第6話〈余計なお世話〉

 〈本日も『アーカイブ・ゾー』をご利用いただきありがとうございます。本日、当館は定期テスト前日ということで「一夜漬け」コースが設定されておりますため終日開館予定ではありますが、「言語史」の学習は推奨しておりません。当館は「言語史」に関しての思索を支援しないことをここに表明します〉 

 放送中はできるだけ受信官を開かぬように下を向いていた。


――まったく余計なお世話だな。でも……やらなくちゃいけないのか……。

 そう決心したのだから、もうこれ以上、心を揺るがされてたまるか。おそらく短いものとはいえ、館内全体に放送しているようだし、ぼくがどこにいてもこの放送は聞こえたわけだ。

 こういうのは『シチュエーション対応型イベント』という。自身のそのときどきの、体調や潜在的意思、「セキュリティ」的な部分を基軸に信号化され、伝播でんぱされるといった仕組みである。危機的状況の報告や緊急連絡事項を知らせたりする役割があり、現在に干渉してくる点で他のイベントとは一線を画す、独自性がある。


 

 視点をまっすぐ前に向けるとマンホールの蓋が転がっている。

 もしや、と歩みを早めるとやはりそうだ。落とし穴のように五角形の穴が道の途中にある。

 この穴は地下の『保管庫』に降りるための入り口だ。本来ならあのフィルムはここで厳重に保管されていなければならなかったものである。すべり棒があんぐりと口を開けた、その口に向かってすらりと伸びていた。保管庫では死ぬまで絶対に失ってはならない記憶や知識が詰まっている。風化を避けるため常に暗室で時間が遅く流れるように設定されているから、むやみやたらには近づかない。


――一昨日、掃除していたから、そのとき閉めるのを忘れていたのか?

 三年前の冬の玄関といい、少し、不注意が過ぎるな。反省の色を顔に滲ませつつ、マンホールの蓋を塞いでおく。明日やろうと思ったら、きっとしばらくやりそうにない。やれる内になんでもやっておくべきだ。


 それから立ち上がり、また前を向いて一歩一歩を踏み出す作業を繰り返す。




 しばらくすると少しの違和感と共に、ぐわぁんと空間が一気に広くなった。


 そこにぼくの背丈を優に超えた巨大な木々が立ち並ぶ。鳥がさえずりとともに飛び交い、ときどき吹く風に木々が葉をかさかさとすり合わせる。それもそのはず、ここは『植物園』で、森林浴にはもってこいの場所なのだから。


 かつてここは『イベント会場』という場所だった。①に会場が移転したあと、何本か四隅に観葉植物を置いただけのだだっ広い場所になってしまったのを見兼ねたぼくが、採光にはこだわって全面ガラス張りにして、バオバブやセコイア、竜血樹などとにかく、でかいは正義といわんばかりの規格外の大きさの木を揃えて植えた。その他にもメインではないが星に似ているから自分が好きなハナニラや祖母が好んでいたミヤコワスレなどの花からなる花畑なんてものもある。


 この木々や花は桃体をはじめとした脳の最深部に根を張っているため、ぼくの感情のバロメーターの浮き沈みによって成長速度が変わってくる。嬉々としているときはまさしく雨後の筍、葉につやができすくすくと成長し、悲しいときは、青菜に塩、成長をやめたり、枯れたりする。

 ストレスに気づきにくい、ぼくがちゃんと楽しく毎日を過ごせているかの指標になるわけである。今日は少し元気がないように見える。


――スプリンクラーは適切に作動しているし、光度も保たれている。間引きも適切に行われているはずだが……。


 認めたくないが、ぼくの感情に問題があるらしい。思い当たる節としてはやはり『言語史』へと続くいばらの道を突き進もうとしているからだろうか。


――だからって、ぼくの歩みをとめられるとは思うなよ。

 構わず、方向を同じくして進行を再開する。



 すると前方に螺旋らせん階段が見えてきた。まず目指すはあの階段である。あそこを登ると一直線に中心エリア『広場』に行ける道が通っており、スムーズな情報収集が可能になる。それまでは何があっても気が抜けない。


 ぐんぐんテンポよく進んで階段が目前に近づいてきた頃、左から空気をつんざき、震わすような汽笛が響いた。受信官の情報処理が一時的に狂いそうになる、すさまじい音波だ。思わず左に目をやると、改札の先に0番線の表示とフロア⓪駅があって、蒸気機関車が元気にもくもくと灰色の煙を終始吐き出しながら停車していた。あれは「フロア①直通特急」だ。30分に一本のダイヤで運行しているから、丁度その時刻に遭遇してしまったようである。


 なぜこんな奇抜なものがあるか。それは『アーカイブ・ゾー』内で①が、ぼくの「趣味」について管理しているフロアであり、非常に頻繁に利用する。そのため、よりスムーズにアクセスできるようフロアに向かって鉄道を敷いているというわけである。

