第4話椎茸発見!チートだ!!
翌年1544年1月
1つの事件が起きた。
大野家より4男の大野直昌おおのなおしげが使いとして来た。
内容としては新当主の大野友直おおの ともなおが毒殺されそうになったと言う事だ。友直自身はなんとか持ち直し回復していっていそうだ。友直は毒から持ち直すと犯人捜しではなく急ぎいくつかの資料を書いたという。そこで本格的な調査を父の利直が行った。結果、犯人はスグにわかった、弟の大野直之おおの なおゆきだったのだ。それが分かった時にはもう直之は友直の作った資料の1つ持ち出して宇都宮領に向かっていたが5男の大野直光に追わせた。運悪く直之が肱川を渡ったタイミングで雨が降り肱川のカサが増し直光は渡ることができなかったので仕方なく陣を敷き肱川のカサが減るのを待っていたら祖母井之重うばがい ゆきしげと戦になった。祖母井は地元のものしか知らない場所から渡河して直光を攻めた。そして矢の当たり所が悪く直光は亡くなった。
この流れは歴史の知恵にはない出来事だった本来なら友直は死んで直昌が最終的に家督を継いだらしい。
これは歴史がその通り進んでいないという事だ。ならばやはり未来の知識で歴史にかんしては当てにならんという事の証明だ。
晴通の中での友直の印象は新当主にふさわしい風格を持っており大野家も河野家も引っ張る将になるだろう。そう思っていたからこそ友直の死は何とかしたいと思っていたが嬉しい誤算だ!
しかも、椎茸探しを熱心に行っているらしい。これで財政面でかなり楽になる。
だが直之を逃がしたせいで宇都宮家に入り婿しているので手が出しにくくなってしまった。直之に来るように大野家から再三の使いは出しているらしいが出ては来ないだろう。
河野家からも身柄の引き渡しをするように送っておくと約束した。
そして後日、友直が別件で許可を得たいとの事で湯築まで来たのだがその内容を聞いた時に私は欠けていた知恵を授かったのは直友だと確信した。
「直之の件申し訳ありませんでした。」
「よい。そなたこそ毒に打ち勝つも兄弟を亡くし辛かろう。」
「殿、勿体無いお言葉ありがとうございます。ですが大野家の当主として出来ることをするだけです。事前に書面にて内容を送らせていただた通りこの肥溜めの生産に入らせていただいていいでしょうか?」
確かに一見すると肥溜めのようだ・・・だがヨモギや麻が気になるこれは硝石の作り方じゃないのか?
だが蚕って関係あったか?記憶では蚕は特に関係ない・・・が。
しかも隔離して何かから隠すような場所に作る意味は・・・。
それに肥溜めなら許可を求めたりしないはず、ここはカマをかけるか。
「大野氏よこれは肥溜めでなく硝石丘方ではないのか?」
ビクッ!!と体が揺れた。当たりのようだ。
それで椎茸を探していたのか。
大野領なら確実にあるからだ未来では木炭の需要が無くなり次に椎茸の原木栽培が盛んだったみたいだしな。
「硝石丘方は今はまだ無い方法のはず何故知っている?」
「はっ!・・・狸に化かされたと思われるかもしれませんが。毒を盛られ死ぬかと思った日に夢を見ました。そこで未来を知ることが出来たのです。殿も【今はない製法】とおっしゃいましたが私と同じでしょうか?」
全く同じと言う事か。
「うむ、その通りよ。大野氏よ・・・いや友直よ、それは狸ではなく伊予を発展させ名を残す為に授けてくれたものではないかと考えている。だからこそ、それ以外の知恵に乏しく私の知らない事もある。その蚕を使う方法だ。」
「そうでしたか。確かにそう考えるのが自然なのかもしれません。・・・蚕は別で培養法と言い蚕を使った方法は丘方より時間がかかりますが純度が高い物ができます。それでも生産できる量とこれからの戦準備を考えると少ないと思いますので南蛮との交易は不可欠かと思います。」
「確かに、スグに火縄銃が確保は出来ないが炮烙玉や棒火矢など多いに越したことはないか。」
「はっ!後は硫黄ですが確か温泉からとれると知恵にはありましたが道後から取れましょうか?」
直友の知恵も完璧ではないのだろう硫黄とアルカリの違いの知識は無いようだ。話の流れ的に農法も無いのかもしれんが確認は大事だと思い尋ねる。
「道後の温泉はアルカリだから取れぬ。商人から買い付けるためにも大友殿と友好関係が必要になってくる。その為にも石高の向上や珍しい物という意味でも椎茸には期待しておる。あと農法に関しての知恵は授かったか?」
「はっ!かしこまりました。農法に関しては肥溜めくらいで後は名称のみで実践の仕方については分かりませぬ申し訳ありません。」
ということは農法に関しては同じか。最初の起爆剤である、ここがどうにかならんと石高は上がらないと頭を悩ませつつも盛国に期待するしかないか。
それより宇都宮との本格的な戦が始まる備えをしないといけない。
悩みの種が尽きぬな。と苦笑いが出る。
それを察したのか友直は申し訳なさそうに「ご迷惑をお掛けします。」と頭を下げ謝罪した。
直之は仕方ない未来の知識によると。アイツは何回も裏切り、そして最後には和解したいと言い逃げ込んだ長宗我部領から来て会談の場で長宗我部勢の伏兵で一族を攻撃して、多くの一族を失ったのだ、その地は未来では大野ヶ原と呼ばれるほどに悲惨だったというのだから反省もしない獅子身中の虫なれば早くに処理したいだろう。
そういえば直之は何か資料を持って逃げたといっていたな?
