第1章 結婚式しばもふ
第1話 ごく一部だけポンコツ皇太子
皇太子が子犬になる珍事が発生するより時を遡り、結婚式当日の朝に話は戻る。
ミストウェル国の皇太子の結婚式は、それはそれは盛大に行われることになっていた。国内外の来賓はもとより、国民も晴れ着を着て祭りのように街を飾り付けて皇太子のヴィクター・ミストウェルの門出を祝った。
「ヴィクター殿下もご成婚か」
「お似合いのカップルよねー」
リリィ・アルストロメリア侯爵令嬢との婚約発表に、多くの国民が歓喜した。そして結婚式当日まで、ヴィクター・ミストウェルは彼女と結ばれるのを大いに待ち望んでいた。当日は二人を祝福するように空が青く晴れ渡り、絶好の結婚式日和であった。
「喜べ! エドガー! ついにリリィが! 本日をもって! なんと正式に! 僕のお嫁さんになるのだ!」
ミストウェル国の伝統的な花婿衣装に身を包んだヴィクターは喜びのあまり、控えの間でくるくる飛び跳ねていた。
「はいはい喜んだ喜んだ。俺はめでたいとは思うが、俺自身は嬉しくないぞ」
異様なテンションのヴィクターと対峙しているのは、皇室魔術師のエドガー・ロンドだった。
皇室魔術師とは、代々ミストウェル皇室を守護する近衛隊の一部門として位置づけられた、魔術に秀でた者たちに与えられる役職であった。エドガーは現皇室魔術師長ディオン・ロンドの息子で、ヴィクターとは旧知の仲だった。お互い何でも言い合える友人という立場で、エドガーは花嫁の支度が終わるまで準備を終えたヴィクターの話し相手になっていた。
「何故嬉しくないということがあるんだ!? リリィがお嫁さんになるのだぞ!? 国民皆祝福しているだろう! もっと祝え楽しめテンションを上げろ! それでも男か!!」
「男だと思うよ、うん」
気のないエドガーの返事に構わず、ヴィクターの喜びは最高潮に達していた。
「それならわかるだろう、リリィのあの美しさ、可憐さ凜々しさ愛おしさ、あの神の奇跡の賜物に手を触れてもいいのだぞ! わかるか!」
「うん、わかったわかった」
エドガーは遠い目でヴィクターを見守り、大きくため息をつく。
「僕がこの日をどれだけ待ち望んでいたか、君ならわかるよな?」
「そうだねえ、子供の頃から君は変わらないねえ」
エドガーは、ヴィクターは基本的に聡明で勇敢な男であると一目置いていた。しかしリリィのことになると呆れるほどにポンコツになることも毎度のことであり、エドガーにとっては見慣れた光景であった。
「なあ、エドガー!? 夫婦になったら何て呼び合えばいいのだ?」
「別に何でもいいんじゃないのか?」
「何でもよくはないだろう、旦那様は、ちょっと固いな……ヴィクター様……ふむ、嬉しいがもう少し……あなた! そうかあなただ!」
ひとりで盛り上がっているヴィクターをどう抑えるか、エドガーは考え始める。
「あなた、本日のご公務も頑張ってくださいねってリリィが言って、そして僕がすかさず、おまえも一緒の公務だぞって言って、そして……くー!」
国民には見せられない顔で壁をどんどん叩き始めたヴィクターを、エドガーはいよいよ取り押さえた。
「おい、花嫁の支度がそろそろ出来るってさ」
妄想の世界に浸っていたヴィクターは、なかなか現実世界に戻ってこられないようだった。
「支度? ああ、リリィの支度か。落ち着け、花嫁衣装なら何度も見ただろう? 白くて、リリィにぴったりのかわいいドレスをいつものリリィが着るだけだからな、落ち着け、落ち着くんだ。いつものリリィ、いつものリリィだ。別になんてことない、いつもの可愛い素敵なリリィだぞ」
妄想の果てに何かがたぎり始めたヴィクターは、深呼吸を何度もする。
「ほら、国民のためにシャキッとしろ!」
エドガーに背中を叩かれ、ヴィクターはようやく落ち着きを取り戻した。
「そうだ、僕は25万の民を率いるミストウェル国の皇太子だ。世のため国のため未来のため、今日を祝う国民のために僕は行かなければならないんだ」
やけに具体的な物言いで我に返ったヴィクターは、花婿衣装の襟を正してきびきびと婚礼の間に向かっていった。
「……本当に大丈夫なのか?」
異様に張り切るヴィクターの後ろ姿を、エドガーは心配そうに見つめた。
幼い頃に侯爵令嬢のリリィに一目惚れしたヴィクターは、それから一途に「リリィを僕の妻にする!」と宣言し続けていた。
それから十数年の時が流れ、ようやくこの日がやってきた。
「リリィ、リリィ、僕のリリィ、素敵なリリィ……ふふふ、ふふふふふふ」
ヴィクターの顔は、青空のようにこよなく晴れ渡っていた。
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