 少し①の実態について話すと、ぼくは多趣味でそれ故に好きなもの、関心のあるものが多くあるから『アーカイブ・ゾー』で連邦図書館に負けず劣らないほどの随一の量の資料数を誇り、もはや限界を超え、長期旅行に使用するスーツケースみたくパンク寸前なのである。知識が無限大に詰め込めるように進化したことは人類にもたらした恩恵とその恩恵が与える影響がここに如実に表れているだろう。

 ともかく、今日は①は利用することはないから寄ることはない。立ち去ろうとした瞬間、アナウンスが流れた。


〈0番線に停車しおります、「フロア①直通特急」はまもなく定刻をもって発車いたします。ご利用になられます、お客様はお急ぎくださいませ。なお当駅は「言語史」の学習を推奨しません。当駅は「言語史」にまで至る新線路の敷設を未来永劫、禁止します〉

 

――ええい。まったく余計なお世話だ。

 不意打ち的に食らってしまった。憤慨したぼくはそそくさとその場を離れる。



 駅の前を過ぎ去り、階段の前に来るとその両脇にモササウルスとアーケロンの化石の展示が鎮座していた。これは①に移設済みの『イベント会場』で先月から行っている「大恐竜展」のプロモーションであろう。

 階段を上り始める。少し急ぎ目で行くか、とペースを上げる。この螺旋階段は想定しているよりも長く、遠目で見ればねじのようになって何巻きにもなっている。そういや、もうそろそろ「大恐竜展」も閉幕だ。フェルナンド大学で「ミッシングリンク」の実態がおおよそ解明したとする論文が発表されたことを記念して開催した『イベント』だ。かなり趣向を凝らしたので何度か行った。全身骨格標本や新事実を反映したより忠実なイメージ図など他の人に見せられないことが残念なくらい作りこんだ。


 そんなことを考えながら階段を駆け上がっていると、嫌でも視界に天井の様子が入ってきた。最初はぼやぼやと視界に入るだけだったが、一度直視してみると思わず、目を疑い肩がすくむ。こいつは、とんだ惨事だ。


 天井はおもちゃ箱をひっくり返したかのように騒がしい。こんなにも情報過多で、情報処理が正常に追いつくのだろうか。不安が湧き上がってくるほどだ。数年前からの慢性的な頭痛の原因はもしやこれか、と邪推する。

 自分も今、初めて気づいたことだ。

 さっきパンク寸前だとしたものの、①は既にパンクしているようだ。


 ①に内包している「趣味」が完全に外に漏れだしている。これにはさすがに拡張工事の必要性を自然と煽られる。


 まず天井にはアンドロメダ銀河が映写されていている。そこに吊れ下がったボトルシップの中に浮かんでいるガレオン船が嵐の海を航海している。その下を三機の飛行艇がエンジンをふかしながら通り過ぎ、反重力装置で浮かぶ巨大なドーナツのわっかをくぐった。

 ここだけを切り取ればもはや図書館とするより小博物館というのが正解かもしれない。『ミュージアム・ゾー』に改名するが吉か。なんてぼやいてる場合じゃない。これは喫緊の事態だ。


――明日、テストが終わったらこれの工事に取り掛からなくちゃな。最悪、③での工事は後回しにして。


 ともかく今は先を急ごうと階段を上り終えると扉があって、それを押し開けると目の前には壮大な草原が広がっていた。地平線まで見通せる。


 どこか童話の挿絵のようだ。空には星はなく顔の描かれた月と太陽が喧嘩している。地上にはぽつりと水車小屋があるだけであとはただどこまでも無限の広がりさえ感じさせる草原だけだ。草原の草、一本一本も水彩画の筆でさっと優しいタッチで描かれたような色合いと形状をしている。


 ぼくはそんな突如目の前に出現した広大な絵画のような大自然には気にもかけず、平然と歩き始める。


 初めてご覧になった人はこれまでのとてつもない情報量も相まって戸惑うかもしれないがこれはそういう仕様である。ぼくはこの『アーカイブ・ゾー』内で管理下にある、あらゆる空間を自由に編集できる『ライセンス』を持つ、設計者で建築者だから知っている。

 種明かしをすると、この道には思索の途中で飽きないような工夫をしており、何万通りかの組み合わせで風景が設定してあるのである。30歩歩くとランダムエンカウントイベントが発生し、風景が切り替わるようになっているという了見である。思索の途中で気が散ることは決してない、と念を押しておく。


 今日のラインナップは絵のような見渡す限りの渺渺びょうびょうたる草原にはじまり、草木生い茂るジャングル、大戦後間もない焼け跡の残る都、無人島の浜辺、朝の市場、山の尾根、ラベンダー畑、そういった風景が視界の外へ続々と消えて行って、そうこうしている内にぼくの足はレンガで出来た地面を踏んでいた。そのまま先が見えないほど眩い光のゲートを抜けると、そこには一つの空間があった。


 ここは記憶中枢『広場』である。時間設定は現実時間と連動しているので夜だった。空には二、三個の美しい星が瞬いている。

 広場は路地裏を抜けた先にある、化け猫たちが夜な夜な集会場をするような空間だ。

 地面は茶と白のレンガで出来ていて、真ん中には特徴的な木製の〈誘導サイン〉が生えている。その周りを取り囲むように、ろうそくに灯った火が中で揺らめく西洋風の街灯が円を描きながら立ち並んでいる。