「友直よ?直之が持って逃げた資料はどの程度重要なものだ?」
「今の我々では手に負えないものなので大丈夫です。磁硫鉄鉱と言いまして見た目は金のような物で八幡浜の氷谷にあると記したものです。」
「ならば安心だな。」
「はい」
そしてもう一つ晴通には確認しておきたいことがあった。
「友直よ椎茸の方はどうだ?」
「はい。椎茸のなっている原木は見つけることが出来ましたが後は繁殖方法で原木の乾燥具合や保管方法・時期的な事など手さぐりになりますのでお時間は頂きたく思います。」
そう友直は頭を下げた。
「いや気にするな。原木が見つかっただけでも十分よ。あとは時間との勝負だな。それから…」
晴通は座りなおし真剣な表情で友直に尋ねる。
「お前の得た知識では今後、我らはどうなっておる?」
そう聞かれた友直は少し言いにくそうに答える。
「はい。私の得た知識に河野家の事は多くないです。今後、織田信長というものが鉄砲を使って領地を拡大しその者が倒れたら豊臣秀吉が立ちその者も亡くなれば、その次に徳川家康この者の天下が約260年続きます。」
「ふむ。やはり同じか…。実は垣生の盛国も我らと同じく知恵を授かったのだが、内容に違いはあるのだが歴史に関しては同じ内容なのだ」
その言葉に友直は驚きを隠せない。
「垣生殿が最近、変わった農法を始めたというのはそういう事でしたか。でしたら石高は確実に増えますな。」
「ああ。だが、やり方が皆に浸透するのには時間が掛かろうな。分かっていても昔ながらのやり方を変えれない者もいよう。実際、今の盛国の評価は奇人だからな。」
そんな話をしていたら人が慌てた様子でやってきて叫ぶ。
「殿!村上清月の使いという者から宇都宮がこちらに侵攻する準備を始めたそうです。」
急いで伝えに兵がきた。
「宇都宮め直之にそそのかされたか。」
友直は悔し気な表情でそうつぶやいた。
「宇都宮が山道から来たら大野の本体で後方から打て。もし備えがあればなるべく時間を稼げ。ただ一部の部隊は犬寄峠で合流せよ!平岡・垣生・二神・忽那に戦評定を行うから急ぎ来るように伝言を出せ!俺も出陣する!後の事は道宣に任せよ!急げよ!!」
湯築城は一気に慌ただしくなった。
湯築城
「皆集まったな」
と部屋に入ると二神重直・平岡房実・忽那通乗・垣生盛周・大野直昌の5人が頭を下げて待っていた。
俺も座ってから顔を上げさす。
「殿、最初に大野家の代表として一言皆様にお伝えしたいのですがよろしいでしょうか?
「許す。」
「こたびの戦になった原因は我等、大野家が敗れた事で侮られ今回の侵攻に繋がり皆さまの助力を頂く事となりました。別命を受けており今回、微力ですが私、大野直昌が大野家代表として参加させていただきますので申し訳ありませぬがよろしくお願いします。」
「気にするな!逆に手柄を上げる機会が来たと思うほどよ!なあ!重直殿?」
と大声なのは忽那道乗くつな みちのり
「そうだ。」
と短く答えたのは二神重直ふたが みしげなお
「困ったときはお互い様ですよ」
と答えたのは垣生盛周はぶ もりちか
「そうです。これは守護大名として宇都宮氏は南北朝時代のドサクサに紛れて守護を自称しているのです。その領土を本当の守護大名の河野家の支配に置く好機です。」
とは平岡房実ひらおか ふさざね
「その通り、ココには皮肉屋の戒能も弱い者いじめの和田もおらぬから気にするな。」
と俺が言うとドッと皆の笑いが起こった。
「ありがとうございます。」
と直繁は答える。真面目だな。
それから軍議は始まる。
宇都宮の侵攻で取れる道は2本、中山村を超え犬寄峠からか双海を経由する陸路だ。
山越えはつらいが伊予水軍がある以上は山越えで来るだろう。
そうなれば盆地の佐礼田されだにを主戦場にして山間からの包囲攻撃したいところ。
なれば二神・忽那の両水軍を上手く使いたい
本体は上手く偽装したいところ。
・・・・・
・・・
・。
ふむ何とかなりそうだな。
後書き
友直の死は不明ですが44年は祖母井との戦で討ち死にした五男が記載されているのでこの時ではないと考察し病死では晴通と同じなので丁度毒殺しそうなやつがいたのでコイツきっかけで宇都宮との戦端を開くことにしました。(直昌の毒殺失敗したのは3男だけどね)
当時の南北朝時代の表現が分かりませんでした。
愛媛の椎茸について
愛媛県は昭和35年ごろまでは、大阪市場向けの木炭産地として重要であったが、燃料革命後は木炭が衰退し、これに代わって椎茸が重要な産物となってきた。
椎茸栽培は、全国的に需要が拡大していき。県内のしいたけ生産量は、昭和38年には乾しいたけ169t、生椎茸71tであったが、昭和55年には乾椎茸が1283トン、生しいだけ1176トンとなり、生産量は増加をみせた。だが令和3年時点で県内の乾椎茸126t、生椎茸621tと減少しているが、そのうち生椎茸30t、乾しいたけ452tは内子町(雑に言うと大野領周辺と思ってください)での生産となっている事からも戦国時代からでも知識さえあれば栽培可能と判断しました。
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