第7話〈一瞬の邂逅〉
――気分が悪いな。
⑧の入り口の敷居を跨いだ瞬間、キーンと動物撃退用の超音波みたいなものを受信した。
――そうだ、これもぼくが⑧に入りたがらない理由のひとつだった。
3年前あたりからこの超音波が一度、⑧に入るだけで鳴り響く。
もう一度、気を取り直して一歩を踏み出す。超音波はやんだ。
闇が生き物のように身体にまとわりついてきた。墨をといてとかしたような闇だ。ごっごっとぼくの足音が反響する。遠くから水の雫が落ちる音がする。
手燭の火をかがすと道の両側には古い本棚がずらっと並んでいることがぼんやりわかった。それがうねって下に向かって伸びている。本棚の空いたスペースに装飾のつもりか、風車や林檎、帽子、鏡など雑貨が置いてあった。それにときどき、小さい生き物が足の上を這っていく気がする。
――クモかムカデか何かだろうか……
大方①の秘密基地の中にある雑木林から脱走してきたもがこのうっとぐらい環境で繁殖したに違いない。虫たちにとって最高の物件だろう。でもその正体を確かめる勇気はなくて足元を照らすことは避けた。
手燭に灯った炎が弱々しく揺れる。床には本棚には入りきれなかったのであろう、本が積まれていたり、ひどいときには散乱したりしていた。
これはぼくが整理を怠っているせいだ。一度、引き抜いたら最後、入れなおすのが面倒になってしまう。特にここ⑧は自分が『アーカイブ・ゾー』の運用にあたって課したルールさえも無視できるような、治外法権のような性質があったからその面倒くさがりな気質が遺憾なく発揮されていた。
ざっと本のコードに触れてみる。いかに乱雑に並べられていているのが一目瞭然になる。通来であればこういった本棚はぼくを構成する数多の本が添付されたコードに基づいて細かく番号付されて整理されている、はずなのだがここではやはり常識は通用しない。
それにわけのわからない本や資料が多い。
「易しい黒魔術」や「錬金術の有効性」、「【実録】クソゲーまとめ」、「世界罵倒表現集」などなど。
――なんでこれらを安易に読んだり、まとめたり、ダウンロードしたのか……
しかし、さすが⑧だ。その記憶が定かではないということはこれを読んだ記憶を恥じてそこだけクリップし『焼却炉』で燃やし「忘れた」という説が有力である。安易に「忘れる」っていうのも嫌だが背に腹はかえられなかったようだ。
まだ先が見えてこないし暗闇の怖さを
ほぼ無限に記憶を保持できるようになった現状、「忘れる」という行為も基本的にコントロールすることができるようになった。「忘れる」ことには脳内の記憶整理の面で重要な意味合いを持つ。館内のフロア拡張には手間も時間もかかり、現状のモデルを維持していく方が手っ取り早いためうまく焼却炉を活用して日々を過ごすことは生活の知恵である。しかし、そこにあるからといってむやみにこの炉を利用してよいわけではない。どんな記憶や知識であろうと「忘れてしまう」というのはとても悲しいことだ。自分にとって
そのため、あくまで焼却炉の利用は最終手段であり、厳密なルールを課してある。焼却にあたっては原則として、その資料が「焼却候補棚」もしくは同機能を有する仮想書庫に一週間以上置かれていて、かつ一か月前に事前申請の提出とその受理がされていることが確認の上で焼却予定日当日に発効される焼却許可証を認証する、とここまでしないと炉に炎は永遠に燃え上がることはないことになっている。
焼却した資料はタイトルとそれに付随する情報のいくつかが「焼却履歴まとめ」という記録書に残される。この記録書は自動追記型で、金庫に仕舞ってある。
ただし、この焼却炉も古くからの本能自体には抗えない。「自動忘却機能」がわずかにその姿を残しているのだ。直接、炉に放り込まれることこそ稀だが、自動的に忘却すべきと本能が判断した資料が不可抗力的に「焼却候補棚」に陳列されるということが度々起こっている。ここ最近は一括申請して燃やしてしまうことが多いため、時々、この機能の影響で忘れてしまっている記憶もあるのだろうが細かい部分は自然摂理に委ねるよう心掛けていたため問題はなかった。
それは悲しくとも体調や加齢に合わせて身体が不必要だと判断したのだから安易に絡むことを忌避したからであった。最近は10年前にも
