第3章 ああ言えばしばもふ

第1話 皇室魔術師長

 ヴィクターがリリィと結婚式を挙げて数か月が経っていた。世間では似合いの夫婦であると評判で、次は新たな世継ぎだとリリィの懐妊を誰もが待ち望んでいた。


「それで、改まって何のご用ですか?」


 皇室魔術師長のディオン・ロンドは「内密の話がある」とヴィクターに呼び出されていた。時刻は夜半に近い時間、場所は皇太子の部屋に程近い小部屋で、ヴィクターは念入りに人払いをしていた。かなり深刻そうなヴィクターとリリィの前で、ディオンはこれから何を相談されるのかと身構える。


「いいか、このことは他言無用だ。皇室に仕えて長い貴殿にしか頼めない重要な案件だ」


 ヴィクターの重々しい態度に、ディオンは襟を正す。皇室魔術師長に就任して十五年、様々な皇室の姿をディオンは見てきた。思い起こせば華々しく美しい出来事もあったし、誰にも言えない暗部としか言いようのない出来事もあった。


 ディオンの脳裏に最悪の相談内容が想定される。政敵を秘密裏に抹殺してほしい、他国に不穏な動きがあると聞いた、クーデターの噂の真偽を確かめてほしい。どれもこれも新婚の皇太子が抱えるには重すぎる案件であった。


「それで、ご用件は……」


 ディオンはどんな相談でもヴィクターの言うことなら、真摯に受け止めようと思った。それが皇室魔術師長としての誇りであり、使命であるとディオンは腹をくくる。


「単刀直入に言おう。妻と寝ようとすると子犬になる呪いをかけられている」


 ヴィクターに真剣な眼差しで告げられ、ディオンは相談内容に拍子抜けする。


「はあ……子犬、ですか?」


 ディオンの返答に、ヴィクターは真剣な眼差しを変えない。


「茶色いふわふわの子犬だ。妻の見立てだと生後二ヶ月と言ったところらしい」

「おそらく離乳はしていると思うのですが、まだ足取りはおぼつかないのよね……」


 どこまでも真剣な表情の夫妻を前に、ディオンは更に気が抜ける。


「それで、つまりその……欲情されると、子犬になるということですか?」

「その通りだ」


 ディオンは内心頭を抱えた。


 そんな呪いに、ディオンは全く心当たりがなかった。もし夫婦生活に関する相談なら、はっきりと「勃起しないのだがどうすればいい」と打ち明けてもらうほうが気は楽である。


「それはその……遠回しの比喩などではなく、本当にお姿が子犬になるということでよろしいですか?」

「何度も言わせるな! 本当に子犬になってしまうのだ! そうとしか言いようがない!」


 ディオンは俄に信じがたかった。傍らに寄り添うリリィも同様に真剣な顔をしていることで、彼らが冗談を言っているわけではないことを悟って現実を受け入れることにした。


「失礼……その、あまりそういう呪いについて聞いたことがないもので」

「やはり先生でもご存じありませんか……」


 リリィもディオンの返答にしょんぼりとする。


「しかし、何とかしなくてはいけないでしょう。皇室の存続のかかった非常に重要な案件ですな」

「わかるだろう! お前も男なら! この気持ちが!」


 いきり立つヴィクターに、ディオンも腕を組んで考え込む。


「男としてもそうでございますが……つまり現状で最大の問題は、世継ぎができないということでよろしいですか?」


 その言葉に、ヴィクターとリリィは顔を伏せる。ヴィクターがリリィを抱けないということ以上に、ミストウェル皇室の世継ぎが生まれないという問題が大きく二人にのしかかっていた。


「そうだ。私個人の問題なら何とでもなるのだが、これはミストウェル皇室全体、そして国の問題だ。大問題にも程がある」


 ディオンは深刻に言いつのるヴィクターの顔に「ぶっちゃけ個人の問題のほうが大事」と書いてある気がしてならなかった。


「……まあ、とにかくその呪いについて調べてみましょう」

「くれぐれも内密に、ここだけの話にしてもらえないだろうか」


 ヴィクターはこの通り、とディオンに頭を下げる。ディオンはヴィクターの内心を推し量って彼に同情した。


「しかし殿下、よくご相談してくださいました。夫婦生活のことを他人に相談するのは大変勇気のいることでしたでしょう」


 ディオンは顔を伏せたヴィクターを見て、誰にも言いたくないであろう事情を打ち明けたことを賞賛する。男として、自分が不能であると同義の告白をするヴィクターの気持ちを考えてディオンも全力で彼の力になりたいと思った。


「それでは殿下、その呪いを検証しますので早速犬になってみてください」


 ディオンの提案にヴィクターは顔を上げ、思い切りディオンを睨み付けることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る