第一章 第9話「その時、僕は小動物のように足が竦んでいた」
森を進むとすると突然、前方の茂みからガサゴソと音がする!僕たちは思わず身構える。ノア様が僕の手を引き近くの木の陰に隠れた・・・ 。恐る恐る音のする方を見ると、そこには二つの頭を持つ狼の魔物がいた!前足と後ろ足は筋肉質で太い尻尾は蛇のような形をしている。その怪物は僕たちの方は見ていないようだった。僕は驚いて声を出してしまいそうになり口を押さえた。心臓がドクドクと大きく鼓動し、背中から汗が滝のように流れているのが分かる・・・。
2つの頭を持つ狼は辺りを伺った後、そのまま茂みの中へ消えていった。
ノア様が小声で話す「あの2つの頭は…。」
僕も小声で話す「あれはなんですか?」
ノア様見ると少し考え込んでいる様子だった。しかしまた静かに話始める。
「私も実物を見るのは久しぶりです、ただあれは2つの頭・・・確かランクはCの魔獣で”オルトロス”という名で危険度は高いです」
僕はそれを聞いて不安になる・・・。するとノア様は僕の手を引きながら言う。
「だ、大丈夫です、私が守ります」
僕はその言葉に安心し頷く。そして再び歩き出す。暫く歩くと少し開けた場所に出る、僕は極度の緊張とノア様の声で頭が割れそうになっていた。
「すいません・・・。」僕は近くの木に寄りかかりしゃがみこんだ。
ノア様は心配して近寄る、少しして布巾に持っていた水に掛け手をかざし何か魔法を掛けた。
そして僕の後頭部に布巾を当ててくれた、ひんやりとして気持ちがよい。後で知ったがノア様は回復魔法と氷系の魔法が使える。
ノア様は僕の横に座り膝を崩し僕をひざ枕で首を布巾で冷やしてくれている。
僕は彼女の優しさと2つ頭の狼の魔獣を見た恐怖と自分のふがいなさに涙がこぼれた。
ノア様は徐にマスクを外し僕の顔に近付いた。唇がそっと触れる
ノア様は緊張で固まっている僕はこめかみに痛みが走りながらもキスをした。
何分間だろう・・・、僕には分からないがそっと口を離した・・・彼女少し赤らめた顔で僕を見つめる・・・ 僕は正直もう何がなんだかわからない・・・。
日が暮れた森で恐怖と快楽が同時に僕の心を支配する。僕の膝が震え腰が抜ける。恐怖をかき消そうと再度唇を重ねる。まるで触手に絡め取られたように彼女は動けない。ノア様は力なく仰向けに倒れ、甘美に呼吸を乱す。そしてまた唇を合わせる・・・。
もはや”体液の交換”という大義名分から外れている行為だ。
この時恐怖からの現実逃避の為、ただ情欲に支配されていた・・・。
その時遠くで獣が吠える声がした…。ノア様は身体を起こす。僕は彼女の目を見つめた。彼女の目は潤んでいたが理性を保とうとしているのが分かる・・・
「すいません・・・」僕は我に返り彼女から体を離した。
ノア様は無言で衣服の乱れを直す・・・。
沈黙が続いた後ノア様が口を開いた。
「私は大丈夫ですから・・・。」と少し震えた声で言う。そして彼女は立ち上がり僕の手を掴んだ。
「少し先に進みましょう。」僕は彼女の目を見つめたまま頷いた・・・。
彼女は無言で歩き出す・・・。僕は黙って付いて行く・・・。
しばらく歩くと丘が見えた。丘の上には大樹があり、その下に少しくぼみがあった。ノア様が立ち止まり振り向く。彼女の目は潤んだままだったが表情は少し穏やかになっているように感じた。そして彼女は口を開いた。少し休みましょう。と
僕は頷きノア様の隣に座った。彼女は仮面を外し僕を見て優しく微笑む・・・。僕は少しホッとした様子で頷いた・・・。僕たちは荷物の中から水筒を取り出し喉を潤した・・・。一息ついたところでノア様は僕の肩に頭を預けた、そして一言だけ呟く・・・”ごめんなさい”と・・・。
僕は彼女の頭を軽く撫でた。するとノア様は泣き出した・・・。
「ご、ごめんなさい・・・、初めての仕事なのにあんな魔獣と・・。」と彼女は繰り返し僕に謝る。僕は黙って彼女の頭を撫で続けた・・・。
「頭の痛みはノア様の接吻のおかげで和らぎました。」
ノア様は気持ちを持ち直し僕に言う。「”オルトロス”が歩いて行った反対側の森に入りましょう。」
