第3話〈懐かしい信号〉

 「言語史」は将来、何に活かせることができるのかまったく思い浮かべることができないばかりか、約二世紀前という数字だけ見れば近そうに見えるが、区分的には近世で体感はかなり遠い昔になっているため、「言語」が存在した事実は現在とすり合わせても実感が湧かなかった。


 昔、リモート面会した、ぼくの曾祖母ルトは、そのまた祖母ユカに口頭会話を教わったため、口を使った「会話」ができる。曾祖母はよくそれで交信の途中に会話を挟んでくる癖がある。


 ぼくたちの世代ともなると口における声帯にはあまり役割という役割はなく、もう既にないひとはまったくないらしい。ぼくは曾祖母が語る天賦という信号が示す通り、曾祖母の血を濃く受け継いでいるためか、家族や学校の同学生の中で唯一、70%以上声帯が現存している稀有な例とのこと。でも大して名誉は感じない。どちらにせよ舌を使ったりとか発音の仕方がわからないため持ち腐れ状態なのだから。現に見てもらった通り曾祖母とは簡単な「会話」もできない。


 「耳」という器官も僅かな音は拾うことができるが、他は三半規管など最小限の役割を維持するだけでほとんどなくなっており、単に顔の両側にある器官の名残は広く〈あな〉と呼称されていた。


 ぼくは好きなことを中心に摂取して、頭に詰めてきた類の人間であったから、強要されることが何よりも嫌いだった。それでも、丁度第一次反抗期が終わった3、4歳頃にもなるとしぶしぶ耐えるようになった。意識の転換は嫌いなものにひたすら文句を垂れて、拒絶するのは赤ん坊のごとく駄々をこねているに等しく、客観的な視点から自らのそういう姿を想像するとそれは見るに堪えない醜い姿だったからである。


 しかし、齢6歳のある日はじめての感覚が到来した。ぼくの人生における「言語史」の登場である。頭の中に「はじめての言語史」というテキストをインストールしたときは拷問を受けたかのような吐き気を催す、ぐちゃぐちゃな心地になったことを今でもはっきりと覚えている。「言語史」は区分的には「人類史」の派生だから、歴史好きのぼくからすると意識の外からの攻撃を受けたに等しかった。前述の通り、そのヴェールの下には時代背景も同時進行で追うものの「言語学」という、まるっきり別物で化物が潜んでいたため旧来の友人に裏切られたような心地もした。これにはお手上げだった。選択科目でもなく必修科目だったことも大きかった。体が本能的に拒絶したのだから直視して抗うのにさえも時間を要した。このようにしてトラウマが植え付けられたわけだ。そして今でもそのトラウマは雑草の如き力強く根を張っている。  


 常々より、他人を介して薦められたり強制されたりして認識したものより、自分から運命的な出会いを果たしたものの方が受け入れる裾が広く、また感銘を受けやすく、とっつきやすいことをうっすら理解していたため、そういった「押しつけの教育」には子どものころから疑念を抱かざるを得なかった次第である。そりゃ根底には嫌悪感故の拒絶が隠れていたことは否定しないが、ここまで強大な敵の出現は予測不可能だった。何かしらに難癖をつけているぼくだが、大体がその場限りの悩みとして完結するため、これが最ももやもやとしたまま尾を引いて晴れない、最大の不満点のような気がする。


 だが、いつもこういった土壇場に立って悔しいけど「押しつけの教育」を受け入れる以外に道は絶たれるのだ。

 でもそんな無念でならない今となって、いざその道に立たなければいけないと腹を決めるとそこまで悪い気はしない。なぜかはわからない。  


 学業的単位がかかっている。単位の喪失は留年に直結する。それを回避できた。だからある意味頑固さを捨てきれてよかったという側面も少なからずあるだろう。 またある時を境にその都度、本当になんとなくではあるが「受け入れてみてもいいのでは」、という心理が働いているのも関係している気がした。「嫌なことでも無理しない程度に向き合わないと見えてこないものもあるんじゃないか」という、いかにも明朗快活な考え方だ。そんなポジティブさはどこからやってくるのか自分でもわからなかった。


