3話 名もなき村

 この村に名はない、それはあまりにも領地のはずれにあり税を納める義務もなければ領主からの助けもない。この村はそういう村だ。


 一番偉い人はいないが大人が団結してこの村を守っている。五家門の中でそれぞれの当主が出る会議があり、その場での話し合いで解決できなければ多数決で物事が決定される。


 最近の悩みといえば男児の減少で、タジンの家も父アデジオの兄弟の家も女性の割合が多い。だから男が複数の妻を娶ることが当たり前になってしまって、父アデジオも妻は3人いてタジンを産んだ母タリンが正妻として母屋で暮らしている。


 他の二人の妻も女の子二人づつと現在も子どもを身籠っている。ちなみに母タリンは父アデジオのことを好きで結婚したわけではないし、まして彼が彼女を選んだわけでもない。だからと言って愛がないことはない。


 それでも二人はタジンのおかげで夫婦の中では一番仲が良くなった、だがそれと引き換えに残る妻たちは少しだけ寂しい思いをしている。けれど、悲観するほどではなくむしろタジンのおかげで夫の雰囲気が柔らかくなったことで彼女らの心労も間違いなく減った。


 二の妻ユノアとその娘長女タノメと次女ミリア。ユノアは最初にアデジオと結婚した妻で、長女タノメは既に16歳で嫁ぎ先は他家の妻がいない長子へと嫁ぐことが決まっている。


 この村では16歳となると実家から嫁ぐ家とを行き来して一年間を過ごす。それは嫁いだ家での決まりを覚えるためで、家門で決まり事が大きく変わるからだ。アデジオの家は妻が親戚の男と関係を持つことはないが、彼の兄弟の家ではそれが許可されているために時々アデジオや他の兄弟のところへということもある。


 アデジオの世代はまだ男が多く、妻も多いというのが当たり前になってきたため、女の妻としての務めはむしろ男児を産むこと重要視されている。


 だからタジンを産んだ母タリンのように危険を伴う出産を何度も経験する必要もなくなり、妊娠しないために一番の働き者になったりすることもある。それは妊婦が誰からも優しく扱われるように昔ながらの村の風習が残り続けているからということにもつながる。


「ただいま、はは様」

「お帰りタノメ、あら?それはどうしたの?」


 二の妻の家に帰宅した長女タノメが抱えていたのは頭ほどのツボで、母ユノアはそれに興味深々で大きな腹を優しく抱えながら椅子から立ち上がる。


 受け取ってふたを開けると中身は果肉たっぷりのジャムで、この村では古くからある妊婦への栄養価の高い贈り物になる。


「まぁ!おいしそうね!」

「おばば様が母様にと、男の子が生まれますようにだそうです」

「おおかか様ったら、ひ孫に男児がいないからって……」


 五家門しかない村はいわばどの家にも何代か前には近い血筋がいるのは当然で、年寄りの小言は嫁に出る女たちの重荷でしかない。


「ま、この子が女の子でもアデジオも責めたりしないから別に気にしないのだけどね」

「……私も男の子産めればいいんですが」


 タノメの言葉にユノアは優しい母の笑みを浮かべてそっと抱き寄せる。


「気にしすぎないの、子どもを産むだけでも大変なことなのよ。だから産んだだけでも偉いし、生まれただけでも偉いのよ」

「……ありがとう、母様」


 抱きしめ返そうと腕を後ろに回したタノメだが、弟妹であろうその膨らみに遠慮してそっと腕に手で触れるだけに止めた。


 アデジオの一族は弓の紋を家紋とする。年寄り集が暮らす大屋敷、家長アデジオが所有者になる建物が三カ所あり、アデジオの弟二人と二番目の弟の息子二人が暮らすためにそれぞれ同等の敷地に建物が与えられている。


 この村は北側に家門の居住区があり、北東や東や南東そして南にそれぞれ家門の居住区がある。アデジオたち弓の家紋の居住区は南に位置していて、その場所の中央から東に向けて彼の一つ下の弟の家がありその関連の建物がある。


