ケイト・ストーカーという吸血鬼

 憤るセラから逃げおおせ、俺は街の中心地にある市場……ではなく、そこから少し外れた場所にある寂れた店に来ていた。


 看板すらも出ていないその店は、おおよそ人を呼ぼうという気概を感じられない。そも、人と話すという行為すら、彼女にとっては煩わしいのだろう。


 だというのに、店なんて出しているのだから、彼女の面倒臭さは折り紙付きである。


 その店は、何も売っていない。正確には、もう何も売っていないが、正しいのだろう。


 「ケイト。開けても良いか?」


 「――――!?」


 「ん? 誰か来てるのか? 開けるぞ?」


 彼女の声では無い違う声が聞こえたので、客が居るようだ。珍しいが、年に何回かはあることだから問題は無い。ここにはそれだけの需要があったのだ。


 「やぁ、我が眷属よ。そろそろ来てくれないと、飢えて死んでしまうところだったんだ」


 「そうか……ところで、さっきまでここに居た人は?」


 「んん~? 君が来たことで、帰ってしまったみたいだよ?」


 「それはすまないことをした。一度出直す」


 「あぁ良いんだよ。ボクにとっては、君の用事の方が大切なんだからさ」


 レースの入った高そうな黒色のドレスを着た、金髪の彼女。左半分を眼帯で覆い、もう片方の紫色の瞳も前髪で隠れている。そんな、何処か怪しげな雰囲気を纏う彼女は、ケイト・ストーカーという。


 彼女は吸血鬼であり、名目上、俺の主人でもある。


 「さっ、早く血をちょうだい? それと一緒に、君のお話を聞かせておくれよ」


 「三日じゃ大した話も出来ないぞ」


 「それでも良いよ。ボクに大事なのは、君を生で感じることだからさ」


 後ろ手に鍵を掛けて、服を脱ぐ。ソファに腰掛けていたケイトを膝に乗せ、彼女をしっかりと抱きしめる。ズブリと、皮膚を貫く痛みが襲ってくるのを感じてから、三日前の出来事を話始めた。


 「この前依頼の品物が見つかったって話はしただろ?」


 「んく……黄金鹿ね。一週間で見つけるとは、運が良かったねぇ」


 「ついさっき、その件で少し揉めてな……期間が想定より早く終わったから、その差額分は減らすって言われたんだ。カエデが取り持ってくれたから、何とかなったけどな」


 カエデのおかげで、しっかりと報酬は満額支給されたが、俺一人では上手くいかなかっただろう。きっと、うやむやになるか流血沙汰になっていた。


 「そうかそうか……まぁ、君が元気ならそれで良いんだ。君は、大事な大事なたった一人の眷属だからね」


 「そりゃあどうも……というか、なんだかいつもより吸う量が多くないか?」


 吸血鬼という存在は、人間の様に毎日栄養を摂取する必要が無い。怪我を負った時や、エネルギーを欲している時に飲めばそれで生きていける。だからこそ、数日に一度の吸血で済んでいるし、俺も貧血に悩まされていないのだ。


 「前も言っただろう? 生きていけるだけで、しっかりと飢えはあるんだよ」


 「これからカエデの稽古がある。この辺りで打ち止めにしてくれないか」


 「ふーん……大事な大事な主人との時間より、君は弟子ちゃんを選ぶの?」


 「約束だからな」


 ケイトは一度吸血を止めると、俺の顔を両手で包んだ。アメジストの様に輝くその瞳は、何度見ても俺の心をざわつかせる。


 「ボクと君との間には、明確な繋がりがある。君とボクは眼を通して、いつだって繋がっている」


 「そうだな。そういう、契約だ」


 「ボクの左目は君の中にある。だからこそ、君は今日まで生き延びてこられた」


 「……あぁ、そうだ」


 ただの孤児。何の才能も無く、学も無い子供。そんな俺が、今日まで生き延びてこれたのは、ケイトとの契約があったからだ。


 吸血鬼との主従契約。それは、ケイトに服従と共に身体を捧げる代わりに、身体能力の向上や彼女の能力を一部受け継げるものだ。俺は、ケイトから眼を貰った。


 「君はボクのモノだ。君がどんな子と縁を結ぼうと、君がどんな人生を歩もうと構わない。でも、これからも君はボクに血を捧げるし、ボクのお願いごとには逆らえないんだよ」


 「くどいぞ。今更、分かりきったことを言うな」


 「ふふっ……眷属としての心構えを忘れていないのなら、それで良い」


 にまりと、ケイトは笑った。しかし、その笑顔は俺に向けてはいない様に思えた。その違和感を問いただそうとすると、ケイトは突然動いた。


 顔と顔がぶつかりそうなほどの近距離。俺は膝の上に乗られ、顔まで固定されている。そんな状況で、不意を突かれた。


 「…………!」


 口の中に柔らかくて温い物が侵入してくる。全く状況が飲み込めない。分かることは、ケイトに口づけをされているということだけだ。


 頬に添えられた手は頭の後ろに伸び、動かせない様にしっかりと固定されている。そもそも、俺はケイトの眷属だ。彼女の命令は、死に値することや心底から嫌だと思うこと以外を拒否できない。