 それにしてもぼくはこのまま社会に抵抗の旗色を翻して茨の道を歩むより、迎合して安定した道を歩むことを選択した、と言う情けない事実は変わらない。極めて自分は意志の弱い人間であると卑下してみる……とやはり違う気がする。「受け入れる」と「迎合する」じゃ意味合いのバランスが取れない。さっきまでの発言と今の発言じゃ噛み合わないのだ。


 さっきからやけに自分の中でひっかかるものを抱えている。まるで発信官に小骨でも刺さったかのように、自分の信号の波長の形を一瞬見失うように。 潜在的な二面性が対立しているとでもいうのか。  


――そういえば、昔の精神は断固『迎合するまい』だったな。


 教師や友人には「言語史」のような「押しつけの教育」に対し興奮気味に語ってみせたことはあった。皆も何かしら、教育のやり口には不満を持っているだろうと信じてやまなかったので自然にぼくの一信号、一信号には熱がこもっていたわけだが、進むべきルートが示され、その敷かれたレールを適切に歩めば「そこそこ良い人生が送れるのだから反抗するだけ無駄だ」と大多数は考えていたようだった。


 彼等は主張はとくに持ち合わせてはいなかった。 そのためか、「変わったやつ」のレッテルを貼られたぼくの周りから、離れていった人間も多かったように思える。だがぼくはそんな人間たちも政策による被害者なのだなと割り切り、身を引いた。

 でも、たしか完全に零じゃなかった。一人の人間の姿が脳裏にちらつく。


 ぼくははっきりとその人間を確認しようと目をつむる。

 ここはおそらく記憶の淵。遠くに行ってしまって米粒みたく小さくなった誰かの背中が見える。あの人の名前は――。

 どうももやがかかったように思い出す事が出来ない。なんとなくだがこのまま地平線の先にその人が消えたなら、ぼくはもうその人の名前も顔も綺麗さっぱり忘れ去って、思い出せない気がして怖くなった。  


 でもなんとか思い出せそうな気がする。回顧することをやまないでいよう。

 ぼくはその人の後ろ姿を見ながらさらに過去を振り返る作業を続ける。

  当時としては若気の至りもあったかもしれないが、今も本気で疑問視しているんだから、あの気持ちは嘘じゃないだろう。 でも今では「受け入れる」というやや柔らかなニュアンスの表現を使うように変わっている。これは、表面上は些細でもぼくの中でコペルニクス的転回に違いない。  


 だが改めてあれは恥ずかしい体験だったとは思う。  

――ん? 恥ずかしい……というのも違うような気がする。

 だがなぜ恥ずかしくないのかはうまく符号化できない。

――気のまぐれか? いやいや、まるで見当違いな行動なんだからやっぱり恥ずかしいさ。  


 瞬間、頭の中に懐かしい響きのする信号が浮かんできた。  


 〈お前…した…こ…別…恥ずかしいことじゃない…言っ…ん…よ〉  

 所々、擦り切れていても信号の成長的変化前の初々しく振幅の小さい波長が伴っていることがわかった。そしてなにより「恥ずかしいことじゃない」という旨を示す信号の配列がしっかり感じ取られた。  


 そうだ。あのとき確かにぼくの支えになってくれた存在がいた。やっぱり記憶違いじゃない。零じゃなかった、たしかな一がいた。


 記憶の淵で消えてなくなりそうだった、誰かがこちらを振り向いた。焦点が遠くによる。曇りなきまっすぐな緑の眼、すらりとした体躯、栗色の髪。

















 あれは我が生涯の友、ヘイメンである。  














 画面がスッと切り替わって頭の中にフィルムがぼんやりと現れ、ぽんとそれに白色のスポットライトが当たる。


第3話〈懐かしい信号〉おわり/第4話〈向き合う決意〉につづく

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