第16話それぞれの役目

出合橋(戦国期なのでもちろんまだ無い)やや上手付近なので市ノ坪辺りから、北川原~筒井~松前湾頭と続くのが伊予川(重信川)。


改修する要は2点、雨などで水位が上がった際に大きく曲がった河川が決壊して災害となっている。もう1点は上流からの土砂などによる川底の上昇だ。特に伊予川は天井川なため気を付けたい。


「あなた悩み事ですか?」


カナのその一言で盛国はハッと我にかえる。


「いえ、大したことではありません。少し呆けていたようです」


そう笑顔で答える盛国にカナは心配そうにしつつも納得させた


「それでしたら良いのですが」


「ええ、カナさんも伊予絣の生産で忙しいでしょうに大丈夫ですか?」


「はい、皆さん良い方ばかりで昨日も大根を頂いたので、お漬物にしています。今晩には食べれると思いますので食べましょうね」


笑顔のカナに盛国は励まされる。


(伊予川の工事は一大事業だがやってのけた人が居たのだ。手探りならともかく、やり方も分かっているんだ。あとはその通りにすれば失敗はない)


そう自分を鼓舞してみせると勢いで立ち上がる。


「カナさん行ってきます!」


「はい、いってらっしゃいませ」




市ノ坪に着いたら邦三郎さん達工夫が待っていた。勇んできて見れば一番最後だったことに恥ずかしさを覚えつつも工事の予定について説明する。


「伊予川は今までの記録や皆さんの経験からも分かるように、ここから決壊して多くの田畑を流してきました。ですので流れに逆らわないでこのまま西に川を伸ばし最終的には今出と塩屋の間から海へと流れるようにします。川幅は今の倍近くにして堤防を築く時は川底を掘って積み重ねていってください」


そう盛国が伝えると事前に決めていた組み分けの代表を邦三郎が集めて細かい打ち合わせを始める。私も門外漢ながら責任がある以上どんな話か確認しておく。


邦三郎の説明が一通り終わると邦三郎が声を張った


「じゃあ、俺達の為に性根の曲がった川を真っすぐにしてやるぞ!!」


そういうと一斉に「おー!!」と声が上がる。


盛国はこの勢いなら大丈夫だと安心して皆の作業を手伝うために自分も人々の中へと溶け込んでいった。








一方で来島の村上通康は一通の文と睨めっこしていた。内容は簡潔に「能島村上を味方へ引き込むこと。」その為に通康はある程度の裁量権を認められている。能島の村上武吉を1000石で迎える事。小早改1隻を渡す。越智郡に2000石分の田畑を能島の物とする。これらの条件を上手く使い引き込めとの事なのだ。


最悪は友好関係でもよいとの事だが、その代わり私の評価は下がるのだろう。


ただ河野の二本刀と呼ばれる盛国殿と友直殿ほどの活躍を望まれていない気もするがこれは考えすぎかもしれない。やはり道直様の時の乱で私の評価が下がったのが原因だろう。だがまだ幼い当主である武吉を高く評価しているのは何故だろうか。疑問は残るが今は無くした信用はここで取り戻すためにも動く事だ。


「吉継よ一緒に参れ!武吉殿のもとへ行く」


「はっ!」




~能島~


「あれは?来島の舟か。武吉様と隆重様に知らせてこい」


「はい」


武吉は来島の訪問を予期していた。今、河野家は人でにぎわい始めている。ここで自分たちを抱え込めば更に外から人がやってくるだろう事そして兵力も上がりより海を強固に支配できるのは想像に安い。


だが昨年の能島騒動で晴通の指示だったというが来島殿を筆頭に河野水軍は村上義益を退け私を当主として迎えてくれた恩がある。だが誰かの下に着くのは性に合わない何とか友好関係ですまそう。そう考えていた。




