第4話 他の女だの男だの
子犬になる呪いを解くために「他の女を抱こうとしても子犬になるのか」という実験を皇室魔術師長のディオンは提案したが、ヴィクターに拒絶されてしまった。
「しかし、殿下も年頃の女に興味くらいあるでしょう?」
「あるものか!! 僕はリリィに心を捧げてリリィのみを愛すると遠い昔に誓ったのだ!!」
「誰に誓ったんですか?」
「神の御前で僕自身に誓った!!」
ヴィクターは胸を張って答える。
「しかしながらですね、殿下。もしも、もしもですよ? 今はリリィ様が殿下のことを好いてくださっているから問題はないのですが、もしリリィ様が殿下のことをお嫌いだったらどうするつもりだったのですか?」
「そんなことはない!」
ヴィクターは自信満々だった。
「そもそも何故僕がリリィに嫌われるということがあるんだ? 彼女のために僕は生きているのだぞ?」
「では、リリィ様に死ねと言われたら殿下は自害なさるのですか?」
「リリィはそんなことを言わないから大丈夫だ!」
まるでヴィクターと会話にならないことに、ディオンは更に頭を抱えた。
ディオンも息子のエドガーから、常々ヴィクターがリリィのことになると普段の理知的な皇太子像が崩れてしまうという話は聞いていたつもりだった。しかし、リリィのことに加えて数か月も思いが果たせていないために少々理性が壊れているヴィクターと対峙していると、だんだんと頭が痛くなってきた。
リリィのことで暴走するヴィクターのことを訴えてきたエドガーに、ディオンは「恋の病につける薬はないから諦めろ」と軽く突き放してきた。これは酷な思いをさせてしまったと、ディオンは心の中で息子に謝った。
「それなら仕方ないですね、そうなるとリリィ様に協力を仰がねばなりませんが」
「協力? リリィに何をさせるつもりだ?」
「ですから、リリィ様が他の男に抱かれてそいつも犬になるかどうかという……」
ヴィクターは他の男に抱かれるリリィを鮮明に想像してしまった。
「リリィが他の男に、だと? あの気高くて美しい芸術品のようなリリィが、他の男に、だと?」
ヴィクターは嫌な想像を必死で振り払おうとした。しかし、脳裏に焼き付いた妄想がなかなか消えない。それどころか、隣でおあずけを食らっている子犬までしっかり想像してしまった。
嫌な妄想の発端であるディオンの胸ぐらにヴィクターは掴みかかった。
「貴様なんておぞましいことを言うんだ!? あり得るわけがない、リリィは僕の大事な……」
驚いたディオンがヴィクターを諫める前に、ヴィクターの姿は忽然と消えてしまった。
「大事な、なんでしょうか?」
マントの中でじたばたと暴れる子犬を拾い上げ、ディオンは椅子の上にヴィクターを置き直した。
「うう、殺してくれ……いっそ殺してくれ……リリィ、僕が悪かった。僕のせいだ、許してくれ……」
ぶつぶつと自己嫌悪を呟く子犬を前に、ディオンは途方に暮れてしまった。
「とりあえず、今のでリリィ様に呪いがかかっている可能性はまた低くなりましたね」
目の前にリリィがいなくても子犬になったヴィクターを見下ろして、ディオンはため息をつく。
「そうだ、ああリリィ、哀れなケダモノを許してくれ……」
事態は思ったより深刻であることをディオンは察知した。このままでは世継ぎ以前に、ヴィクターの精神衛生に非常によくないことは明確であった。
「それでは殿下、もう少し呪いの発動条件の実験を進めてもらってよろしいですか?」
「わかった、善処しよう……」
子犬はしょんぼりと項垂れた。
「それと呪いの解析と発動条件の実験に関して、私以外の者にも少々協力を要請してもよろしいですか? もちろん、お二人に近い人物で選定致しますので」
この時点で、ディオンはエドガーとイリスに協力を要請することを決めた。イリスには呪いの解析とリリィへのメンタルケア、そしてエドガーにはこの面倒くさい子犬の世話を任せる予定であった。
「ああ、好きにやってくれ……もう私はダメなんだ、きっとリリィと離縁しなければならないのだ」
これ以上はこの子犬と話し合いになりそうもないと、ディオンはため息をついた。椅子の上に伏せてぐずぐず言い始めた皇太子を抱き上げ、ディオンは皇太子の寝室へと連れて行く。
「それでは殿下、まずは元のお姿にお戻りになってください」
自己嫌悪に浸っている子犬に声をかけ、ディオンは皇太子の寝室から退出した。そして今度は本当に頭を抱えた。
公私ともに今のヴィクターを支えられるのは、ディオンの見立てだとエドガー以外に考えられなかった。しかし、エドガーにこの事態を全面的に任せるにあたって大きな問題があることもディオンは承知していた。
「あいつに今の殿下を本当に任せてしまっていいのか……?」
嫌な予感しかなかったが、ディオンはいち早く呪いの解析を行うことで何とか問題を広げないことが一番だと深く考えないことにした。
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