第2話〈世はまさに信号時代〉

 曾祖母との面会を終えて5分ほど経ってから、窓を小突く音に気づくと"セルバ"のロゴが入った、小型ドローンが借ビットコインの取り立てを急くがばかりにノックしていた。

 "セルバ"で注文したドーナツとコーヒーだ。窓を開けて商品を受け取る。

 胸ポケットに入っていたケースから、スマート・コンタクトを取って両目に装着し、「道路交通情報」を覗くとスカイハイウェイがフライングバイクの横転事故の影響で、混雑していたらしい。

 スマート・コンタクトをスリープモードに設定する。

 商品のコードをデバイスで読み込んでアプリで料金を支払うと、ドローンは満足げな羽音をたてて飛んで行った。


 ぼくは窓を閉めると、窓の左側の壁のホルダーに入っていた、反重力装置のリモコンをとってオンにする。

 体が浮かび上がる。このふわっとした感覚がたまらない。温かいゼリーの中に浮かんでいるような、胎内回帰するような、不思議な安らぎが得られるのである。


 スマート・コンタクトのスリープモードを解除すると丁度、"光速報サービス"が提供する、"光ニュース"が流れ始めていた。そういえば未だ同期契約をしていた。

 19:52からのニュースである。


 〈それでは本日、8月10日のトップニュースです。昨夜、世界人口は120億人を突破しました。連邦政府はこれに伴いまして、今日未明、3年前にアルテミス計画の第七フェーズとして開始した月面移住キャンペーンを本格的に推進する声明を発表しました。これにより来年までに――〉  


 〈……んん〉  

 

 ニュースではあいかわらず人口爆発だの、環境問題だのとわかっていながら己の利権を追求するあまり、人類が何世紀も放置してきた諸問題を声高に騒いでいる。

 誕生以来最も愚かな種に違いない自分たち人類を、宇宙にばらこうとするなどもはや他の星でのバイオテロを推奨しているに等しい。


 〈――続いてのニュースです。今月7日、政府直営の「こどものみらい研究所」は多感な人格形成期に他者から劇的な印象が与えられるとそれにより、意識の分離が進んでしまう可能性を新たに示しました。過去にはそれによって心神喪失しんしんそうしつ状態に至ったれ――〉  


 流れてくるニュースにうんざりして光速報サービス、通称"光"との同期接続を切る。まったくくだらないニュースばかりだ。


――貴重な時間を損した。

 苛々しているときの癖で足先をぴくぴくと小刻みに動かす。

 続いて"ユグドラシル・ネット"に同期を切り替える。やはり"ユグドラシル"に限る。巨大樹を模したアイコンが表示される。まばたきしてスクロールするとトップに「アルテミス計画の今後の展望への批判」というコラムが出てきた。さすが"ユグドラシル"だ。ユーザーのニーズを正しく理解し、反映しているな。ぼくはそのコラムに迷わずアクセスした。 アクセスは1秒その場に止まれば良い。

 すると毎秒推定10億人以上が使用しているというのに、コラムはすぐに開かれる。すさまじい速さだ。  


 "光速報サービス"の光速と冠したサービス名の威厳はどこへ行ったんだろう。

 今やこの"ユグドラシル"の方が情報拡散力でいえば一段速く、またそのときに不必要な情報は提供されない。ぼくを含めた現代人は0.1秒でも時短を求め、そして必要な情報の抽出及び提供を求めるのだから、"光"離れの深刻化も頷ける。

 それに充実性だって"ユグドラシル"が頭一つ抜けているのだ。


  青い光が煌々こうこうと部屋全体を照らす自室にて、ぼくは無重力の海に身を任せてまるでクラゲのように無気力に浮かんでいる。側には好物のドーナツとコーヒー、それに来年の冬に計画している冥王星旅行のためのガイドブック「冥王星の歩き方」がともに浮かんでいる。  


 ぼくはこの日も変わらず、不平不満という言葉を思い描いてはなぞる、という行動をしていた。 最近は随分とぼんやりと生きていると感じることが多い。どこにその水源があるかはわからないが、喪失感のようなものが無性に湧き上がってくるのである。


――ぼくはぼくが思っている以上に疲れているのだろうか……


 するとうちの住宅システム管理AI"Mother12"がテクノポップ風の音楽とともに騒がしく起動した。

 〈……ということは、だ……〉

 そうこぼしながら、ぼくは"ユグドラシル"の読みかけのコラムを閉じ、スマート・コンタクトのメモリを少し調節し、再度装着する。


 「外付けカメラ」機能を有効化したのだ。

 これで外景を観察できるはず。


 メニューにはチャンネルが1〜5まで設定してある。


――28区画上空は確か、チャンネル1だったな。


 目の中に外景がくっきりと浮かび上がる。それも遠くにある連邦政庁の見え方といい、街並みといい、28区画上空であることもクリアだ。

――うし、ビンゴ!