武吉は通康を歓迎した。


「よく来てくれた通康殿、急だったために大したものはないがやってくれ」


それに対して少し申し訳なさそうな来島


「申し訳ない。私も急な事で焦ってしまったようだ」


「いやいや、通康殿はこの能島を奪還してくださった方無下に扱っては罰が当たります」


昨年、来島・正岡・二神で能島の村上義益を討ち菊池家へと逃れていた武吉を迎えたのである。


「武吉殿は会うたびに立派になられる。晴通様も良き当主になると思ったらこそ支援したのでしょう」


そういわれて照る自分(武吉)はまだ若いということだろう


「そうだな晴通殿にもよろしく伝えておいてくれ」


「殿もその言葉だけで十分に武吉殿の心が伝わりましょう」


そこまでやり取りを見守っていた隆重が口を開いた。


「して今回の訪問はどういったご用向きでしょうか?」


「ふむ。その事なのだがな、先に一緒に連れてきた小早改を見られたか?」


「ああ、変わった形の小早だったな」


「はい。あれこそが、これからの海戦を変えていく戦船です」


「ほう?あれが…ですか」


それ程のものがあるのかと改めて思い出すが変わった形の小早ではあった。


「船首にあるのが大型の火縄銃を一門取り付けてございます。」


「横についている物は何だ?…いやあれで波の揺れを安定させているのか。だがそれでは砲も重かろうに機動力が失われるのではないか?」


武吉は疑問から推察して通康に確認してみる。


「流石は武吉殿、その通りです。ですがあの船が量産された暁には機動力など関係なくなります。」


「確かにそうであろうが数をそろえることは出来るのか?」


コレを20も並べればいくら関船でも一溜まりもないだろうが相当量の資材が必要になるだろう。


「はい。河野家は今、豊作です。しかもその豊作が数年続いております。これは田畑のやり方を変えたからこその結果です。ですので十分な米がありますので鉄はありませんが買うことは出来ます。今は8艘ですが20艘まで増産したら海に敵なしになりましょう」


「確かにそうだろうが…」


「はい、そこで話は戻るのですが河野水軍へ参加しませんか?20艘まで生産したら、そのうちの5艘を預けるとの事です。また1000石で召し抱えるそうで田畑も約束してくれるとの事です」


「む。まだ若輩の身に過分な期待をされておられる」


確かに過大評価ではあるが下に付くというのは性に合わない。


「いえ、殿には先を見る目がございます。武吉殿の事も光るものがあったのでしょう」


「とは言えスグに返答はしかねる問題だ。皆とよく協議して返事をさせて頂こう」


「それが良いでしょう。色よい返事がもらえることを期待しております。それでは失礼する」




あの新型の小早のことも含めて皆と話し合う必要がありそうだ。






後書き


芝辻砲

慶長16年に徳川家康が作らせた大砲で重量1.7㌧・全長313センチ・口径9.3センチになる鉄製の大砲である。




小早に乗せたのをこれに近いクラスだと仮定した場合


加工のしやすさから青銅とした場合、比重が鉄と違うのでどこも肉厚にしないで良いとしても単純に考えて重量は約2㌧になる。


小早を漕手15名として大砲を作業するものや弾薬等の準備を考えて3〜5名乗員


動きやすさ重視の軽装としても1人70㌔とした場合最大20名で約1.4㌧乗組員より重たい事がわかる。


関船の積載量を28㌧と考察している人を見たことがあるから小早でも乗せるのは問題ないと判断


問題は数年で小早改を8艘作っちゃったから16㌧にもなる青銅をどうやって確保したのか…。


採掘量にも限界があるだろうしシイタケは小出しにしないと値崩れおこすだろうから資金面も怪しい。


銅は産出するから錫を買い漁った設定は無理か?それができたら青銅への加工を愛媛でやればイケるはず!


問題は錫の産地が近場にあるかどうかだが…大分の木浦鉱山があったので大友さんと仲が良ければ大丈夫なはず。

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