 広場からはもと来た道を含め十個に道が分岐している。ぼうっと光の矢印が地面に浮かんで、ぼくを向かいたい場所に誘導してくれる。今日は通常より時間がかかっているようだ。何度か磁場が狂ったときのコンパスのように回転を繰り返し、ようやく止まった。指した方向を誘導サインの表示と照らしあわせるとたしかにフロア⑧へくっきりとその尖端を鋭角にしている。これは『ヘルプ機能』の一種である。『ヘルプ機能』はときどき道を示しくれたり、ヒントを与えてくれたりする補助ガイドのようなものだ。


――それにしても我ながらまめに管理しているものだ。

誘導サインの表示は以下の通りだ。()には内部に置かれた施設を表示してある。


 ⓪正面玄関・ロビー・保管庫へ

 ①「趣味」(秘密基地、イベント会場)

 ②「料理」(キッチン)

 ③「スポーツ」(グラウンド、コート、プール)

 ④「世界史」・「自分史」(巨大年表、原寸大各時代風景再現ジオラマ)

 ⑤「テキスト一般」・「専門書」・「参考書」(自習室、実験室、プレゼンテーション室)

 ⑥「実生活」・「自己啓発」・「家族と友人の思い出」(家庭科室、小上映館)

 ⑦「大型本」・「地図」(ホログラム出力機付きプロジェクター室)

 ⑧「その他」・「禁書」

 ⑨映像資料別館・焼却炉へ


 ⑨には『映像資料館』があり、当館の運営方針として掲げる、『確固たる事物として管理する』を見事に表した場所である。

 当初は管理していたのは本のみであったが、思い出や知識をすべて本に纏めることは厄介で、現在は本という形だけではなく、既にフィルムが登場したため察せられるかもしれないがフィルムの他にビデオディスクや動画ファイルなどに代表されるような、映像という形態を用いたり、もっと多様な形状での記録の保管を行えるよう趣向を凝らしているというわけだ。


 ④にも目が留まる。①に次いで規模が大きいのはやはり④だ。世界の歴史とともに忘れていない、あるいは黒歴史認定を受けていない、自分の今までの記憶の全てがここに収蔵されているからだ。「自分史」以前の家族に聞いたり、資料から入手したような歴史を網羅的に、かつできるだけ史実に正確にまとめている。だが年で記録されること多い世界の歴史よりも一秒一秒の自分の生活を記録している「自分史」は莫大な量を誇る。なんならここだけで『アーカイブ・ゾー』から独立して「完全記憶資料館」でも作ってしまえるほどである。④が記憶全体のはじまりの地であり、全てはそこから枝分かれして派生していっているといってもよい。その次に大きいのが⑧だ。


 ⑧は特に異彩を放っている。何ものにも選ばれなかったものが行きつく場所がそこだ。どの分類にも属さない、あるいは意図的に分類から外されたものが、最終的に集まる場所であり、そして『蔵書検索ソフト』が示したように「言語史」のテキストもここにある。テキストを冠しているが決して⑤にはない稀有けうな例である。

 すたすたと矢印に従って歩いて⑧の入り口の前に立った。

 入り口にして異様である。その意匠は全く人を寄せ付けていない。

 ②はお伽話のようなドーナツやチョコレートなどお菓子で出来た扉があって隙間から旨そうな匂いが漏れ出しており、③は扉はなくサイクリング感覚で楽しく記憶を整理できるようにロードバイクが立てかけてあり、奥には賞状やトロフィー、スポーツに使う道具、有名選手の切り抜き記事などが並んだ棚がずらっと並んでいる。


 一方で⑧は③と同じく扉はないが、その入り口は交差する鎖で侵入を妨害されているのに加えて両サイドにある、対の牛頭骨が出迎える木のうろのような、ぽっかりとあいた入り口の奥から、生暖かく乾いたかびくさい空気がふうっと吹いている。奥を見ようとすれば、ところどころにある、足元を照らす備え付けの誘導灯も余命いくばくかと点滅し、ところどころ破れた黒いカーペットが先の見えない闇に吸い込まれるように伸びていて、ある部分からは闇と遜色ないほど同化している。道は下に降りていく形式の階段になっており、徐々に傾斜がついているようだ。魔女の隠れ家か何かだろうか。

 入り口の手前に高く積まれた分厚い本たちの上に気休め程度の長さのろうそくが刺さった手燭が置いてあった。こんなものもないよりはましだと火を街灯から拝借し、携帯した。


 それから手で鎖をこじあけて出来たその隙間に身を通す。

 鼻息を荒くする。手燭の持ち手をぎゅっと握る。

 今から下へ、いざ深淵を目指し、潜る。

 

――さながらモグラになった気分だな。

 



 そしてとうとうぼくは⑧に足を踏み入れた。


第6話〈余計なお世話〉おわり/第7話〈一瞬の邂逅〉につづく

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