29 白薔薇と白百合


 カッカカッカカカッ。


 黒板にすり減らされるチョークの音が教室に響く。風が窓際の遮光カーテンを揺らすと木漏れ日のように教室の床を照らす。


 教室には少女たちが座っているが何かを書くということはなく、教員である者がただひたすらに黒板に文字と絵を描いていた。


 この時間メイドたちはそれぞれに洗濯や掃除をしているはずなのだが、どういうわけか銀髪を三つ編みにして眼鏡をかけている彼女だけは教室の後ろで立って主を眺めていた。


 どうして彼女だけ他のメイドと違う行動をとっているのか、そう思う使徒しともいるのだが彼女らは知らないが他のメイドと同じように作業して最速で全ての事を終わらせて教室へ来ているのだからとび抜けたメイド能力の持ち主なのだ。


 その事実を彼女らがメイドから聞かされるのはもう間もなくで、二週間もいるのだから知っていてもいいほどだろうが、実はメイドの存在に気付いているのは教員のみであり、メイドに気づいた使徒が現れるのももうしばらく後になる。


 彼女の隠密能力はそれほどに高く、気が付けばいて気づけばいない存在。


「では使徒タジリン、この問題に対して正確な動作を実演してくださいますか?」


 ちなみにここで言う使徒とは生徒の意味であり、聖女見習いは皆女神の使徒であることからそう呼ばれるようになった。


「はい、先生――」


 黒板に書かれた正しきお辞儀の仕方は聖女が行う所作の一つ、それを図として書き出しているのは教員個人の考えである。


 タジリンは前に出て教員の方を向くとカーテシーを綺麗にする。ただそのカーテシーはデータにある物とは少し違いほぼ両足が見えるほどにスカートを掴み上げている。


 一歩間違えれば下着までが覗かせるほどに上げるため、ストッキングを安定させるガーターベルトがはっきりと見えてしまう。


 教員はタジリンのそれを見て拍手をすると使徒たちは続くように拍手をする。


「とても綺麗な所作でした、この所作は相手に対して凶器となるものを持っていないことと自身が女神の使徒であることを表すものです、目上の人も当然ですが高貴なお方には必ず行ってください」


 とんでもな内容だが、ここではこれが普通で誰も嫌な顔せずに頷いていた。


「高貴な人はこれを見ると触れてこようとすることもあります、ですが慌てずじっとして触れさせてあげなさい、太ももなら問題ありません、ですがそれより上に触れようとしていると思ったならすぐにスカートを手放してお辞儀をして一歩後ろへ下がり、若輩者故お許しくださいと言うのです」


 教員は自らもスカートを持ち下着が見えるまで上げるが、それは使徒たちに分かりやすいように見せているだけで、その後の断る動作も大げさにゆっくりと行って見せた。


 タジリンは内心ここが女学園であることに感謝していた。触れる者がいたとしてそれはまず女だろうことは間違いないからだ。


 そうして教員に視線でニコリと笑みを返されるとそれは席へ戻ってもかまわないことを表していた。彼女も笑みを返し体を右に向け視線を向けると、教室の後方で同じようにスカートを掴んであげている銀髪三つ編み眼鏡メイドがいた。


 そこでタジリンが足を止めてしまったのはその銀髪三つ編み眼鏡メイドの穿いている下着があまりにもエロスだったためだ。


「ん?使徒タジリン?」

「……」


 再び動き出したタジリンは笑みを浮かべていたが、席に着くまでじっとその下着を見つめてしまっていた。


『下着が派手でしてよセルベリア』

『いいえ、これはお嬢様が喜ぶであろうことを見越して穿いていますので、それで感想はどうでしたでしょうか?』


 頬を膨らましたタジリンは少しだけ股を閉じて思う。


『とても性欲に響く下着でしたわ、できればリンやハクラにも穿いてほしいですね』

『っチ』


 頭で響くセルベリアの舌打ちはタジリンにしか聞こえていないが、その意図は明白であるために彼女は少しだけ口元を緩ませた。


 セルベリアの性格がだんだんと理解できてきたタジリンが出した結論は、真面目で利口な立ち回りをするも嫉妬深く執着心が強い、つまり軽めのメンヘラの素養を持っている。いったい何を見て身につけたのかは分からないが彼女の思考は中々に自分勝手。


 タジリンは自身の視線を教員へ向けると次にその上ほどに設置されている時計の長針と短針に注目した。時刻はもうすぐ11時35分、昼食の時間になるわけだが別段その時間が楽しみというわけではない。むしろ自室以外は常に演技しているわけで、精神がいくら強くとも体が疲れしらずでも何かしら心労が溜まっているらしく、彼女は窓の外へと視線を向けて真顔になった。