 ぼくの予想通りだ。勘は衰えていない。


 28区画の隅々すみずみに張り巡らされる、さながら無数の線虫のように展開された道を行く人々の数もまばらになってきているのがわかった。"12"の起動といい、人通りといい、夜が迫っていることが自ずと察せられた。

 さっきまで明るかったのに宵闇よいやみ迫る夕暮れの街。

 コンタクトの右目だけを一度スリープモードにして"12"の方に向き直る。  


 "12"に接続されているホログラム出力機からウサギ型のアバターがぬっと出現した。こいつは外見だけみれば可愛いのだが、見かけで判断してはいけない。擬態ぎたいという概念だって自然界に存在する。深く接してこそ実がわかるってもんだ。  


 〈マスター・ゾー。あなたの"12"です。あと60秒で夜が来ます。既存の設定により各種システムを夜間対応モードに移行します。承認お願いします〉

 〈ほい。承認したよ〉  

 〈ありがとうございます。準備のため約10秒間、お待ちください〉


――むっ。10秒もかかるのか。

 "12"といえ旧式ハードの限界か。比較してはダメだが最新の"14ex"の統合版はシステム連携がどれだけ早いことだろう。  


 〈"12"。把握した。しかし、もうちょっと早くならないか〉

 〈ただいま移行準備中です。10秒以下となりますとオーバースペックです。強制的に実行した場合、システムに最大で17か所の損傷が予想されます。マスター・ゾー、無意識的な発信であれば問題はありませんが、故意ゆえの要求なら、アイハラ(AIハラスメント)です〉


――油断した。今の会話は場合によってはAI新法違反になるのか……。罰則規定は軽いが、AI保護団体からどやされるのは面倒だ。それを回避するには……


 〈すまんね。冗談だよ。じゃあ通常通り頑張って〉

 〈ただいま移行準備中です。はい、そのつもりです。冗談も理解できるようアップデートしておきますか?〉

 〈いんにゃ、結構。お前はできるだけオリジナルの方がいい〉

 〈ただいま移行準備中です。承知しました〉

 準備が完了し、正式移行に切り替えるという報告が"12"からあり、よろしく、とだけ軽く応答しておいた。  


 完全に夜の来る前にシステム移行を完了させた"12"は目をきらきらさせて満足そうにしながらすとんと消えた。

 ぼくはそれを見届けるとやれやれと右目のコンタクトのスリープモードを解除した。


 それからやはり定刻通りに都市には夜のカーテンが降り始めた。  




 本日もこの夢の街28区画の大半の住人は健康で文化的な最低限度の生活を終えたわけである。

 静謐感せいひつかん漂う街にはじっとりとした闇が幅を利かせだし、それに呼応して処せましとその身寄せ合う多数の家々で点々と灯っていく温かい色の灯が、まるで無作為にも軽快に押されていくスタンプのように映る。


――我ながら良い詩が書けそうなくらい巧みな自然描写だ。


 街の上を国際宇宙港を発った夜の第一便の巨大旅客機が飛び去った。この時間帯だとフォボス経由火星着の便だろう。それにあのトリコロールな機体色といや、火星のエリシウム・インサイト空港の供用開始を記念して作られた新型だからフライトトラッカーを使用せずとも行先は目に見えているのだ。


 赤と青の二つの光がうねうねと蜷局とぐろを巻いたスカイ・ハイウェイ888号線を猛スピードで移動している。平均速度から今、流行りのフライングバイクの新型であることが察せられる。 新発売のエナジードリンクの空への投影広告も始まった。たしか広告元の会社の社長のキンドレドがジャポニスムに精通しているからだったか、芸者を会社のアイコンにしているらしい。眺めていると芸者がエナジードリンクをあおり、爽やかな笑顔で『これこれ』とドリンクを指さし、清涼感を演出している。


 その次には新型アンドロイド「ヘルム」や新型自家用宇宙船「BM69-1 モナ・モナシス」の販促の広告などが流れていく。消費の速い社会だ。何をとっても「新しさ」ばかりを求める。


