9 リンとヒヒラの休日
この村は退屈だった。
男は頭が筋肉でできていると思えるほど頭が悪く、女は皆私と同じく小さい頃に学習に対する限界を迎えて、良い妻や良い母に良い女と女であるところを磨く石と化す。
あれはいつだっただろうか、私が尊敬していた人が実際にはそれに値しないほど凡庸であると知ってしまった時か。それとも自身の姉が嫌いな人間との婚姻を無理やり飲み込んで苦行の表情を浮かべた時だったか。もしくは、自分の将来の婿が暴力的胆力なしだと知った時かもしれない。
すべてが退屈になった。
朝起きて顔を洗い、朝食の準備をして食べ、そして本を――いや、それはもう昔のことで、今は洗濯をし掃除をし野菜を収穫し雑草をとり昼食を作りそして食べる。食器を洗い、雑草をまた抜いて夕方になると夕餉を作り食べ体を洗い眠りにつく。
本を読んでいた頃はよかった、それだけで色々な知識を知れた。開くだけで知らない土地へ出向き知らないことを知ってそれを詳しく知るために別の本を開いた。だけど、それはもうしてはいけないことで。
盾の家紋での修学は7歳には終えてしまう。だからだろうか、女は男より大人になるのが早く、子どもでいることが短い。男に生まれたならこんなにももどかしくなかったのではとも思い、また、それが空しい想像であることもすぐに悟ってしまう。
ただ、すべてが無意味に思えた。
「ほら見てごらんよ!これが弓の家紋の印を記した弓だよリン」
無意味?退屈?そんなもの彼のそばでは感じることなどない。毎日が発見や新鮮に満ちていて、退屈な労働も糧として置き換えられていく。それはまさに幸福の形をした存在と思えるほどに。
弓の家紋の長の一人息子で頭の悪い子ども、知性の欠片もなければ将来性もないただの石。それが私のタジン個人への印象だった。
だけどある日それは大きく変わった。彼の中で何があったのか知らないし、それよりもどうして?なぜ?と思えることが多いから、だから気にする暇もないほどに充実している。
弓に頬を擦り付ける彼が、私の心に毎日水を注いでくれる。もうそれ無しでは生きていけない海の魚のように、彼に依存してしまっているのが分かる。
彼の妻に将来なると聞いた時の私は恐らく子どものようにはしゃいでいただろう。彼が作ったこの羽毛の布団で足をばたつかせたのは何度目だろう。明日が来るのが待ち遠しく寝れない日はどれだけあっただろう。
「リンほら、ここを持つことで印が隠れて普通の弓にしか見えないようにしてあるんだ。君の指輪の盾の家紋の印も外から見えないから、まっ見られてもただ家紋を掘ってるだけだと言えば誰も印のことまでは気にしないだろうけどね」
今、
人の顔がまともに見れない、そんなことが起こりうるなんて本にも書いてなかった。これは私が憧れた人が言っていた【恋】という病気なんだ。あの頃は嘘だと思っていた、誰もあの人以外が言ってなかったから、だから嘘だと思っていた。
ばば様ごめんなさい、ばば様の言った通りでした、恋とは本当にある病なのですね。意味もなく顔を見つめ、意図せず姿を目を追ってしまう、その笑顔がまるで自分のことのように嬉しい。
「どうしたのリン?ほら、隣に座って――」
近い近い近い!――こ、こんな距離!無理!私の心臓の音が聞こえてしまうわ!だめよ!相手はまだ子どもよ二つしたでも子どもは子ども!冷静に、冷静になるのよ。
彼の隣に座ってその髪を指で
「ん?髪の毛ずいぶん綺麗になっただろ?君と同じ洗髪薬を使っているからね、君の髪のこのさらさらには負けるけど」
髪の毛を梳いて梳かれて……あぁこの時間が
子どもだと思っていた。