そして僕たちは立ち上がり森に向かって歩き出した・・・。森に入りしばらく歩くと、大きな岩が連なる場所に出た。岩の陰に隠れながら奥に進む、すると小さな泉があった・・・ 僕たちは泉の側に腰を下ろし水筒に水を補充した。ノア様が口を開く。「あの”オルトロス”という魔獣は頭が2つありますが知能は低いです。縄張り意識が強く、一つの縄張りを徘徊するだけで次の縄張りにはあまり進みません。」
「しかし、あの”オルトロス”はせっかちですぐ飛び掛かってくるので厄介です。もし出くわしたら私が囮になりますから貴方はすぐに森を降りるように逃げて下さい・・・。」
「私はDランクですが、足止めは大丈夫です。」
と彼女は言った。僕は頷く・・・
ノア様は続ける「私が足止めしてる時、貴方は躊躇せず振り向かないで逃げて下さい・・・。」
僕は無言で彼女を見つめる。彼女は僕の目を見つめ返す・・・ 彼女の目は真剣だ……。その目を直視すると体が小刻みに震え始める・・・。
『僕は冒険者にならなくてはいけない、このまま彼女の庇護のままでは……。』
前世の情けないニートの記憶が蘇ってきた。僕は心を落ち着かせ意を決した。
「もう大丈夫です、行きましょう!」ノア様は仮面の下で柔らかい目で僕に微笑んだ。
僕たちは岩陰から静かに出る。ノア様が先行し僕は彼女のマントの端を掴んだ。そして慎重に森を進み始める・・・。暫く歩くとノア様が急に立ち止まった。「止まって下さい」彼女は小声で僕を呼び止める・・・、前方を見ると鹿らしき獣が2頭見える、木々の間から頭部の角が少し光るあれが”魔角鹿”か・・・ 僕たちにはまだ気付いていない……
僕は覚悟を決める……僕は深呼吸をして静かに短剣を抜く!ノア様は無言で頷いて僕の前に出る……。そして2頭が離れる隙を伺う
緊張と静寂がこの森を包む。
ノア様は短剣を構えると”魔角鹿”に静かに足音を立てずに後ろから近付く。そして2頭が離れた瞬間、、一瞬で距離を詰め彼女は短剣を横にまっすぐ突き刺す・・・。僕は木々の間から彼女の斬撃を見守った。
「シュッ」と風を切る音と共にノア様の短剣が魔角鹿の腹部を刺す・・・”魔角鹿”がひるんだ瞬間、魔力を持つ角に触れないように仰向けになりながら喉元を短剣で仕留める
「ドサッ」と魔角鹿倒れた音でもう1頭が気付き、ノア様の方に振り向く!
ノア様は喉元を仕留めた時に地面に倒れている、もう1頭の魔角鹿は攻撃態勢に入っていた。僕はパニックになりながらもノア様の助けになりたい一心で前に出る。
僕が踏みつけた枯れ木が折れ”魔角鹿”が僕の方を見る。”魔角鹿”の角が赤く光る。そしてゆっくりと僕に近付いてくる。恐怖で足がすくんで一歩も動けない。
短剣を持った手から冷汗が流れる。『殺される……。』そんな恐怖が僕の身体を更に硬直させる。
”魔角鹿”が僕に一気にダッシュで僕に距離を詰めてきた時、尻もちをつき恐怖で目を閉じ腕で顔を守る
『アイスバーン!!』
あの聴きなれた声だが同時に魔力が掛かったその声は僕の頭に極度の痛みを走らせる。
僕が目を開けると”魔角鹿”の脚と地面が氷ついていた。ノア様は冷静に短剣を素早く振り下ろし、魔角鹿の右目をくり貫く。
「グァー、ガァ」魔角鹿は悲鳴を上げる、そして喉元を仕留めた。
地面に”魔角鹿”が倒れた音が響く。
僕はノア様の魔法詠唱の声と初めての魔獣との対面で恐怖で嗚咽して地面に吐いた。ノア様は僕に駆け寄りマントで僕の口と汚れた手を優しく拭いて抱き寄せた。そして彼女の柔らかい胸に僕は顔を埋めて泣きながら謝った・・・。僕は怖くて何もできなかった・・・情けない自分が許せなかった。
ノア様は「大丈夫、大丈夫ですから・・・」と言いながら僕の背中をさする。僕はしばらく泣き続けた・・・。
暫くして落ち着いた後ノア様は魔角鹿を解体し、皮や肉、骨など素材になるものを回収していく。それを呆然と見つめる僕…。「魔角鹿は皮、骨など素材になりますからギルドに持って行くといい値段で売れると思います・・・。」
「それに皮は今の装備を防具屋で加工補修してくれるかもです。」
ノア様は微笑みながら僕に話す・・・。彼女は本当に優しい女性だ。僕は彼女に買われて本当に良かったと心から思った。
しかし一つ疑問が残った・・・なぜこれほどまでに魔物の討伐に慣れている彼女が低ランクなのか……、僕が彼女を見つめていると彼女も僕の視線に気付いたのか口を開いた。
「私はソロではこのランク帯の魔物を何度も狩った事がありますが、パーティでの討伐経験は殆どありません・・・。だからDランクなのです・・・。」と彼女は言った。