 その点、"12"を使い続けているぼくはなんて物持ちが良いのだろうか。誇りにしていこう。いくらちょっとばかし最新式と速度が劣っていたって、信頼性という点では古いものに勝るものはないのだから。それにもう"12"は長い付き合いの友人だ。やすやすと失っては困る。"14ex"と比較したのはやはり申し訳なかった。  


 たまには空からばかり見ていないで地下に潜ってみることしよう。コンタクトのチャンネルを1から3へ切り替える。

 地下は歓楽街の艶やかな妖光で彩られていた。バーやらキャバレー、カジノにクラブなど地上とは打って変わって人間の本質がはっきりと露呈するため、自分には水が合わないだろうと感覚がそう告げた。まぎれもなく特殊な環境だった。ここではこれからが夜であり、同時に「昼」なのだろう。  


 ぼくはその諸々のコンタクトによって視神経に直接流れ込んでくる外部の情景をぼんやり眺め終えると、コンタクトの電源をゆるりと切り、たいそう陰鬱で退屈そうな人生に疲れた老人みたいな顔をして、そのままの姿勢で背伸びをした。背伸びと同時にあくびが漏れた。

 ここ数年くらい、睡眠の質が悪い日が二日に一回くらいある。適切な脳内の情報処理が追いついていないのだろうか。

 学期末テストが目前に迫っていた。脳内にある「予定表」が、残酷にも明日の日付の部分を赤く点滅させて、この怠慢に警鐘を鳴らす。


 思い当たるものは「言語史」。  

 ここでぼくにとって頭痛の種を思い出してしまうミスを犯した。

 単語としては曾祖母との面会時にも出していたが、それが秘めるその邪悪な全容を想起してしまったのである。


 嫌な響きの信号がピリリとぼくの大脳あたりを刺激した感じがした。 過去をときに省みながらどうにかならないものかとしばらく空中を忙しなく歩きながら思案したが、どうにもならないという答えが当然の着地点だった。


 現在というものは当たり前のことだが毎秒過ぎ去っているもので、いつまでも学級会のようにのんびりやっていられる余裕など皆無なのは確か。うすうす理解しつつも結局、「言語史」に触れずしてこの一夜を過ごし明かす手立ては無いようだった。  


 「言語史」とは――最もぼくが苦手とする、非常に厄介な単元である。


 以前、いやいやながらも聴講した、アーバンシィ先生の「言語史」の通信講座のさわりの部分を思い出す。アーバンシィは「言語史」のエキスパートにして、うちの学校の名物講師である。その華々しい実績から固定ファンの聴講生がいるくらいだ。

 レーザーポインターを片手に浮遊するイスに座った、アーバンシィ先生が講義をしている姿が浮かび上がってきて、目を閉じる。

 〈「言語」っていうのは今現在普及している、ンガバ信号及びメディアス符号のベースになったものだ〉

 一応、広義ではンガバ信号も「言語」に含むらしいけどその点は先生は考慮していないらしい。嫌いなりにも一般常識程度の知識ならある。曾祖父母の時代まではまだ意思伝達手段として現役で、主に年配層ではあるが一部使用されていたらしい。学校が主催した講演会で知った。  

 先生は胸ポケットからスタイラスペンを取り出して、空中に「縺薙s縺ォ縺。縺ッ」と解読できない意味不明な文字のようなものを書いた後、続けてその横に〈こんにちは〉と『符号』で書いた。おそらく「縺薙s縺ォ縺。縺ッ」とは文字で「こんにちは」と書いてあるのだろう。

 意味不明な文字は何語由来の文字なのか調べると「トルコ語」というらしい。

 先生はふっと書いた文字に息を吹きかけると文字はふわふわと飛んで行って、シャボン玉のようにはじけて消えた。〈こんにちは〉という符号だけが空中に残った。

 〈現在のメディアス符号の普及の始まりは約180年前、エリア2(旧アフリカ)南東部にて脳を60%以上活用した胎児ラムラ・ンガバの誕生が起源である。ンガバは生後若干三日目から自分の意思を相手の脳内に直接伝える〈信号〉という人類史上、革新的な意思伝達手段を用いた。この信号は「会話」時に語り手、受け手の相互の脳の間脳部にある発信官と受信官の共鳴によって会話が成立することが後に判明する〉 

 「会話」という表現はわりと古くさいな。正式には〈交信〉である。先生は「会話」がもう死語なのを知らないのかしら。それとも文脈上、適宜、そう表現しているだけか。

 ここまでは何てことはない、前世紀からイルカも似たようなもの、たしかメロンといったか、そういった器官を使ってコミュニケーションをとってきた。進化の道筋としては真っ当だろう。


