第2章 はじめてのしばもふ

第1話 初夜の花嫁

 夢のような一日が終わった。皇太子の結婚式及び祝賀会は終了し、招待客は会場を後にしていた。リリィはヴィクターと別れ、自身の母親ほどの年齢の侍女たちに連れられて皇太子妃の部屋へ向かった。


「今日は素敵でしたよ、妃殿下」

「そんな、私なんて……いえ、皇太子妃になったのよね、私」

「何をおっしゃるのです、そうに決まってるじゃないですか」


 まだ実感のわかないリリィに、侍女たちはさかんに話しかける。


「わからないことがありましたら、遠慮せずに申しつけてくださいね」

「ええ……覚悟はしていたのですが、いざとなると緊張しますね」


 侍女たちの手によって、リリィは花嫁衣装を脱いだ。それまで身も心も厳重に封印されていたような気分からリリィは解放され、大きく深呼吸をする。


「なんだってそうですよ、私なんて今でも緊張してしまいますよ」

「何言ってるんだい、子供三人もこしらえておいて!」

「心は今でも乙女なのよ!」


 きゃあきゃあ騒ぐ侍女たちに、リリィはきょとんとする。


「いえ、あのその……」


 リリィは皇太子妃という立場に緊張すると伝えたつもりだったが、侍女たちはそう受け取らなかったようだった。


「どうかなさいましたか?」


 そのとき侍女のひとりが香油と蝋燭を運んできたことから、リリィは彼女たちが「これから夜に行われること」について話をしているのだと察した。


「いえ……あの、やっぱり緊張します!」


 乙女らしい恥じらいを見せたリリィに、侍女たちは優しく声をかける。


「大丈夫です、なにせお相手はあのヴィクター様なんですよ」

「羨ましいわ、私もあと十歳若かったら」

「二十歳の間違いじゃなくて?」


 リリィは、侍女たちが軽口をたたいているのは自身の緊張を解そうとしているのだと理解した。


「みなさん……ありがとうございます」


 侍女のひとりがハーブティーを持ってきた。婚礼の儀で疲れきったリリィの心が、心地良い香りで満たされていく。


「大丈夫ですよ。どんなことでも、みんな初めては緊張するものですから」

「でも、私……ちょっと……」


 侍女たちは不安げなリリィの心に寄り添った。

 

「男なんてみーんな、犬か猫みたいなものよ」

「みんな、ですか?」


 小首を傾げるリリィに、侍女たちは続けた。


「そうそう、自分だけ気持ちが良くなったらハイおしまい、なんてのが多いのさ」

「あら、アンタそんなに経験あって?」

「アタシの若いときを舐めるんじゃないわよ」


 侍女たちはワハハと笑い声をあげる。


「心配しなくても、いつか笑い話に出来る日が来ますよ」

「ですから、どーんと殿下に全部任せてしまいなさいな」

「さあ、殿下をメロメロにする方法でも考えましょうか!」

「もう殿下はリリィ様にメロメロですけどね!」


 侍女たちはあれでもないこれでもないと、リリィの夜の支度を調え始める。


 昼間の清楚ながらも見栄えのよい化粧から、夜の素肌を感じさせる大人の化粧へ。

 そして花嫁衣装の純白のドレスから、同じ純白でもシンプルな夜着へ。

 立派に結い上げていた髪も下ろし、花の香りの香料を首筋に忍ばせる。

 寝台をしっかり整え、クッションにも甘い香りの香料を仕込む。


「さて、あとは頑張りなさいな。心配はいりませんからね」


 侍女たちは蝋燭を灯し、皇太子妃の部屋を後にした。蝋燭からはいい匂いが漂い、リリィはすっかり夢のような心持ちであった。


「私、本当に大丈夫かな……」


 ぼうっとリリィが寝台に腰掛けていると、花婿衣装から夜着に着替えたヴィクターが飛ぶようにやってきた。


「リリィ! リリィ! なんて美しいんだ!! 全くもって今日は最高の日だ!!」


 嬉しそうにやってくるヴィクターを見て、リリィは侍女が「男なんて犬か猫みたいなもの」と言っていたのを思い出した。そして心の中でくすりと笑った。


「お待ちしておりました、ヴィクター殿下」


 皇太子妃として最初の務めを果たそうと、リリィはヴィクターに身を委ねる覚悟を決めた。


***


 それからヴィクターは本当に子犬になってしまった。


 この事態を誰もが想像できず、リリィも当のヴィクターもただ狼狽えるばかりだった。

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