 ただ、ケイトが満足するまで、口内を蹂躙されるしか無い。唯一の救いは、この現場を誰かに見られることは無いことだ。彼女がそう望まない限りは、今ここに誰かが来ることは決して無い。


 「ぷはぁ……顔、真っ赤だよ?」


 「当たり前だろ……!」


 「そう怒んないでよー。君がこれから、弟子ちゃんとイチャイチャするなんて言うからさ。つい、イジワルしたくなっちゃった」


 今日は良く笑う。何がそんなにおかしいのだ。人が狼狽えているのを見て喜ぶのは、彼女の悪癖だ。だから色んな人間に恨まれるのだろう。


 「もう行く」


 「あら、拗ねちゃった。そういうところは、昔から変わらないねー」


 「カエデを待たせてるからだ。拗ねたわけじゃない」


 「そっかそっか。じゃあそういうことにしといてあげる」


 その余裕な顔を崩してやりたいとは思うが、恐らく無理だろう。何をしても倍返しされる未来しか想像出来ない。だから、ケイトに対しては、物で釣った方が効果的だ。


 「あぁそうだ。今日はこれを持ってきた」


 「……っ。そ、それは……!」


 「俺の血を小瓶につめて、保存の刻印をしておいた。一ヶ月くらいは持つはずだ」


 「うわぁ……! やったやった! 本当にもらって良いの!?」


 喜色満面という感じだった。いつもの飄々とした雰囲気とはかけ離れた、幼児のような反応である。ケイトはどちらかというと、こっちの方が素に近い。その表情を崩せたことに、少しだけ満足した。


 「うへへ……君からのプレゼントは、これで三回目かなぁ。君はいつだって、ボクを喜ばせてくれるね」


 「喜んでくれたのなら良かった。じゃあ、また今度な」


 「うん! いつでもおいで! ついでに、これをまた持ってきてね!」


 「それは……まぁ、善処する」


 あれ一つを作るのも割と面倒なのだが……しかし、ケイトが喜ぶならまた頑張ろう。俺は彼女の店を後にした。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「……さて、と」


 彼が去った後、ボクは後ろの扉を開いた。もちろん、貰った小瓶を保管するためだ。あぁ全く、彼はいつだってボクの喜ぶことをしてくれる。


 「この……! 絶対に殺してやるからな……!」


 ちらりと、横を見る。そこには、彼の弟子ちゃん……確か、カエデとか言ったっけ? その子が、黒い影に拘束されて床に転ばされていた。


 口にも影を突っ込んで黙らせていたのだけど、噛み切られてしまったらしい。折角、暇だと思うから、僕の視覚を見せてあげていたというのに。酷いことをするなぁ。


 「むふふ……お前の剣じゃあ、まだまだ届かないよ。後10年、いや20年くらいかな……? それくらい頑張れば、ボクの首を落とせるかもね」


 「師匠は私の師匠だ……! お前なんかのじゃない!」


 「何とでも言いなよ。ま、お前が彼になんて言ったって、彼はボクのところに絶対来るけどねー」


 「……っ!!!」


 瞬間、影の拘束が弾け飛んだ。既に抜刀された剣は、ボクの首を落とそうと迫ってくる。けど、ダメダメだ。


 「もうちょっと殺気を消す努力をしよっか。そんなんじゃあ、いくら強くてもボクは殺せないよ?」


 「……! 待て!!!」


 「お前もそろそろ行くと良い。早くしないと、彼が心配する」


 弟子ちゃんを影が覆い尽くす。彼女は強いが、ただそれだけだ。搦め手や勝負の駆け引きは三流も同然。だから、彼が来たことに驚いて隙を晒し、今の今まで拘束されていた。


 「あんな子の何処が良いんだか」


 ぼそりと、不満がこぼれ落ちた。あの少女も、教会に住む女も、どいつもこいつも私の眷属を掠め取ろうとしてくる。彼がボクを捨てる訳ないと分かっていても、不愉快なことに変わりは無い。


 「まぁ良いさ。君のことは、いつだって見てるからね」


 ベッドに横になって、意識を集中させる。閉じられた左目からは、彼の姿が見えた。


 「えへへ……今日もカッコいいなぁ、私の眷属」


 今日も、彼は気付かない。自分がどれだけ、誰かに好かれているのかを。


 でも、そのままでいい。だって彼は、ボクの眷属なのだから。ボク以外の愛になんて、気づかなくて良いんだよ。

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