第2話
目を覚ます。どうやらまだ死んでいないらしい。それに、ここはゴミ捨て場でもなさそうだ。かろうじて開く左目のまぶたを押し上げると、白い天井が目に入った。
ソファか何かに寝転がされているようで、頭の下にやや硬い感触があった。足がわずかにとび出している。
辺りを見渡そうとして体に力を入れると、殴られた腹が痛んだ。思わず顔をしかめたせいで、右目の上の傷も痛む。
「あ、起きた?」
弾むような少女の声が、隣から聞こえた。顔をそちらに向けると、存外近くに彼女の目が合って驚く。彼女はそんな俺の表情を見て嬉しそうに笑っていた。
あのときのことは、どうやら夢ではなかったらしい。ゴミ捨て場で聞いたものと、同じ声だった。
「良かったわ、目が覚めて! あなた今日ずっと眠っていたのよ」
「……どうやって、ここまで?」
気を失って以降の記憶はない。この少女が運んだのだろうか。
「お兄さまに運んでもらったの。お兄さまは今仕事に行ってるよ」
少女は俺が横たわっているソファに両腕をのせてこちらをじっと見ている。好奇心のあふれたその顔から、思わず目をそらした。
「ね、あなた名前は?」
腕に頬を預けて、少女はそう尋ねる。口を開くのもだるかったが、そろそろと唇を動かした。
「隼也」
「しゅんや?」
俺がかすかにうなずくと少女は満足げに笑った。
「私は月子」
つきこ、と口の中だけで繰り返す。そんなやり取りだけで疲れて、俺は再び目を閉じる。
「寝ちゃうの?」
月子の言葉に、返事はしなかった。返事をする前に、眠っていた。
次に目が覚めた時には、ずいぶん体が軽くなっていた。腫れも治まったのか、右目が開くようになっている。まだ腹は痛むが、起き上がれないほどではない。体を起こすと、かけられていたブランケットが滑り落ちた。
ずっと眠っていたせいで、起き上がると鈍い頭痛がした。ぐっと目をつぶって、頭痛が通り過ぎるのを待つ。落ち着いてから目を開くと、部屋の様子がうっすらと見えた。
あまり広くはない部屋だった。右手にあるカーテンが閉め切られているせいで、今が昼なのか夜なのかもわからない。ソファの前にはローテーブルと、その向こうにテレビが置かれている。左手には、廊下に繋がるのであろう扉があった。
時間を確認しようとしたが、時計がない。念のためポケットを探ってみたが、スマホも見当たらなかった。テレビのリモコンも、見える範囲にない。ソファから立ち上がる。軽いめまいに襲われて、足元がふらついた。
カーテンを開くと、外はもう暗かった。丸1日寝ていたのか、それとも2日か。完全に時間感覚がおかしくなっていた。
ぼんやりと窓の外を見ていると、後ろの扉が開いた音がした。ハッと振り向くと、月子がリビングに入ってくるところだった。ぱちんという音とともに、電気がつけられる。白い光に一瞬目がくらんだ。
じわじわと、視界を取り戻していく。ようやく、はっきりと月子の姿を目にすることができた。
「起きたの? 体調は大丈夫?」
背が小さくて、大きな黒い目でこちらを見上げている。白いワンピースと、腰まである黒い髪が揺れていた。話し方も相まって、童話のお姫様のようだった。
裸足の彼女はフローリングをぺたぺたと踏んでこちらへ寄ってくる。目の前に立っても、背丈は俺の胸あたりまでしかなかった。
「だいぶ、まし。ありがとう」
そう言うと、月子は何が楽しいのか満面の笑みを浮かべた。
「もうすぐね、お兄さまが帰ってくるから。ちょっと待っててね」
笑いながら、玄関のほうの様子をうかがっている。そういえば今は何時なのか聞こうと思ったら、扉の開く音が聞こえた。
「お兄さまだわ!」
月子はまたぱたぱたと足音を鳴らして扉へと駆け寄っていく。重い足をよろよろと動かして廊下をのぞき込むと、玄関には長身の男が立っていた。左手にスーパーの袋を持って、靴を脱ごうとしているその男に、月子はしきりに話しかけている。
顔を上げた男と目が合った。やたら吊り上がったその目つきに、俺は思わず肩を震わせた。“仕事”でよく見た連中と、同じような顔をしている。月子の兄だとは、信じられなかった。
「……起きたのか」
低くてかすれた声が聞こえた。俺の返事を待たずに、男は廊下をすたすたと歩く。俺を押し退けてリビングにあるキッチンへと入ると、袋の中身を収納した。
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