第7話

 この家に来てから、2週間が経った。わかったのは、晴希が朝から晩まで仕事を掛け持ちして働いていることと、月子はどうやら学校に通っていないらしいこと。


 最初の3日は夕方にしか起きてこない月子を不安に思って、帰ってきた晴希に彼女は大丈夫なのかをたずねた。



「言っただろ、気にするなって」



「でも……ずっと夕方まで寝てるなんて」



「体質なんだよ。ずっとそうだ。夜しか起きれない、だから学校にも行ってない」



 俺の質問に、晴希は苛立ちを隠さなかった。ばたん、と大きな音を立てて冷蔵庫を閉じる。いつも不機嫌そうな顔をしているけれど、その日は明確に怒りを浮かべていた。



「どうして……」



「知らねえよ。病院どんだけ行ってもわかんなかったんだ。俺が聞きてえよ」



 そう言われて俺はぐっと押し黙る。無神経に質問しすぎてしまったかもしれない。晴希は俺を邪魔そうに避けてリビングを出て行く。



「あんま踏み込んできたら追い出すからな」



 そう言うと、派手な音を立てて扉を閉めた。


 それからはなるべく気にしないようにしていたが、ふとしたときにどうしても不安になった。昼間に外に出ないから白すぎる肌や、家で見ているDVDに影響された話し方。まして、会話をする相手はもっぱら俺か晴希だけ。


 たった2週間で、こんな環境は彼女に悪いのではないかと、おこがましい心配をするようになった。そんな心配とはうらはらに、月子は楽しそうに過ごしている。


 晴希が言うには、月子は俺になついているらしい。どうしてなつかれているのかはわからない。拾ってきた犬だとでも思っているのだろうか。


 洗濯物を畳んでいると、背後で扉の開く音がした。振り向くよりも前に、月子が俺の背中に飛びついてくる。



「おはよう、隼也」



「おはようございます、お嬢様」



 月子は俺にくっついている時間が長い。晴希はほとんど家を空けているし、他に会う人もいないし、寂しいのだろう。されるがままになりながら、畳み終えた洗濯物をわきに置く。



「今日のご飯はなーに?」



「まだ作ってないですよ。何がいいですか?」



「んー、カレーが食べたいわ」



「この間もカレーだったでしょう」



 食べたいんだからいいの、と月子は口を尖らせる。


 驚くぐらいに、日々は穏やかだった。少し前の自分からしたら想像できないほど。家のことをやって、起きてきた月子の勉強を見ていたら1日が終わる。月子が眠る少し前に、晴希が帰ってくる。


 晴希と会話することはほとんどないが、あれ以降出て行けといわれることもなかった。おかえりなさいと言えば、ただいまぐらいは返してくれる。


 とても歪な環境なのに、何もない日常が続いている。俺の人生の中で、1番平和といっても過言ではなかった。


 この状態がずっと続けばいい。このマンションの一室に閉じこもって暮らしていければそれでいい。見たくないものは見ずに、ずっと俺を追い詰めていた現実に蓋をして。


 しかし、そうはいかないと気づいていた。自分が平和な人生を送れるわけがない。そんなのは、この19年でとっくにわかっていたことだった。

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