 リンゴーン――リンゴーン。


 振鈴しんれいが響くと教員は一礼して使徒たちも着席のまま一礼する。解放感はまだなく、教員が数秒で去ると一人の使徒が黒板へ向かい低い部分から書かれているものを消していく。


 そしてタジリンを含む他の使徒たちも教室から出て行く。廊下で待っていたメイドたちと合流すると全員が食堂棟へと向かうのだが、その様子を見ている使徒たちは噂をする。


白薔薇しろばら様と白百合しらゆり様が歩いていらっしゃいますわ、とても美しい姿勢ですわね」


「あの姿勢を崩さないほど所作が身についていらっしゃるのね、メイドとしてではなく高貴な方と言われても納得してしまいますわ」


「ところでお二人を題材にした小冊子を書いている先輩をご存じかしら」


「もちろんですわ、使徒デリータ様ですわね、あの方の小冊子はまるで本物のように白薔薇様と白百合様の恋が描かれていますのよ」


「は~早く新刊が出ないかしら」


 その会話が聞こえているからだろうか、タジリンはセルベリアにその感想を率直に伝えた。


『セルベリア、ですわますわで使徒たちが会話しているのはわたくしの気のせいかしら?』

『気のせいです』


『あの二人だけではなく、他の方々もですわますわ口調な気がするのですけれど?』

『気のせいです』


『もしかしてだけど、もしかしてなのだけれど、あの口調は最初の頃のあなたとわたくしの真似なのかしら』

『……き、気のせいですわ!』


 彼女らの苦い記憶である。セルベリアの中の高貴さがあからさまな似非貴族だったせいで、タジリンは最初の入りから少し周りから浮いてしまってその美貌から周囲が彼女へ歩み寄ってしまう形になった。


 タジリンとしては、おいおいセルベリアさん、と彼女を鋭く睨みつけた記憶だがセルベリアにとっては完璧主義の自分がまさかそんな初歩的なミスを犯すなどとは認められないという様子で、タジリンがからかうつもりで話題にすると彼女は覚えていないと言いどうやら記憶領域から無かったことにしてしまったらしい。


『ところで白百合様は今日は何をお召し上がりやがりますか?』

『そうですね、今日はアイラスケーキとアイラスティーです』


 アイラスはイチゴのここでの名称であの村でもアイラスは森に自生していた。ヒヒラの好物であることからアルセウスの艦内にある栽培施設では糖度の高いものから酸味のあるものまでたくさんの品種が作られている。


『カロリーも糖分も気にする必要性の無いマテリアルボディー様様ですね、本来ならこう毎日ケーキですとぽっちゃりしてしまうところでしょうけど、あなたのせいでここの使徒たちがデブデブしたりしても知りませんからね』

『それは個人の責任というやつですお嬢様』


 食堂棟は一階で注文を受け付けるとそのまま二階に上がり二席で組まれた丸テーブルに座って食べるか、それともテラスへ出て二席組の正方形のテーブルで食べるのか、それとも屋上へ出て日傘の下で長方形の長テーブルで最大六人で食べるかを選べる。


 二人が選ぶのはもちろん丸テーブルで、もちろん日差しを浴びながらの食事を避けるためだ。タジリンは色々食べることからグルメであるとされているが、実際は料理のデータをとって料理好きの姉タノメにそれを送っている。


 セルベリアは毎日ケーキケーキケーキ、とてもではないが凡人には真似できない糖分で生活している。ちなみに朝は生野菜中心で夕は肉中心の食生活である彼女の真似をした者たちは胃もたれでダウンしメイドに偏食であることを注意された。昼の糖分が別のものになれば十二分に悪くない食生活であるのだが、どうやっても糖分が破壊しにきている。


