第2話 子犬の舞

 初夜の床で子犬になったヴィクターは、訳もわからずその場をくるくる回るばかりだった。


「殿下が、殿下が犬に!?」


 子犬に変身してしまったヴィクターを前に、リリィは狼狽えた。初夜の覚悟もヴィクターを受け入れる心積もりもしっかりあったが、夫が子犬になるという事態までは想定していなかった。


「一体何がどうなっているんだ!? リリィ、僕はこのままずっと犬なのか!?」


 リリィは知っている限りの魔術の知識を思い出すが、前触れもなく突然子犬に変身してしまうという事案は知らなかった。

 

「魔術で変身したものは必ず元に戻れるはずです。殿下にわけのわからない呪いがかけられている、としか今の私にはわかりません」


 子犬のヴィクターは真っ黒な瞳で不安げにリリィを見つめる。そのつぶらな瞳にリリィは胸がきゅんと締め付けられるような思いがした。


「リリィ、僕は、僕は……」

「ああ殿下、お労しいことで。おおよしよし」


 子犬を抱き上げ、リリィはその胸に優しく抱きしめる。


「リリィ、あ、あのその……僕は犬じゃないぞ!」

「あら殿下、失礼しました」


 寝台に子犬を降ろすと、子犬はぷりぷりと尻尾を振り回した。


「しかし殿下……今の殿下はどう見ても犬です」

「犬か」

「犬です」

「犬以外には見えないか」

「茶色くて耳が尖ったお腹側が白い子犬にしか見えません」

「むぅ……」


 子犬はしょぼんと寝台の上に座り込んだ。ぺたりを尻をつけた姿は愛らしく、リリィは更に胸が締め付けられるような感覚に囚われた。


「殿下、もしよければ……お抱きしてもよろしいでしょうか?」

「君が僕を抱くのか?」

「あの、殿下があまりにもお可愛いので、その……失礼でしょうか?」


 子犬はふん、と鼻を鳴らした。


「大体、これでは反対ではないか。今から僕が君を抱く予定だったのだぞ」

「そうだったのですか?」

「結婚式の夜とは、そういうものだろう」

「そうですけど、ねえ……」


 リリィはヴィクターが焦っている様子を見て、普段のヴィクターと重ねた。頼もしいヴィクターとはかけ離れた愛らしすぎる子犬を見て、リリィは思わずクスクスと笑ってしまった。


「何だ、何がおかしいのだ!?」

「いえ、おかしいのではありません。私、殿下のことを少し誤解していたかもしれません」

「誤解だと!?」


 子犬はわふん、と大きく鼻を鳴らした。


「殿下はいつも私のことを大切にしてくださいますが、私にとって殿下は完璧で眩しすぎる存在でした。そんな方とこれから共に人生を過ごしていくなんて私に務まるだろうかと、今まで心配していたのです」


 リリィは子犬の頭に手を触れる。子犬は抵抗せず、リリィの指に成すがままになる。


「でも、殿下にこんなに親しみやすい部分があったなんて、初めて知りました」

「う、嬉しくないぞ! 子犬の姿を褒められても僕は!!」

「あら、私は殿下であればどんな姿でも大好きですよ。私も昼間、神に誓ってきましたから」

「り、リリィ……」


 子犬はうるんだ瞳を更にうるませた。


「でも、もしこの姿がずっと続くなら僕はどうすればいいんだ」

「確かに、それは困りましたね……」


 一国の皇太子が呪いで子犬になったとあれば、国を挙げての大騒動になることは目に見えている。そして誰が何の目的でこのような呪いをかけたかということも大問題になってくる。


「もし朝になっても戻らない場合、ディオンに相談するしかないな」

「ええ、そうしましょう」


 ヴィクターは皇室魔術師長のディオンに呪いのことを相談することにした。


「とりあえず、今夜は寝るとしよう」

「そうしましょうか……」


 ヴィクターはそう言うと、リリィの枕の横で器用に丸くなった。


「殿下、犬の仕草がお上手ですね」

「犬だからな、仕方ない」


 子犬はそう呟くと、小さく欠伸をして寝息を立て始めた。


「お疲れのようですね……」


 リリィはその毛玉を愛おしげに撫でると、自身も床についた。婚礼の儀式て疲れ切った2人は、そのまま寝台で仲良く寝入ってしまった。

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