また、この本能的機能も今はかなりおとなしくなった方なのだ。この機能が最も隆盛を誇っていたのはぼくの幼児期に違いないだろう。ぼくは既に0歳から3歳までの記憶が完全にないように幼かったころの記憶は、『アーカイブ・ゾー』が建設前であったのと脳の発達段階も最初期頃であったのが作用しているとはいえ、ほとんど全てが古くなり痛んで再読もしくは再生不可になっているため、そういった記憶をまとめた諸書や映像はいつのまにか現存していない。しかし確かに少なくとも六歳の時点では当館に存在していたことが「焼却履歴まとめ」から明白である。
さらに長年の傾向からこの機能にひっかかるのは劣化が要因であることが多い。先ほど浮かんできた思い出のフィルム、『タイトル:ヘイメンとの最高の思い出』も大変、経年劣化が激しいために自動的に焼却候補になってしまったという線が濃厚だろう。普段の一括申請がまだだったから助かったという手前だろうか。しかし、少々、摂理にも介入していく必要性が案じられる。こんな大事な記憶が消されたとなったらたまったものじゃない。
ちなみに一番最初の記憶は今は『保管庫』で厳重に管理されている、形式はフィルムだ。4歳の時に27区画のバガン
開けた場所に出た。するとまたあの超音波のような嫌な音波を受信した。
そして道に沿って均等間隔に立ち並んでいたらしい松明がぼっと一斉にともった。
素直にそれに驚いて、思わず手燭を放してしまった。落ちる途中で火が消え、地面に転がった。幸い明るくなったから問題はないけれど。
――道は一方通行みたいだな。
そのまま放置するのも忍びないと転がった手燭を拾おうと足元を見るとどうやら道は本で出来ているらしい。本を踏むというのはどうもいい気分はしない。「知」そのものを踏み
手燭を拾った。顔をあげると道の先に筒状の装置が見える。
ここ、⑧はめったに来ないから構造を完璧に把握しきれていない。というか①のパンクのように想定していないことが『アーカイブ・ゾー』で起きている。おそらく⑧でも空間の変容が若干、見られる。何年も整理をしていないからあまり覚えはないが明らかに変化している。「セキュリティ」が働いたか、記憶収容のための環境適応による自然的変化か、どちらが要因かはわからないがひとまず、先を急ごう。
なんとなくだがこのまま進んでいけば、その根源的理由にも辿り着ける気がする。
変容の確認が遅れたのは前に掃除をしたのも数年前とはいえ、さっきの導入部分にあたる暗い場所で手早く済ませただけだ。見得を張らず、カウンターで館内マップをとっておけばよかった。空間が変容していたとしても原型さえ残っていればそれをヒントに快適な旅ができたに違いない。だが、それも後の祭りである。
空間はキューブ状をしていた。一部、見えた天井には大小不規則に配管が毛細血管のように張り巡らされている。ぼくが今、上にいるのは途中から分岐もないまっすぐに伸びた一本の道でちょうど人が一人通れるくらいの道幅だった。道からそれた自分の両側には水が張っていて、時折、20Hzくらいの発信主のわからない匿名の信号があたりに響いて、それによって上の配管のボルトの緩んだ隙間から時折、水滴が垂れているようだった。恐る恐る下を覗くと縦に長い水槽になっているようだ。
――この下に何かがいるのだろうか……
臆せず、進んでいくと先ほど輪郭はぼんやり捉えていた、筒状の装置に肉迫した。筒状装置はそれがすっぽり通り抜けれるような穴の上に固定されている。形状はリーマー社が何年か前に開発した型落ちの惑星間航行用人工冬眠装置に似ている。丸い小窓といい、蜂の卵のような形状といいそっくりだ。モデルにはしているのだろう。
――どれ、触ってみよう。
すると、その装置に触れようとした途端、〈入れ〉と訴えんばかりに、すぐに蓋がぱかっとあいた。
ぼくは、どのみち他に道はないのだとその信号も交えない要求に応じた。入るとすぐに蓋は閉じられ、腰にベルトが巻き付けられ内部のランプが緑から赤に変わって二、三度点滅し終えると装置の固定部が外れ、そのまま、下の水の中に放り出された。大量の泡によって窓から見えるわずかな視界が一時的に奪われた。
しばらくして泡がなくなった。
小窓を覗いてみるも周りには魚一匹、何もいない。せめて頭の中なのだから、魚も滅法取れなくなった現状を投影するなんてことはナンセンスだ。
――グュタペ島で見たような魚の群れを再現したらいいのに……
