあの子をここから連れ出すのよ」
懐いているのはシルバの方なのだが、彼らにとっては些細な違いでしかなかった。
ただこんな森の奥で、小さな妖精の子供を放置できないと思った彼らは、どうにかして保護出来ないものかと、シルバを使って興味を引く作戦を考えた。
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