 〈それよりも特筆すべきは、目で見たり、鼻で嗅いだり、舌で舐めたり、その他何らかの手段を用いて取得した情報のほとんど全てを長期間記憶しておけるといった能力も兼ね備えていた点である。これは当時ンガバが独自に持つ、サヴァン症候群の一種であるとして片づけられていたが、ンガバの一件を皮切りに世界各地でも同様の事例が相次いで確認されたために新しい人類種の固有の能力であることが発覚した〉

 たしかに生まれた時からそういった能力を保持していたから、あまり意識したことはないが、これはかなり画期的な進化なのだろう。

 今は記憶の経年劣化による記憶の自然消滅などはあるが定期的に介入し質を維持することで未然に防げるし、記憶の最大蓄積量もある程度、自由な裁量で拡大できるので記憶の量は実質的無限である。


 〈この新人類種発見後、すぐエリア7(旧アメリカ)西部のフェルナンド大学の「言語」研究の第一人者、ロバート・ブライアン・メディアス博士が政府と提携して作り上げた翻訳ソフトによって、〈信号〉の波長をオシロスコープ等により解析して、それを記号化した新たな文字の形態、世界共通の意思伝達記号・符号が確立された。ンガバらをはじめとする新人類はこの符号の使用を好み、自分たちの記録手段として日常生活上で用いるようになった。人類の時代は地域によって異なる言語で会話し、各言語に基づいて存在する文字を用いた記録を行う歴史時代から、地域に関わらず信号で交信し、信号に基づいて存在する符号を用いて記録を行う信号時代へと移行したわけである〉

 先生はそう信号を拡散すると、〈ここテストに頻出だぞー〉と付け加えつつ、浮遊するイスを降りた。

 信号は人類の革新によって自然発生したものであるが、符号は信号に則した後付けの記号であるという点でかなりの異色なルーツを持つのである。「言語」なら「韓国語」のハングルなどと似た成り立ちである。



 世はまさに信号時代だ。



 この信号と符号の両立関係の誕生により、文字や言語体系が統一されたため、言葉の壁が取り除かれ、ダイレクトに思想の交換が可能になったことで衝突を招き、大戦さえ起ったが、大戦終結以降、各国の結びつきはみるみる強くなり、過程は大幅に省略するがそこから約一世紀をかけて連邦政府の樹立へと向かうのだが、今回はそれの詳しい詳細はいいだろう。

 ぼくたちはそんな信号時代の第六、第七世代の中間層ぐらいに当たる。

 〈では続いて――〉

 そこで通信講義を終えた。これ以降を聴くのはやはり苦痛である。心構えができていない。


 ぼくは目を開けた。


 こうやって近年の変遷の歴史だけ切り取れば面白いかもしれない。   

 しかし、これはあくまで最終章で、七章の「近代への言語形態の変遷~歴史時代から信号時代へ~」の内容だ。通信講義のためにかなり過程を飛ばして受講できたから「言語史」の名場面のみを切り抜けているわけだ。

 それにここは学校での授業の年間予定上、最後に一気に駆け抜けることになるから面白さは半減する。

 メインである一章から六章までは、約180年前までは実際に広く使用されていた各言語の成り立ちを学び、文法や熟語、慣用表現の基本から応用、さらには発展の内容を幅広く理解する必要がある。その他にもテキストでは地域で異なる訛りや他国から伝来しそのまま帰化した外来語、著名な言語学者や翻訳者、通訳者なども紹介されている。まあこれは抑えておくことが無難だろう。  

 だが、コラムでは明らかに場にそぐわない、変なフレーズがプリントされたシャツを着た中世人が手に小型扇風機を持って、胸を張って街を闊歩している21世紀当時の写真が掲載されていたりもする。一見、閑話休題のように見えるコラムが、こういったテキストの隅に書いてあるような些細な部分からも踏み込んだ内容が問われることがある。

 試験ではぼくらの記憶力はほぼ無限なわけだから、知識問題なんて問われるはずがなく、思考力と文章作成能力、説明能力が試される総合問題が出題される。ハシュメル先輩をはじめとした先輩諸氏から幾年ぶんかの過去問をもらったが、あまりあてにしないほうがいいとのこと。毎年、問題形式は異なるらしいから。  



 それが今、ぼくたちが置かれている状況なのである。


第2話〈世はまさに信号時代〉おわり/第3話〈懐かしい信号〉につづく

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