彼は今私がそんなことを考えているとは思いもしないのでしょうね。だっていつもと変わらない、のんびりとした様子で自分の新しい発想を口にする。私はそれを叶えるお手伝いをし続けることが日々何よりも楽しみで仕方がない。
そうだ!こんな休日を時々過ごすのはとてもいいことだわ!彼のためにも私のためにもなる、とても、とてもいい考えよ。
私が考える休日は月に一日嫁が彼を独り占めできる日。これからきっとたくさん彼は妻を
ヒヒラ、その名は舞い落ちる花びらのように美しいという意味で付けられている。
「まったく、もう、どうなってるのかしら」
私はただリンのそばにいればいい思いができるのだと思っていた。でも実際にリンではなくタジンの方が知識の泉の方だった。次々と新しいことをして次々と新しいものを作る。でもそのたびに私もリンもシャユランとハクラも忙しくなる。
別に嫌なわけではない、それでも次々とはやり過ぎだと思っていた。だから私は彼を
7歳か~、あの頃は私も将来を夢見ていたけど、婚約者のドノバに逢った時すべて悟ってしまった。私の未来はあの頭の悪い男の下で子どもを産んで育てるだけなんだろうな~って。13の夏、夫となるドノバの兄に胸や尻を触られ始めて彼に辞めさせるように
その頃だった、私が機会さえあれば別の人へ嫁ぎたいと思ったのは。だけどこの村でそうそう簡単に変化は訪れない、万に一つも可能性がないのだと日々諦めが私を
「でも、こうしてタジン様の嫁になることが決定している、それも想定していた鼻たれなんかじゃない」
知識高き男を賢者と言い、女は魔女と言ったと聞いたことがある。彼は間違いなく賢者でその知識の泉は無尽蔵に湧き出てきている。
私の胸を支える下着も、この気持ちいい湯舟も――それを沸かす火の印もだけど、彼の着眼点は神のそれ。まるで理解できない、急に何かを言い始めたと思えばその次には試作が始まっている日々。
「タジン様が賢者であることは私とリンとハクラとシャユランが知るだけ、他の人には教える気もないけど」
あのタジンが、と言われて誰も信じることはないだろうけど、いつかは彼の凄さに気が付く人も現れる。でも私はこれから一番年上の妻になるわけで、いつか彼が飽きて話をすることもできなくなるかもしれない。
怯えるのは悪いことではない、そう姉様は言ったけど私はやはり怖いものは怖い。若ければ若いだけ愛される、そんな女の特権が立場が変わると無意味になる。そんなことを思っていた私の考えは彼の言葉ですべてがひっくり返ってしまった。
「女の価値は30が最も美しく気高い、そうなる前に止めてしまえば女の美は永遠だ……か、止めるってことは不老ってこと――」
そんなことできるはずがない、そう頭で思いながら心では彼を信じたくなってしまう。いつかは追いつくという彼の言葉、見た目ではなく心で歳は決まるのだと。
お風呂に浸かりながら考えごとしていると脳が溶けてしまいそうになる。長風呂は毒だと彼が言っていた理由が分かった気がする。
村にあるお風呂は男専用の大浴場と女専用の大浴場、そしてタジン様や私たち専用の小浴場。と言ってもこれはお風呂の試作品で特別にというわけではない、と周りには言っているもののやはり彼が専用が欲しかったから作ったもので。
彼が、お風呂は入りたい時に入れてこそいいものなのだよ、と言った言葉通り、休日の昼間にこうだらだらと長風呂に入れるのはとてもいいものだわ。
「でも、もう無理ですタジン様、お先に失礼します――」
「じゃー俺も出ようかな」
私が立ち上がると彼も私の近くへ寄ってくる。これは抱えて出てほしいんだと理解した私はまだまだ小さい彼を抱えてみる。
軽く、男性のそれも可愛らしいものだ、前に見たドノバの兄のより明らかに小さい。でも将来はあんな奴よりも大きくなるのだろうか。
男の一物は大きければ大きいほど良い!