「このお肉少し硬いです、こっちのスープはそこそこですね」

「お嬢様、あちらでシェフが耳を澄ませています、きっと後で落ち込むのでしょうね」


「仕方ありません、艦内の料理よりもタノメ姉様の料理よりも劣ってしまうのですもの、食材ではなく調味料でもなく調理した者の腕が劣っているのは間違いないですから」


 辛辣しんらつにそう言うと影から見守っていたシェフは床に手をついて項垂うなだれた。


「デザート担当の方もこちらを窺っているようですよ、あなたは何か感想はないのかしら?」

「甘くておいしいです、あとは――甘い?」


 担当者は真顔でそれを聞くとボソリと何かを呟いて一階へと向かう職員用の階段へ消えて行った。


「甘ければいいのか?と彼女は言っていたのよセルベリア」

「実質そうなのですお嬢様、甘党とは甘ければ甘いほどいい」


「砂糖でも舐めやがれです」

「お嬢様、口調の方が」


「あらやだ、うふふ」


 二人を遠巻きに眺めている使徒とメイドたちはまさか二人がそんな会話をしているなどとは思いもせずに優雅な姿だとそれぞれがうっとりと見つめていた。


 昼食を終えた二人は午後の授業のために自室へと向かうことになる。午後の授業は実習で制服ではなく使徒たち見習いようの聖女服を身に着けることになる。


 まずインナーに鋭利なアンダーラインの競泳水着のようなものを着て、その上から完全に透けているティーシャツを着て絞りの無いジャージのようなものを羽織る。まるで競泳の練習生のような恰好になるとタジリンは沈黙する。


「やはりぞうさんが上からでも分かるわよね?」

「そうですか?正面からではあまりわかりませんが」


 小さいと言ってもついているのだから鋭利なアンダーラインのものなど着れば膨らみができる。一度は両性だからこそ自身にある穴に入れてしまえばと考えた彼女だが、試そうとするとおっきしてしまいその状態のものを入れることはできなかった。


 膨らみは確かにあるもののそれを外から見て判断できるほどの大きさではない。ただ鋭利なアンダーラインであるため食い込むレベルは半端ではなく、頻繁に使徒たちはその位置を調節する。


「触れられると気付かれてしまうでしょうけれど……誰も触れることはないと思いますよ」

「そうね、ここにはシリウスもハクラもいないものね」


 男の娘大好き二人組が珍しいだけで普通はまず出会うはずの無い人種だ。そう考えたタジリンは完全に失念していた。自身の容姿がとても美しく飛び切り美少女であることと、美少女を愛する同性も異性もこの世には腐るほどいると言うことを。


 振鈴が鳴る前に部屋を出た二人、そしてその映像を見ながら酒を飲みほしたアルセウスは思う。


 最高にお可愛いこと――


 少女から一歩大人に近づき始めた体に危うく着こなされた見習い聖女の正装を巻き戻して見直しながら再び酒瓶に手を伸ばす姿はただの昼下がりのアル中だった。


 学術棟にある実習室には既に同じ服装の使徒たちが集まっているが、タジリンがやってくると全員の視線が彼女へと向かう。足音が響く中を一人で歩いていると教員が彼女の前に歩み寄って足元から何かを確認し始める。


 教員は頷くと彼女の胸を触りながら言う。


「あなたの着こなしはとても評判がいいわ、胸の形もお尻の形も一番と言われているのよ」


「ありがとう存じます」


 ただ彼女は引っかかっている、今日に限ってどうして司教がいるのだろうかと。


 この国において最も権力のある者は大司教であり彼らは全員男である。彼らというように大司教は複数人いるが、その数は時々によって変わり多い時には8名にもなったとか。現代の大司教は3名でその下の司教は20数名を前後しているのだそうだ。


 司教の位にもなると女は使徒上がりの巫女たちから選び放題で、羽目を外しすぎた者が時折その座を失うことになる。直近では45名ほどの巫女を孕ませた司教が位を干され田舎暮らしをすることになってしまった。


 そんな司教がここにいることはまず起こることのないことで、使徒たちも恥ずかしさから所作を忘れて前を隠してしまう。


 予定に無いことだがタジリンが動揺することはない、あるとすれば完璧に所作を保ち続けることだけ。


 カーテシーをするには向かない服装であるため、形だけ装いお辞儀をすると司教はじっと彼女を見つめ続ける。その視線はいやらしく無くまして性的なものでも無く、どこかいぶかしげに彼女を見ているようで。


『ようやく接触してきましたね、お嬢様』


『ええ、でも彼が本当に関係があるのかはまだ分からないことです、気を引き締めて……』


 グッと顔が持ち上げられると司教ではない別の人間の仕業だとすぐに分かる。いつからそこにいたのかはタジリンにもセルベリアにも分からないためその銀髪三つ編み眼鏡メイドは目を見開いた。


『いつのまに!』


『セルベリア落ち着きなさい、おそらくは聖法気による気配遮断よ』


 アゴに触れるその手はブヨブヨで肉質は霜降りであろうその体を支えている足は短足に見えてしまう。


「ふむ、たしかに美しい、美しすぎる」

「……」


 相手はその装いから司教であろう、タジリンは不機嫌な表情を隠して目の前のプヨプヨな顔を眺めている。油ぎった鼻にムチムチの目元、とてもじゃないが久しぶりに見る醜さに内心嫌悪感を持つ。もちろん様子を見ているセルベリアはそのクールな表情とは裏腹に殺意を抱いていた。


