1話 その名はタジン!


「タジン?タジン!もう~どこ行っちゃったの?」


 若く可愛らしい母親の子どもを呼ぶ声が響いている村、その名もない村には家門にして五家門の家族が暮らしていて小規模な集落となっている。


「だは~!マァマ!」

「タジン!もう、また鼻水たらして!どうしちゃったの?体調はどう?」


 鼻水をだらだらたらしているこの子どもの名はタジン、6歳になるが体が弱くよく風邪気味であるため鼻水をたらして歩いている。


「ほら見で!」

「きゃ!それは――」


 鼻水をたらしながらその左手に持つ木の棒の先端に刺さった物体に母親は驚愕する。何せその物体が人か動物か何者かの排泄物、いわゆるウンコだったからだ。


「もう!汚いから持ってこないでって言ってるでしょ!」


 いわゆる典型的なアホな子。


 タジンは父アデジオにとっては5番目の息子であり母タリンにとっては一人息子で、異母姉異母姉異母姉異母姉と続く末っ子弟であるが、そのせいでとても自由に……気ままな教育の下に鼻水をたらしてしまっていた。


「ウンコ~」

「汚い!」


 腕を叩かれたタジンは木の棒を放してしまい、自由落下する排泄物を眺めながら目元に徐々に涙を浮かべていく。


「ボクのウンコ~」


 まるで宝物でも失ったかのような彼に対して呆れ顔を浮かべる母タリン。くたびれた靴を履いた左足を持ち上げるとそれをまき割りの斧が如く振り下ろして踏みつけた。


 乾燥していたのだろう、それが粉々になって塵となるさまをタジンに見せつけて言う。


「バカなことしてないで手を洗ってきなさい!お昼できてるわよ!」


 細身ながら流石に問題児の母。排泄物ごときには一切怯むこともなければ、末っ子長男の鼻水にも一切動じないまま手で拭って右腕で空を切りつけ振り払った。だが、鼻水は拭いたらまた穴からたれてきて母タリンは息子を抱えて井戸へと向かって行った。


 小さい村、それ以外に言い表すことができない場所で農業や狩りを主にして生活している彼らは、慎ましいながらに満足する日々が流れている。それが唐突に終わりを迎えることも知らないままに。


 昼食はそれぞれが気ままに食卓でとる彼らの家庭では、だいたいタジンが最後になってしまうことが多い。そもそも父アデジオと長女タノメと次女ミリアは彼女らの母ユノアと一緒のタイミングで食べ、三女ルナと四女アナ彼女らの母デリナと食べ、母タリンとタジンは本来最初に父アデジオと一緒に食べているはずが、タジンがその時にいないため最後になっていた。


 この村では男は10歳となるまでは自由な生活を送れるようになっていて、女は幼い頃から嫁入り準備として家事手伝いをするのが普通。だからタジンは食事以外を一人で過ごすことが多く、同世代が女ばかりなのもあって一人遊びが当たり前になってしまった、それが彼が食事の時間を守らない理由でもある。


「タジン、食べたらまた森で遊ぶの?」

「うん!」


 粥と野菜のごった煮のような昼食をあっという間に食べ終えたタジンは、いつものように家から南の森へと駆け込んでいった。彼にとっては庭のような森だが、それは南の森だけで北の森と東の森に関しては狩場となっているため入ったことがない。


 この村の周辺の森は毎年狩場となる場所を変え、森の恵みが枯渇しないようにと考えられていて、今年は南の森が狩場から除外されているために子どもの遊び場になっている。そんな森で遊ぶのはタジンのような子どもだけで、10歳以上の男児は北の森にて狩りの修行を遊びのように日々こなしている。


 その日とれた恵を五家門で均等に分けるため、男児の少ないタジンの家では女にも肉を食べられるが男児が多い家はそうはいかない。女が肉を食えないことは多々あるがそれでも男児が多いことでメリットもある。


 均等といったものの、それは大人が狩猟した獲物のみで子どもらのみで獲った獲物は矢や槍が刺さった者の物となるため、数がいればそれだけ各家への肉の数が増える可能性も上がるというもの。だが、それも狩猟の才能があればこそといえる。


「うんぢ、うんぢ」


 鼻水をたらしながら乾燥した排泄物を木の棒でつつくタジン。実はこの行動も遊びと言いつつ乾燥具合で周囲の動物の有無を見極める訓練……ではあるのだが、彼の場合はただそれをサイズだけで良いものと判断したら母や姉たちに見せ嫌がる姿を見るのが楽しみとなっていた。


 南へふらふら東へふら西へふらふら南へふらふら、しばらくすると川が見えてくる。タジンは川遊びをまだ許可されておらず、遊び方もあまり分かっていないため近づこうとはしない。だが、その川辺に黒く丸いものの影を見つけると目を輝かせ鼻水も輝かせながら駆け寄った。


「う~ん~ぢ~」


 彼の目に映る物は実物と少し、いや、かなり違うものではあるのだが――その興奮ゆえか彼の歩みは止まることがなかった。


 つんつんぷにぷに、それは黒いスライム状の何かに見えるが、実際には惑星の大気圏を音速で駆け抜けたBと呼ばれる代物。やがてそれはゆっくりと宙へと浮かび上がり、タジンの顔の前で停止するとぐにゃぐにゃとその形を変化させてみるみるこの惑星には存在しないハチと呼ばれる生物の姿へと変わった。


 見たこともないものには大概恐れるか興味を持つかの二択だろうがタジンはそのどちらでもなかった。


「なんだ……うんぢじゃないのか~」


 そう呟いた瞬間だった。


 ハチの形をしているもののその羽は微動だにしてない、がハチが持つ針の部位が唐突に細い糸ほどの太さでタジンの胸のあたりにすり抜けるように伸びる。それには痛みもなく彼は鼻水をそのままに呆けた顔を浮かべた。


 だがその数秒後に彼の体は微細な振動をし出すと、目鼻口からツゥーと鮮やかな朱色が流れだした。血を見た瞬間も呆けた顔のままタジンは仰向けに倒れて激しく体を打ち付け痙攣する。


「ま……ま――」


 その場で意識を失った彼に何が起きたのか、それは体内の血液をすべて入れ替えるための工程であり、ハチの体から次々に糸のようなものが飛び出る。


 体内の血とそのハチから出た糸が入れ替わる理由は、それが体内で血液の代わりや体組織の代わりとなるナノサイズの機械集合体だったからだ。おびただしい量の血が地面へと流れてナノマシンが体内の血に変わる、だが、それでこの異常が終わりというわけではないようで。


 脳・記憶・知識というべきものが情報体としてタジンの中へと泉の如く溢れていく。簡単な数式から難解な数式、化学に科学に工学に経済学などや体の使い方を次々実体験のように蓄積していく。泳ぎ方から軽業かるわざや格闘から護衛術その戦術まで色々と終えると、急に宇宙の知識から宇宙工数学や宇宙における艦隊戦術などの知識が走馬灯のように見せられる。


 その間もタジンの体はまな板の上の魚のようにぴくぴくと跳ね続けている。血が乾きだした頃には森の静寂と同様に鼓動の音以外にはなく、ハチもそのすべてを彼の体の中へと入りこんでいた。


『体内浸透率100%、自動学習率97、98.99、100、コンプリート、意識的覚醒まで約10分、周辺危険度無し艦長覚醒まで待機命令を遂行します』


 凛々しい女性の声がそう告げると再び周囲には川のや森の音だけになった。

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