第2話 行きずり



 ◆大盤振る舞い

「まったく、こう暑くっちゃ、いやになっちゃうね」

 隣のテーブルに新客があった。


 五〇がらみ、ハンチング帽をかぶっている。百均で買ったのか、クリアファイルか何かが入ったレジ袋を提げていた。

「ビールと、そうだなあ、この刺身セットにしようか」

 男はメニューを指さした。

「あっ、女房と娘が後で来るからね」

 家族連れのようだった。


 ビールが出た。男はコップに注いで、一気に空けた。

 大きく息を吐き、再びビールを注いだ。


「お姉さんたちは、近くなの?」

 二人に話しかけてきた。

「そうなんよ。ウチら、そこの団地。毎日、暑いのう。冷やいビールが一番よねえ。お兄さんはどこに住んどるの?」

 粕原さんの友人は気楽に応じている。男に免疫がない。


「オレかい。オレは隣り町だよ。姉さんたちは西の出身かい。冷やい、なんて、なつかしい言葉聞いちゃったなあ」

 友人は、広島の生まれだと答えた。まるっきり無防備だった。


 女店員が刺身を運んできた。

「この人たちにコーヒー出してあげて。こっちに付けといてね」


 ◆ゲップ

 友人は丁寧に礼を言った。粕原さんも頭は下げておいた。


 コーヒーをいただきながら、友人は広島の話などしていた。

 男はビールを追加注文した。粕原さんたちに聞こえるほど大きくゲップをした。


(あの人も所かまわず大きなゲップしとったなあ)

 スナックで知り合い、しばらく同棲したことのある男も、粕原さんによくゲップを吐きかけていた。

 ギャンブル依存症だった。前夫からもらった慰謝料をかなり使われてしまった。


(この子は男で苦労しとらんから、ガードが甘いな)

 粕原さんは、友人の若作りの横顔を見て思った。


「強いんやね。そがいに飲むと、奥さん、心配するのと違うか?」

 友人は椅子の向きを変えて、話に応じていた。粕原さんは外の風景に見入っていた。


 ◆長居

「広島か。オレ、営業やってたから、よく行ったぜ。いいところだよな」

「ウチは廿日市なんよ。最近、災害が多いんよ」

 話が弾んでいる。


(あの男に似とる)

 男がペラペラとしゃべるのを聞きながら、ふと思った。


 同じフロアの蕎麦屋だった。

 粕原さんと前後して、男が隣の席に座った。

 日本酒とつまみを取りあえず、注文した。男は飲み始めた。


 粕原さんの注文が出て、あらかた食べ終わっても、男は飲んでいた。独り言を言い、しきりに頷いている。何本も徳利が並んでいた。

「姉さん。トイレはどこだい?」

 酒を運んできた女店員に訊ねた。


「年取ると、トイレが近くなっていけねえや」

 言いながら、男はお銚子を空にして、外のトイレに向かった。


「お隣のお客さん、トイレから帰られてないですよね?」

 粕原さんがレジに行くと、女店員が訊いた。

(トイレやから、長いことやってあるやろ)

 粕原さんは思ったが、ほかの可能性も排除できなかった。

 女店員にしてみれば、まさか覗きに行くわけにもいかないだろう。店には困った客も来るものだ。

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