第4話
リビングには、俺と月子の2人が取り残された。にまーっと笑顔を浮かべた月子がこちらを見上げている。
「よかったね、隼也」
にこにこと俺を見ている彼女の意図が、俺にはわからなかった。
「なんで、庇ってくれたん、ですか」
俺のたどたどしい敬語に、月子は一瞬不満げな表情を見せたが、すぐに元の笑顔に戻った。
「えー、なんとなくかな?」
こてんと首をかしげてそう答える。ビー玉みたいに丸い瞳の中に、俺が映っている。
「隼也が悪い人だって思えなかったの。それだけよ」
月子の目には、なんだか人に有無を言わせない圧がある。晴希もこの目に気圧されたのだろう。
「月子さん」
「……かわいくないわ」
「は?」
予想外の返答に、思わず素っ頓狂な声が出た。何のことかと首をかしげると、月子は呼び方、と付け加えた。
「月子さんじゃかわいくないわ。……そうね、お姫さまとか呼んでよ」
「おひめさま」
思わず復唱すると、月子は満足げに笑った。確かに彼女の雰囲気は姫と称するにふさわしいかもしれない。けれどさすがにそう呼ぶのは恥ずかしかった。
「……月子さま、とかじゃダメですか」
しばし悩んだうえでそう頼むと、月子は予想よりも不満そうな顔をした。
「それはいや」
むすっと口を尖らせて、顔をそむける。彼女をどう扱っていいのかわからずに、俺はただ困惑した。
「お姫さまはいや?」
「さすがにちょっと……恥ずかしいので」
月子の丸い目がじっとこちらを見つめる。どうしてこうも、罪悪感を覚えるような表情ができるのだろう。
「じゃあ、あの、お嬢様とかは……」
そう言うと、月子の目がぱっと輝いた。どうやらお気に召したらしい。
「いいわ、それで! お嬢様で!」
にこにこしながらはしゃぐ姿は、子供らしいものだった。そもそも彼女の年齢はいくつなのだろう。背丈は小学生のように見えるが、時折見せる表情はもっと大人びている。言動も相まって、全く読めなかった。
「あの、お嬢様って何歳なんですか」
「11歳よ」
11歳と言われて、納得したような、なんとも言えないようなリアクションしかできなかった。本当にまだ小学生だという部分には、単純に驚いたが。
自分が小学生のころなんて、どんな風だったかちっとも思い出せない。けれど知らない人への警戒心は、彼女のように薄かったような気もする。そう思うと、途端に月子のことが心配になった。
そもそも、親はどこにいるのだろう。話にも出なければ、いる気配すらない。ソファに腰かけた月子に親は、と問いかけると、寂しそうな表情を浮かべた。
「……いないよ、ここには」
「ここには、って」
「あとはないしょ。お兄さまが怒るから」
月子の発言に首をかしげたが、理由をは話してくれなかった。どうやら、複雑な何かがあるらしい。自分も事情を言えない立場なので、それ以上聞くのはやめた。
月子の隣に腰を下ろす。少し間をあけたのに、月子が横にぴったりと座りなおした。眠いのか、体をこちらに預けてくる。子どもらしい高めの体温が腕から伝わった。髪が肌に擦れてくすぐったい。
「寝ないんですか?」
今が何時かはわからないが、随分遅い時間だろう。俺の問いかけに、月子はくあ、と猫のようなあくびで答えた。
「寝ようかな」
そう言って、自分の部屋にでも戻るかと思いきや、俺の腕にもたれかかったまま目を閉じる。さすがに、と肩をゆすると、不満げな顔でこちらを見た。
「自分の部屋があるんでしょう、そっちで寝てください」
「今日はここで寝たいの」
「晴希さんに怒られますから」
晴希の名前を出すと、しぶしぶといった具合に俺から離れてソファから降りた。とぼとぼと扉のほうへ向かい、こちらを振り向く。
「勝手にいなくなっちゃダメだよ」
「……いなくなりませんよ」
行く場所もないのだから。そんなことを考えて答える。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
月子は丁寧に扉を閉めてリビングを出て行った。廊下の向こうで、また扉を開いて閉じた音がする。俺はぐったりとソファに倒れこんだ。2日も寝ていたらしいのに、まだ体が疲れている。
ひとまずこの家に置いてもらえることになってよかった。元居た場所には戻りたくない。ここを追い出されていた場合を想像するとぞっとした。
横になりながら、痛む腹の傷をさすった。おそらくひどい青あざになっているのだろう。押すと重く鈍い痛みが広がった。
明日からの生活がどうなるかは想像もつかない。けれど、今までよりはきっとマシなはずだ。そう信じて、再び目をつぶった。
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