そんなことを考えているといつものアレがやってくる。ハッ!とするどこからか見られている視線、窓もない場所から天上からどこからでも感じられる視線。最近彼と入浴する際には常に妙な視線がある気がする。とてもねっとりとして時に鋭い、そんな視線が彼と私に向けられている……いやな気配、だけどどこか見守られているようなそんな……。
「ヒヒラ?どうかした?」
「タジン様は気になりませんか?この視線」
「ん~多分どこかの高性能な人工的な奴のノゾキアナなんだろうけど」
「タジン様って私の独り言も気にしないですよね?」
彼は私が一人で勝手に話していても気にもしない。私に興味がないのか、それとも聞いていないのか。
「だって可愛いからね、独り言を言ってるってことはそれだけ俺のことを信頼してるってことでしょ」
「……タジン様~愛してますよ~」
「ちょ、胸が~」
口元がにへらと笑う彼はそれなりに女を意識しているから、将来手を出されないことはないけど、成人して10歳で狩りを始める頃には女を抱ける男もいることからそれが成人としてある。成人が遅いということはそれだけ人口が多いと習ったけど、この村は万年人口が少ないからこれからも成人は変わらない。
だからタジン様も後三年もすれば――
「ヒヒラ、なにを口元を緩ませて!またタジン様にいやらしいことを――」
「リン!そ、そんなことはあるけど、急に扉を開けないでよ!まだ二人とも裸なんだから!」
私とリンはいつもこんな感じ、ケンカもするけど仲は他の二人より良い。他の、ハクラとシャユランはまだ彼と距離があり、それが何故かは私には分かる。二人は怖いのだタジン様のことが。
リンと私は彼の考えが分からずともやりたいこと成したいことは理解できて、それが良識外であることでも受け入れられる好奇心があった。でも二人は理解できないことに対して恐怖を感じ、良識外のことを受け入れられないのだ。
彼女たちは修学でもあまり成績の良い方ではなく、私やリンのように家事や掃除や洗濯に退屈と思うこともない。洗濯が楽になったら暇ができて、その暇をどう過ごせばいいのか分からない。彼女たちは退屈を知らず暇を恐れ夢想を嫌い想像を拒む。
だからお風呂もタジン様と入ったことはないし、食事は二人きりでとっていて私やリンと壁がある。仕事をちゃんとするからタジン様は気にしてないようだけど、将来彼女たちが選ぶ道が誰かは分からないけど、暴力的な元の婚約者のもとには戻ることはないだろう。
「そういえば、二人にあとで見てもらいたいものがあるんだけど」
「私はいいですよ、面白そうですし」
「わ、私もです!もちろん見ます!」
今日は休日だけど、こうして三人で楽しく過ごす日を作ってくれた彼に感謝しないと。でも、あの二人はこういう時何をしてるのかな?工房にもいない、寝室にでも
着替えた私はリンと2人でタジン様を探していた。けど、まさかそこにシャユランとハクラがいるなんて思ってもみなかった。二人はいつもとは違う様子で目を輝かせていて、それが何か互いの指先に視線が集まっていた。
「これが二人に見てもらいたかったものだよ」
「何これ……綺麗」
「これはネイルというものでね、女性の遊びの一つなんだ」
赤い色が塗られていたり、青い色だったり、指先が
「シャユランは手先が器用でね、だからネイルをするのは彼女が一番得意になるだろうと思っていた。だから先週から密かに練習させてたんだよ」
「そ、そうなんだ」
いつの間に、そう思ったと同時に二人を気にかけていたのは彼も同じだったんだなと思った。二人が私やリンと壁を作ってることに気が付いて、そして私たちの仲を取り持つために彼は今日という日を用意していた。
そこからはネイルの更なる技術向上のための話し合い、それにシャユランにネイルをしてもらい、私は全部ピンクに塗りリンは綺麗な青に塗っていた。
「ネイルはまだ色だけだけど、いつかは一つの爪に花の絵を描いたり、模様を描いたりしてあとはキラキラ光る素材があればそれを付けて綺麗にするんだ」
もう二人に暇を恐れ夢想を嫌い想像を拒む様子は無い。彼女たちも見ている間にタジン様の虜になってしまった。
彼は本当にすごい、私たちが思いもしない方法を手法をその知性より彼に与えられた。神がいるとしたら彼のそばにいるのかもしれない。
ん?つまり彼のそばにいる時の視線はもしや神?いや嫉妬するということは女神なのかも。
そんなことを思いながら今日の休暇は終わりを告げ、明日からまた違う私たちが彼のそばで笑っていることだろう。
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