第10話

 翌日、晴希はいつも通り朝早くからキッチンに現れた。俺が近づくと、じろりとこちらを睨む。何を牽制しているのかはすぐにわかったけれど、無視することにした。



「昨日のあれは、なんだったんですか?」



「お前には関係ない」



 そう言い捨てて、部屋に戻ろうとする晴希の進路を阻む。彼が苛立っているのが肌に伝わった。



「なんだよ」



「教えてください。昨日のあれは何をしてたんですか?」



 いつもだったら大人しく引き下がっていただろう。けれど、俺の脳内には昨日一言も話さなかった月子と、彼女の青白い顔が浮かんでいた。


 晴希はぐっと顔をゆがめる。怒っているというよりは、何か苦痛に耐えているような顔だった。



「大体わかるだろ。何やってたか」



「……でも、なんで」



 そう聞くと、晴希はぐいと俺を押し退けた。彼をとどめようとする俺を、晴希は手で制する。一度部屋に戻ると、晴希は昨日の紙袋を持ち出した。それを俺に突き出してくる。


 顔色をうかがいながらも受け取ると、中には白い封筒が袋いっぱいに入っていた。



「その封筒の中身、なんだと思う?」



 晴希の顔を見る。彼は俺の返答を待たなかった。



「金だよ。全部。あそこにいた人間がみんな月子にささげてんの」



 白い無機質な封筒が、途端に恐ろしいものに思えてきた。紙袋の取っ手が重みで手のひらに食い込んでいる。



「月子にはさ、変な力があって、それを神様の力だと思い込んでるやつが喜んで金を差し出してんだよ」



「それって……」



「詐欺だって言うか? 詐欺じゃねえよ。別に騙してない」



 けれど、そんな状況で受け取った金がこれだけあるのは、やはり不気味だと思った。



「なあ、高校を出ただけの俺が、どうやって妹と2人暮らしできると思う。朝から晩まで働いて、それでももらえる金なんてたかが知れてる。俺ひとりならともかく、月子がいるんだよ」



 晴希の声は切羽詰まっていて、悲痛な叫びに聞こえた。こぶしを固く握りしめ、俺の持つ紙袋を睨んでいる。



「好き好んでやってると思うか? そうしないと生きていけねえんだよ」



 そう吐きだす晴希の声には、心の底からの嫌悪感が滲んでいた。黙り込んでしまった俺に、晴希はそれに、と続ける。



「今更、引き返せねえだろ」



 そう言うと、晴希は俺の手から紙袋をひったくり、リビングを出ようとした。扉に手をかける直前、ぴたりと立ち止まる。



「それに、お前を養ってる金もここから出てるしな。お前も共犯だよ」



 うっすらと笑って、晴希はリビングを出て行く。その背中が、なんだか普段より小さく見えたのは、彼の弱い部分に触れてしまったからだろうか。俺は何も言えないまま、晴希を見送る。彼が仕事に行くまで、声をかけることはできなかった。


 よくないことだとは、晴希もわかっているのだ。けれど親にも頼れない状況で、幼い妹と暮らしていかなければならない。そうなったら、あんな金に頼らざるを得ないのかもしれない。


 でも、そう思っている晴希にほっとしている部分もあった。子ども2人があんなことを積極的にやっていたとしたら恐ろしい。自分も後ろ暗いところのある身の上のくせに、それを棚にあげてそんなことを思う。


 まぁ、そもそもそんな考えだとしたら、俺なんて真っ先にカモになっていたかもしれないが。


 どうにかしてやりたいと思うものの、俺には何もできない。俺は何も、あの2人を助けられるものを持ってはいない。


 月子の青白い顔が、晴希の苦し気な表情が、また脳裏に浮かぶ。どうしようもない無力感でいっぱいだった。


 その日、夕方になっても月子は起きてこなかった。

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