第4話 子犬と共に

 ヴィオラが作った元の美容液を解析し、ヴィクターの呪いは晴れて解除された。その日、公務が終わるとヴィクターは一目散に自室へと下がった。しばらくして、それまでと雰囲気を一転させた穏やかなヴィクターが現れた。


「殿下、お具合は……」


 ヴィクターの姿を見て駆け寄ってきたディオンの手をヴィクターは固く握る。


「ディオン、心配をかけた。辛かった、本当に辛かった」


 解呪は成功したのだと知り、事情を知る者はヴィクターを心の中で祝った。


「エドガー、すまなかった。確かにその辺の女など、どうでもいいな」

「わかればいいさ」


 エドガーもヴィクターの肩を叩き、解呪を心から祝った。


「そして父さん、俺の呪いはいつ解いてもらえるんだ……?」

「お前はもう少し犬でいろ。せめて殿下と同じくらいの期間な」

「そんなぁ……」


 呪いは術者の意志で解呪できる仕組みになっていた。がっかりするエドガーにヴィクターは声をかける。


「女のことなど考えなければいいのだ、そうすれば犬にもならないぞ」


 自信満々なヴィクターをエドガーは睨み付けた。


「畜生、他人事だと思いやがって……」

「畜生に言われたくないな」


 ディオンとヴィクターは笑った。晴れてエドガーが人間に戻れる日は、まだ先のようであった。


***


「リリィ! 呪いが解けたぞ!」


 喜び勇んでリリィの寝室へ向かったヴィクターだったが、そこにリリィはいなかった。


「リリィ、どこに行ったのだ!?」


 その辺にいた従者を捕まえてリリィの居場所を聞くと、リリィは皇居の中庭にいると言う。ヴィクターがすっ飛んで行くと、確かにそこにリリィがいた。


「あら殿下、ヴィオラ様がお詫びの品を置いていったのですよ」


 ヴィオラは「大学での実験が遅れてしまう」と挨拶もそこそこに留学先へ帰っていった。出立前、ヴィオラとリリィは少し話ができたようだった。


「詫びだって? あいつらしくない、珍しいな……」

「ふふ、私がねだったのです」


 するとリリィの腕の中で「わん!」という元気な鳴き声があがった。


「詫びの品って、まさか……」


 リリィの腕から飛び出してきたのは、茶色い小さな子犬だった。尖った耳に黒くてつぶらな瞳、黒っぽい尾をぴるぴると振る姿はとても愛らしかった。


「ふふふ、可愛いでしょう? すっかり私に懐いてくれたのよ」


 茶色い子犬はヴィクターの足元でふわふわと転がり、わんと鳴いた。


「い、犬はもう嫌だあああ!」

「あら、こんなにかわいいのに」


 リリィは子犬を抱き上げ、ヴィクターに手渡す。


「はい、あなたはまだお抱きになっていませんでしたね」


 おそるおそる子犬を受け取ったヴィクターは、そっと子犬の頭を撫でる。子犬は初めて抱かれるヴィクターの腕の中でぶるぶると震えていたが、やがて落ち着いたようにひとつ欠伸をした。


「かわいいな……」


 ヴィクターが小声で漏らしたのを、リリィは聞き逃さなかった。


「少し前まで、あなたもこんなに愛らしかったのですよ」

「そうか。それでは、もう可愛くない僕のことは好きでないのかい?」

「いいえ、もっと好きになったかもしれません」


 子犬がヴィクターの腕の中でくしゃみをした。


「これは大変だ、風邪でもひいたのか?」

「大丈夫ですよ、くしゃみひとつで」


 子犬を愛おしそうに見つめるヴィクターを見て、リリィは胸の奥でずっと疼いていたものの正体がわかった気がした。


「殿下、いえヴィクター様。この子に名前をつけてあげましょう」

「君がもらったのだから、君が名前を付けるべきだ」

「でも……私、わんちゃんのお顔を見ているとヴィクター様のことしか思い浮かばなくて……」


 ヴィクターから目を反らしたリリィを見て、ヴィクターは子犬を見つめた。


「そうか、それではこいつは今日からニッパーと呼ぶことにしよう」

「素敵なお名前ですね」


 子犬――ニッパーはヴィクターの腕の中でそのまま眠ってしまった。リリィはこのとき、ヴィクター・ミストウェルの妻になって本当によかったと満たされた思いだった。

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