第2話 嫌悪する子犬
リリィ以外の女性の身体に反応してしまい子犬になったヴィクターは、落ち込みに落ち込んでいた。
「最近犬になる頻度が増している気がする。日中も油断するとリリィがそばにいるだけで犬になるんじゃないかと怖くて仕方ない。もう僕はこのまま人間に戻りたくない」
かなり後ろ向きになっているヴィクターに、エドガーは慌てた。ここまで落ち込んでいるヴィクターをエドガーは見たことがなかった。
「待て待て落ち着け、そこまで卑屈になるなよ。男ならおっぱい見てヤりてーって思うのはごく自然なことだろう?」
「しかし僕は皇太子だ。そしてリリィの夫だ。他の女に懸想をしたなど、僕の中では万死に値する裏切りにも等しいんだ」
子犬はしょんぼりと尻尾を丸めた。その愛くるしい姿に似つかわしくない言葉をヴィクターは並べる。
「僕の中にリリィがいればそれでよかったんだ。ああ、何故僕は男なんかに生まれてきたんだろう。女であればリリィと永遠に清く過ごせたというものを」
自己嫌悪の先にヴィクターはついに自分自身を呪い始めた。
「おーい、いい加減帰ってこい。結婚式からずっと出してなくて溜まってるだけだって。呪いを解いて一発出せば、またその辺のねーちゃんのおっぱいなんかどうでもよくなるから」
エドガーの慰めに、子犬はくぅんと鼻を鳴らす。
「しかし、僕が他の女にときめいてしまったのは取り返しのつかない事実だ。もういい、このまま僕は薄汚い負け犬として生きていくよ。ヴィクター・ミストウェルは死んだと伝えてくれ。世話になったな、友よ」
そのままどこかへ去ろうとするヴィクターをエドガーは必死で取り押さえる。
「馬鹿なことを考えるな! リリィを未亡人にする気か!?」
「離せ! 僕みたいな出来損ないのちんちくりんの負け犬なんかより、もっとずっとリリィを幸せに出来る男がいるに違いないんだ!」
エドガーは暴れる子犬を捕まえ、その首根っこを掴みあげた。
「離すものか! お前はいつもそうだ! 常に自分が正しい、自分が偉い、自分が、自分が、自分が!!」
エドガーの叱責に、子犬は瞳をぱちくりと瞬かせる。
「たまには周りの奴らの気持ちも考えろ。特にリリィの気持ちを考えてるか!?」
「考えてるとも、彼女は素晴らしくて愛らしくて」
「そうじゃなくてだな、リリィはお前を一体どう思ってるんだ? 知ってるか?」
「それは……」
ヴィクターは次の言葉が告げられなかった。
「リリィは一体、僕が犬になって何を考えているのだろう? いや、そもそもリリィは僕のことをどう思っているのだろうか?」
急にヴィクターは恐ろしくなってきた。リリィへ愛を何千回と囁いてきた自信はあったが、リリィの方から能動的に「愛しています」と明確に伝えられた記憶がなかった。
「リリィは僕のことを愛していないのだろうか……僕が好きだと言っているから、僕に遠慮して付き合っているだけなのか? こんな負け犬で取り柄が立場しかない僕に!」
エドガーは暴れるのを止めた子犬を下に降ろした。
「そんなことないだろう。俺はお前のこと昔から知ってるけど、いい奴だって思ってるぞ。誰もお前のことそんな風に思ってないから安心しろ」
「本当か? たまたま皇太子という立場に生まれてその椅子にふんぞり返っていた哀れな男だと思ってるんじゃないか? 現に誰もここまで僕に気がつかなかったじゃないか!」
「そりゃあ、こういうところは他人に関心を払う場所じゃないから通りすがりの奴の顔なんかじろじろ見ないだろうよ。第一暗いし」
「でもあの女は僕に話しかけてきたじゃないか!」
「ただの客引きだろ。あの女はお前に話しかけたんじゃなくて通行人そのいちに話しかけたんだ、わかるか?」
「わからん!」
子犬はわんと吠える。
「あのな、今はリリィとお前の話だろう? 通りすがりの奴の感想なんかどうでもいいんだ、とにかく帰るぞ」
エドガーは子犬を抱き上げた。
「そうだったな、エドガー。僕はどうやらとんだ思い違いをしていたようだ。今はリリィのことを考えるべきだ」
子犬はエドガーの腕の中でふふんと鼻を鳴らした。
「溜まって苦しいのは僕だけだと思っていたけれど、リリィも溜めているかもしれないのだな」
何やら得意げな子犬を見て、エドガーは「お前全然わかってないな」という言葉を済んでのところで飲み込んだ。
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