第8話 親友(♂)の本音に触れる。俺の本音が鳴り響く。


 たったったっ。自分の足音。

 はっはっはっ。自分の息遣い。いない、どこを探しても。重い、自分の体だとは思えないくらい、足が思うように動かず――まるで、地に沈み込んでしまいそうで――。



 シュッ。

 風を切る音に目を向ける。


「裏山……?」

「拓彌?」


 バットを振る、裏山が視界に入った。






「……こんなに朝早くから、素振り?」


 俺は目をパチクリさせる。野球部所属の裏山がバッティングの練習。ただ今、朝の4時。早朝練習というには、少し早いと思ってしまう。


「朝イチで体を動かして、朝練でスイッチが入るようにしてるんだよ。そういうお前こそ――あぁ、どうせ神無かみなし絡み、か」


 すぐ言い当てられて、言葉につまる。


「なんで、分かるんだよ――」

「そりゃ、分かるだろ。拓彌が必死になるなんて、神無ぐらいしかないだろ。その様子じゃ、散々探したけれど、見つからなかったってパターンか」

「んぐ……」


 何から何まで、核心を突いてくるから反論できない。


「お前のトコに引っ越ししてから、神無のヤツ、落ち着いていたもんなぁ」

「……なにそれ?」

「知らなかった? アイツの母親、当たりが強くてさ。いつも神社で一人で泣いていたんだけど」


 裏山の言葉を聞きながら、口をぱくぱくさせることしかできない。

 まるでその言葉を聞かせまいと、鐘の音が鳴り響く。俺はその音を振り切るように、足に力をこめた。


「サンキュー、裏山。今度、礼するから」

「ばーか。礼なんかいらないから……今度、キャッチボールしようぜ」


「え? それで良いの?」

「俺にとっては、そっちの方が嬉しいんだよ」


 そういえば、と思う。裏山とは保育園の頃からの腐れ縁だ。懐かしいと、思わず目を細めて――感慨に耽っている場合じゃなかった。


 全力で駆ける。足音から重い。体が鈍い。沈み込みそうだけれども、それでも駆けて。



 ――ずっとお前と野球がしたかったんだよ、バーカ。

 耳鳴りがひどくて、裏山の声がよく聞こえない。その言葉は風と一緒に溶けていった。








■■■





 どくんどくんどくん。

 心音が胸を打つ。


 心臓殺しの階段とは、よく言ったものだ。でも、あと五段。コツン、コツンと階段をあがる。あと少し、あとちょっと。この鳥居を抜けたら――。


 ガツン。


(……へ?)


 進めない。

 拝殿の赤塗りの階段。そこに腰を下ろす、ショートパンツ姿のさっちゃん。男だった時のお決まりの容姿ファッション。そして、もう一人。この神社で出会った巫女さんだった。


(……ウソだろ?)


 目をこする。その頭頂部には、狐の耳が見える。

 さっちゃんが、顔を上げる。でも、俺のことはまるで見えていないようだった。巫女さんが俺を見やる。


「……どうしたの?」


 さっちゃんが、首を傾げる。


「なんでもない……」


 そう呟いたクセに

 ――金縛りをかけたのに……どれだけ鈍感なの。でも、この結界には入れないでしょう?

 そうさらに、小声で漏らす。


 カツン。

 進もうとしても、やっぱり進めない。見えない壁が立ち塞がった。


「ねぇ、沙月。もう分かったでしょ?」


 巫女さんは上機嫌と言わんばかりに、尻から飛び出た尻尾をふんふん振る。


「……」

「紗月の住む世界って、こんなに住みにくいじゃない? お稲荷様なら、貴女あなたにそんな顔はさせないわよ。だいたい、男女の性別でしか判断しないなんて、狭量だわ。まして、病気? S.C病? 笑っちゃう。これ、お稲荷様の祝福なのに」


 クスリと巫女さんは笑う。それから、さっちゃんに手を差し伸べる。


、躊躇うことないじゃない?」


 ふんわり、巫女さんは微笑む。


(――冗談じゃないっ!)


 見えない壁に向けて、俺は体当たりを繰り返す。素直になれなかった。それは、そう。色々ゴチャゴチャ考えてしまった。でも、さっちゃんが笑ってくれるから、頑張れた。さっちゃんに誰よりも笑って欲しいと、ずっと思っていた。乱暴者って怖がられていた俺に、物怖じしなかったのはさっちゃんだ。それから、それから。まだまだ、こんな言葉じゃ足りなくい。さっちゃんは、俺にとって何よりの癒しで、かけがえがなくて。ずっとずっと、そう思っていて――それから……。


「鬱陶しい! 金縛りをかけているのに、どうして動け――」


 スローモーションのようだった。顔を向けたさっちゃんが、俺の方をめがけて全力で駆けた。


 たんたんたん。

 そんな足音が響く。


 ――パリン。

何かが割れる、そんな音が響いた。


「たっ君っ!」


 気付けば、さっちゃんに抱きしめられている俺がいて。


「ウソ? 紗月、結界を破ったの?」

「さっちゃ――」


 言葉を塞がれた。その唇で。リップ音が、艶めかしく響く。巫女さんが、唖然として俺たちを見やる。さっちゃんとの距離が、少しだけ離れたかと思えば――。


「好き」


 さっちゃんの声が響く。


「ミコちゃん、ごめんね。キミがボクを心配してくれていることは分かっているよ? 正直、ココに来たのは、考えを整理したかったから。押してダメなら引いてみろって、ミコちゃん、言ったじゃない? 色々考えたけれど、たっ君を諦めるなんて無理って、ようやく気付いたから」


 甘い、甘い。さっちゃんは躊躇のない言葉が俺に突き刺さる。


「だからね、稲荷イナ君に伝えて。ボク、自分の気持ちにウソをつけない」


「あ、あのさっちゃ――」

「たっ君、黙って。返事は、今じゃなくても良いから。それにどんなに想ってくれているか、知っているよ」


 また唇を塞がれて。その様子を見ながら、巫女さんは小さく息をついて――それから、ペコリと頭を下げた。








「進藤拓彌様。正直、あなたが紗月のお相手に相応しいとは思えません。が、今は紗月の気持ちを尊重したいと思います。お賽銭、市井の衆から含め、235万500圓、確かに頂いていますしね」


 からんからん、鐘が鳴る。


「お稲荷様の祝福に感謝なさい。今度、紗月を泣かせたら、容赦しませんから」


 風が凪いで。

 ひゅるりと、頬を撫でる。


 ――儂が先に、好いていたのに。

 そんな声すら上書きするように。









「たっ君、大好きだよ」


 躊躇ないさっちゃんの一声が、俺を全部、覆い尽くして――巫女さんの姿はとうに無い。


 季節外れの紅葉が1枚、ひらひらと揺れ――そして、風に吹かれて消えていった。

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