そう考えながら目を凝らすものの、何も姿を見せてはくれなかった。
やることもないのでじっと静かにしていると装置がまっすぐに沈んでいくのが、感覚的にわかる。おそらく、底にある装置とシステムが同期して、ビーコン牽引がなされているのだろう。さしづめ、水中のエレベーターになっているってわけだ。
ぼくは沈んでいく。入るときに足元に置いた、手燭が小刻みに揺れている。
体感ではあるけど、時間がかなり過ぎた心地がする。ある程度の深さにまで来た。依然として周りには何もいない。そろそろ生命の源である水がこんなにも周りにあるのにそこに何もいないというのは気味が悪いと思えてきた頃だ。
――ここはさしづめ、「死の海」といったところか……
すると、さらに下の方から、またあの20Hzほどの信号が、今度はやや少し高い信号と重なって同時に感知した。
慌てて小窓に顔を押し当てて、目を皿のようにして発信源を追跡する。ほどなくして、信号の主と思われる、巨大な影が目視で確認できた。
やがて影に色がついて実像となり、徐々にその正体を明かし始める。
そこにいたのは二頭のクジラだった。
おそらく、二頭は親子であると推測できる。 一方がやや体格が小さく、ヒレの動きからまだ少し泳ぎ慣れていないことがわかるからだ。
――なるほど、このクジラが信号の発信源か。
親クジラは終始、悠然とした泳ぎを見せつつも、目はしっかりとこちらを見つめている。警戒しているようである。
――しかし、こんなところにクジラが?
ぼくは、この二頭のクジラを所詮は空想の中で泳ぐクジラたちだと割り切ることができなかった。メタ的にいえばそうであることは確かなのだが、クジラたちは想定していないイレギュラーな存在で、ぼくが『ライセンス』保持者であるのは事実だが、その管理から逸脱している、所謂、「管理範囲対象外」な事物なので、自立した存在であるというのは間違いがなかった。だから二頭はたしかに生きている。たまたまぼくの中に生まれただけで、自らの意志をもって存在している。ぼくが死ねば、ぼくの抱える多大なる情報は生命機能の停止や肉体の崩壊だけで始末処理しきれず、いくらかが接続する"ユグドラシル"にも漏れ出す。きっとそれに乗じてクジラたちは文字通り「情報の海」に解き放たれて泳ぎ続けることになるんだろう――なんて想像してみる。
そういえばこの水槽は、かなり前のことにはなるが夏休みの宿題で生命誕生のルーツを再確認する目的で⑤の実験室で使用した大型水槽を、設定がうまく叶わず、『焼却炉』を使うにも時間がかかるため、ひとまず、⑧に移設した経緯があった気がする。ここまで環境設定を整備した覚えもないし、情報の海を泳ぐクジラの誕生は勿論、予期せぬ出来事だがそう無暗に命を弄ぶような真似はよくないな、と反省を促される。そういう意味ではここは「死の海」よりかは「生命のはじまりの海」である。
ぼくの中に生命に似たものが誕生したことには多大な興味をそそられた。
クジラはただ流れに身を任せているようで大層、優雅であった。そりゃここが彼らの住処である。落ち着き払っているのも当然だ。ぼくがクラゲのように自室で浮かんでいたのと同じだ。
かつてこの星で最大の生物だったクジラをこうして見られるとは思っていなかった。
あと数秒もすればこの光景が見れなくなるかと思うと、一瞬が損で穴が開くほど一心不乱に彼らを見つめた。
軌道そのまま、ゆっくりではあるが着実にぼくはまっすぐ水槽の底へ沈んでいく。しかし、手が名残惜しそうに自然と上へ伸びていた。一瞬の邂逅に別れを告げるかのようにまた一度、20Hzの信号が響いた。ぼくも伝わる訳はないと理解しながらも〈さよなら〉と惜別の念を送ろうかと迷ったが極力の干渉は避けようと思って未送信を貫いた。
それから間もなくして、がこん!と、装置が噛み合う衝撃がした。赤のランプが緑に変わり、腰に巻かれているベルトがわずかに緩んだ。
乗っていた装置の底が開く。見下ろすと金属でできた床が見えた。
――この高さなら落ちても……きっと大丈夫だろう。
ぼくはベルトを外すと、すとんと床に見事に着地した。
第7話〈一瞬の邂逅〉おわり/第8話〈後ろには退けない〉につづく
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