 中央から西には二番目の弟の家と夫人たちの建物、さらにはその息子が成人してるためさらに二つの居住区が西に並ぶ。


 村のど真ん中の南の建物には年寄り集が暮らす大屋敷がそれぞれあり、介護が必要な場合は女集総出でする決まりになっている。


 タノメが嫁ぐのは北東の家門で槍を家紋とする一族だ。その家紋は最も年老いた老婆がおりそれが彼女にとっては母の祖母で、槍家でも長らく権限や発言力を持つ。


 北の家門は鎧の家紋、北東は槍の家紋、東は剣の家紋、南東は盾の家紋、南は弓の家紋。それぞれの家紋は今ではなぜそれなのかを知る者も語る者もいない。


 どこもが仲良すぎることもなく、どこかがどこかと不仲でもなく、それらは手と手を握り合い腕を絡め合い唇を重ね合い血を交わらせて繋いできた。


 でも、そんな村にも覆すことができない必然な決まりごとが一つある。それが――【】だ。


 妻を娶らせるなら知高き者であれ、家長を選ぶなら知高き者であれ、方針を決まりを決めるなら知高きものであれ。


 普通の孤立した原始的集落なら力を――というかもしれない、けれどここはそうはならなかった。知性で人を束ねここで根付いた祖霊を見習い、彼らは基本的な物事を知性的に解決していくようになった。


 西に広がる田畑が動物に襲われ作物がダメになったならそれに対する対策を話し合い罠や堀を用いて守る知性を用いた。


 そうしてこの村は知性を尊ぶように婿や跡継ぎには賢さを求めた。


 そして、タジンは賢さとはかけ離れていて、だから彼の世代以降に男児がいなくとも彼の世代の女の子は家の方針で年の離れた者へと嫁ぐことになっている。


 近くて8歳は離れている、これから生まれるならもっと離れてしまうだろう。理性的で知性的な子どもだったならタジンは何十人でも嫁をとることになっていたに違いない。それが異母妹でも。


 だが近親婚はある程度規則がありそれに当てはまらなければまず起こらないことではある。そもそも現状の彼の遺伝子は母の血も父の血もかなり遠いものではあるのだが。


 そういうもろもろもタジンの変化によって何が変わるのか、それはこれからのことで――


「タジン最近変じゃない?」

「ん?何がです?タリンさん」

「ん~最近うんちにも反応薄いし、この前だって急にマホウマホウって言いだして、何のこと?って思ってたらカミノミチのことだったのよ」


 母タリンと三の妻デリナは元々二の妻三の妻だった頃から仲が良かったが、立場が変わってからもそれは続いていて、タリンは年下ではあるものの立場的に敬語では話せない。


「カミノミチですか?術氏が用いる神の導のことですよね、この土地の本来の持ち主である領主だけが扱える妙技だとか」

「さすがデリナね、修学の徒であるあなたの父様が一番賢いと言われるだけはあるわ」


「で?タジンはカミノミチについてなんと?この弓の家紋ではあまり口にすることもない言葉ですよね」

「それがね、あの子空にカミノミチでできた膜のようなものがあるっていうのよ」


「空に膜――ですか……」


 デリナは、それは外殻のことだわ、とすぐに察してしまえる知識があった。


 外殻はカミノミチに必要な神の血を無散させないためのカミノミチによる術だったはず、それを子どもが見て気づいたというの?それもあのタジンくんが?


 デリナは村で一番聡いとされている盾の家紋の出で、その違和感に色々な考えが浮かんできてはタジンの鼻たれを想像すると消え失せてしまう。


「タリンさん、タジンくんは――とても目がいいのではないでしょうか」

「……目がいいのね、つまり妄想か何かかしら」


 デリナはカミノミチを見ることができる優れた目を持っただけの男の子と言ったつもりだったが、タリンはただ視力がいいのだろうと勘違いしてしまう。


 そんな風に徐々にタジンの変化は周囲に気づかれていた。

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