第17話

 足の裏を、ごつごつしたアスファルトが刺している。自分と月子の重みで食い込んで痛い。気が付けばあたりは暗くなっていた。街灯は少なく、人も車も通らない。月子はまだ俺の背中で眠っている。


 一歩の幅はだんだん狭くなり、ふらふらとゾンビのように歩いていた。何時間も月子を背負ったままではさすがに疲れてしまった。休みたいが、月子を起こしたくはない。


 ぐらり、と体がよろける。踏ん張ったが、このままでは月子と一緒に転んでしまいそうだ。そう思い立ち止まったが、彼女を下ろして休めそうな場所もない。


 年甲斐もなく、涙が出そうだった。背中に月子のぬくもりがあることだけが救いだった。静けさの中に、彼女の寝息だけが聞こえている。


 気を取り直して歩こう。そう思って月子を背負いなおしたとき、後ろから光がさしているのに気が付いた。


 振り向くと、キィときしんだ音をたてて、自転車がこちらに向かっているところだった。道の端によけようとして気が付く。乗っているのは警察官だった。


 逃げなければ、と思うも足が動かない。自転車はあっという間に俺の横につき、警官が目の前に立つ。俺のことを、怪訝そうな表情で見ていた。



「お兄さん、ここで何してるの? 背負ってるのは誰?」



 答えなければならないのに、喉の奥で言葉が絡まってしまったように声が出ない。はくはくと唇を動かしている俺に、警察官はますます疑いの視線を向ける。



「まぁ、いいや。とりあえず身分証出して」



 警察官は俺に向かって手を突き出す。慌てて財布の中を探ったが、免許証は家に置いてきてしまったみたいだった。彼の眉間のしわが深くなる。



「……隼也?」



 月子が背中で身じろいだ。警官が彼女のほうへ目を向ける。その瞬間、走り出してしまおうかと思った。いや、走って逃げても自転車で追いつかれる。ましてや、月子を背負っているのに。


 もう終わりだと思った。家出も、俺の人生も。誘拐犯として捕らわれるのだ。



「それ、俺の身内です」



 背後から、どすのきいた声がかかった。振り向くと、晴希がいた。上着のポケットに手を突っ込んで、彼がすたすたとこちらへ歩いてくる。



「喧嘩して、家飛び出しやがったんです。連れて帰るんで、気にしないでください」



 晴希はポケットから身分証を取り出して、警察官に渡している。途端に警察官の表情がゆるんだ。家族内の喧嘩だという話を信じたらしい。



「そうか。まぁ夜は危ないから、気をつけなさいね」



 それだけ言って、自転車に乗ると去っていった。場には俺と月子と晴希の3人が取り残される。警察官の持っていたライトが消えて、あたりは暗い。晴希の表情が見えない。



「月子を下ろせ」



 俺の背中でじっとしていた月子が、びくっと体を震わせた。大人しく彼女を地面に下ろすと、晴希は彼女の腕をつかんで自分のほうへ引き寄せる。


 彼女の黒い髪が揺れるのが見えた。そう思ったとたんに、目の前に火花が散った。晴希に殴られたのだと、すぐにはわからなかった。



「お兄さま!」



 じわじわと、頬が熱を持って痛み出す。昨日殴られたのとは、反対側のほうだった。ぐっと、胸倉をつかまれる。すぐ目の前に、怒りに燃えた晴希の目がある。



「お前、月子をどうする気だった?」



 俺は黙って首を振る。どうする気もなかった。



「月子をあの家から出してやろうとか、逃がしてやろうとか思ったか?」



 その質問には答えられなかった。晴希が荒々しく俺を突き飛ばす。自分の体すら受け止められず、そのまま地面に倒れこむ。



「月子の鞄にはGPSがつけてある。家出ごっこは満足か?」



「お兄さま、もうやめて」



 わずかな月明かりに照らされて、月子が晴希の腕に縋りつくのが見えた。晴希は冷ややかな目で俺を見下ろしている。



「このまま、月子を置いてどこかへ行って、俺らに二度と近づかないか、お前が隠している過去のことを、俺と月子に全部話して……帰るか。選べ」



 俺に2択を突き付けながらも、晴希は迷っているようだった。怒りの表情は、だんだんとどうしてこんなことをしているのか、と困惑しているような顔に変わっている。


 俺は情けなく地面に尻もちをついたまま、2人を見上げた。晴希も、月子も、不安そうな表情で俺を見ている。俺は今、どんな顔をしているのだろうか。


 声を出そうとして、自分の唇が震えていることを知った。恐る恐る、口を開く。



「全部、話します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る