僕は納得した・・・ ノア様は皮を袋にしまいながら僕に言う
「肉は私の魔法で凍らせます、少し冷たくて重いですが貴方のリュックに入れて下さい。」
僕たちは森を歩く、辺りは暗くなり始めていた。
「今日は野宿ですが、山を少し降りて洞窟か岩の窪みを探しましょう・・・」とノア様が話す。
僕は頷き彼女の後をついて行く・・・ 暫く歩くと山の中腹の岩が連なる場所に着いた、ノア様は「ここで野宿しましょう」と言い荷物を下ろし仮面を取る。
僕は彼女の指示に従い薪を集める、そして彼女は魔石で火を起こし魔角鹿の肉に塩を振り焼いていく・・・。肉の焼けた香ばしい香りが辺りに広がる・・・ 僕たちは今日の戦果である肉を食いながら今日の事について話した。
「き、今日は本当に助かりました、ありがとうございます・・・」とノア様は言う。
「でもあの時足が震えて前に行けなかったです……。」僕は言葉を返す。
「それで結構です、貴方があそこで前に行ったら死んでいました。」
「すみません…。」僕がそう言うとノア様は笑顔で頷き僕を見つめる・・・。僕は何だか照れ臭くて目線を逸らす・・・。
「頭痛は大丈夫ですか?」そう言うとノア様はそっと唇を重ねてきた。肉に掛けた塩が少ししょっぱい口の中で舌を入れる。口づけも僕は少しこなれてきた。ノア様の肩を抱きキスをする。
僕は幸せを感じていた。それがこの世界では甘さだったのかもしれない…
僕らは完全に無防備だった…
すると突然、目を光らせた2つ頭の魔獣は「ヴゥッ!」と呻き声を上げ僕たちから飛びかかってきた。
僕の背中に魔獣の爪が突き刺さる。背中の防具の中に血がだらだらと流れるのが分かる。
頭が真っ白になり意識が薄れていく、ノア様は何か叫んでいた。
「レン君!!」
それは彼女が初めて僕の名前を呼んだ瞬間だった……。
ノア様が僕に覆い被さる様に庇う・・・しかしノア様も”オルトロス”に押し倒されている様子だ・・・。
僕は薄れる意識の中、ノア様を見た。彼女は僕を守る様に抱き寄せ”オルトロス”を睨みつけていた・・・。そしてノア様の腕に噛みつく”オルトロス”の頭がその牙を更に深く食い込ませた・・・。
「うっ!」ノア様は苦悶の表情を見せる・・・。彼女の右腕は血に染まりぼたぼたと滴り落ちる血が僕の体に降り注ぐ・・・ すると彼女は何か魔法を唱え左手を魔獣の片方の頭に向けた。
『アイスバーン!!』
ノア様が叫ぶと同時に”オルトロス”の右の頭の一つと体が氷ついた。まるで彫刻のように身動きを封じる。そして彼女は”オルトロス”のもう一つの頭の攻撃を左腕で庇い更に右腕は出血していた。
「はぁ、はぁ、レン君・・・」ノア様は消え入る様な声で言う・・・彼女の意識も薄れているようだ・・・。
僕は意識が朦朧とする中、よろよろと逃げる・・・背中に刺さった爪の傷が激痛を走らせる・・・ 彼女が僕に歩み寄ると大粒の涙が彼女の頬を伝う・・・。
「レン君……逃げて下さい」と彼女は言った・・・。”オルトロス”がノア様に飛び掛かりノア様の胸に爪が突き刺さる。彼女は最後の力を振り絞り”オルトロス”の脚に氷魔法を掛け封じる。
彼女が僕に駆け寄る・・・。
しかし僕の足はもう動かなかった。僕は彼女を抱き寄せる・・・彼女は血に染まった腕で僕の背中を優しく抱きしめた・・・。
ノア様の意識は途切れそうだ・・・。僕は彼女の目を見つめる・・・。彼女も僕を見つめ返し何か囁いた。それは”ありがとう“だったのか、それとも他の言葉だったのか・・・それすら僕には分からなかった。
そして彼女の腕が僕の背中から落ちる・・・ 僕は声にならない叫びを上げた!
僕は声を振り絞って叫ぶ「ノア様ーーーーー!!」と・・・ しかしもう返事は無かった。彼女はそのまま地面に倒れ込む。
そして僕はそこから意識が飛んだ…。
朝起きると木に寄りかかってノア様を抱きしめていた。背中はまだ痛む。そしてノア様の鼻に耳を近付ける「良かった、息がある。」僕は安堵した。
しかし僕は何故生きている?
あの”オルトロス”は何処に行った…。
僕らは2日前のあの時、図書館であの本の最後のページの裏に書かれていた大事な記述を見落としていた……。
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