「使徒タジリン、今日からお前の指導を行う司教のクラググだ、あちらの無表情の男も司教でアドノアという」


 ちらりと教員の方を窺うも教員も理解していないのか首を左右に一度だけ振る。


「指導というと、いったい何をするのでしょうか?」

「決まっておるだろう、とぎやそれに関する指導だ」


 は?と思ったタジリンに対して扉の方でバキッと何かが壊れる音が鳴ると、セルベリアが教室の壁に穴を開けたようでそこへと視線が向けられる。


 誤魔化すように彼女は笑みを浮かべつつ前に歩き出すとタジリンの横に並んで言う。


「こちらはモルラルダ国の貴族で国王ベッテンバーリッツ=モルラルダ様より大切にするように申し付けられております、伽の指導など必要性を感じませんが――タルトン大司教様はご存じなのですか?」


「なんだこのメイドは、この学園のことはタルトン大司教よりもクロンテナン大司教の管轄、タジリンの美しさは今から大司教夫人になれるようにこちらが配慮して指導するのだ、他国のメイド風情が口出しする出ない」


『この豚が――』


 タジリンのアゴに触れ続けるクラググの手をバシッと叩いて退けると、セルベリアは真顔で彼を睨みつけて言う。


「この方はお前ごときがどうこうできる方ではない!」


 セルベリアの憤怒の様子を見て回りはあわあわし始める。いつも冷静な彼女が声を荒げたのだ、驚いて当然のことだった。


「この!メイド風情が――」


 ゆっくり肩を上げるもそれが肘から上が肩より上へ上がることなく彼の肩の柔軟さが無いことを察することができる。


 だが彼が腕を振るう前にタジリンが口を開くとその腕は途中で止まる。


「女神ラフィリーシアの名において、聖法気で劣る者が勝る者を従えることなかれと言われております」


「な、なんだ!この聖法気の濃さは!」


 クラググの驚きもだがアドノアや他の使徒たちも驚きを隠せない。


 タジリンの体を神聖な聖法気が青白く見て取れる。大司教でさえ手のひらを覆う程度の聖法気を全身に纏い、さらには周囲をも巻き込んでいる。


「クロンテナン大司教様におきましては、よもやタルトン大司教様から伺っていらっしゃらないのかしら?私が今代の聖女であるということを――」

「せ、聖女様!?」


 アドノアの表情もクラググの様子も豹変する。アドノアは慌てた様子でタジリンの前で両膝を突くと両手を前で結び声を上げる。


「聖女様!申し訳ございません!此度の行動はクロンテナン大司教様のお考えではなく、我ら二人の勝手な行動でございます!」


 頭を下げるアドノアに対しタジリンは聖法気を緩めることはしない。


「大司教様の考えでも無く私にこのように乱暴狼藉を働くあなたたちは本当に司教としての器でしょうか?」


「それに関しては全くもってその通りでございます、他国の圧力に屈したタルトン大司教のお言葉を信じられず、この度の行動を起こしてしまいました」


「わ、私も司教アドノアに同意してことを起こしました、本物の聖女であれば自ら我らの行いを正すことができると思い」


 二人の言葉にタジリンは笑みを浮かべて言う。


「今後同じことの無いよう今日の行いを悔い改めて下さいますよう、お二方には期待いたします」

「「はい!」」


 二人がそう返事をすると彼女は聖法気を一瞬で消した。


『どうやらアドノアの言葉は本当のようね、クラググはどちらに転んでも自分に理があってのことのようですが』


『豚は加工しましょう、有機物として肥料にでもすれば役に立つことでしょう』


 今も怒りに満ち満ちているセルベリアは笑顔でそう言う。


わたくしあれで育った食物を食べたくないのだけれど』

『……たしかに、動物の餌ようの肥料として村に送りましょうか』


 加工する気満々のセルベリアの前でクラググとアドノアは頭を下げるとその場を逃げるように去って行く。


 そして残された教員と使徒たちも目の前で起きたことに膝を突いて両手を結んだ。


『セルベリア、この後はどうすれば正解でしょうね』

『とりあえず教員を説得して箝口令かんこうれいを敷きましょう』


 どっと疲れを感じたタジリンはそれでも所作の丁寧さに気を抜くことはなかった。

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