セラ・ルビムという修道女

 街の中心地から南東方向の、とある一角。路地裏を通って辿り着くそこは、この街の負の側面だった。


 俺が産まれた頃くらいのことだが、一昔前に異人種との戦争があって、一時期はこの辺りに難民やら捨て子やらが多く居た。そんな集団が集まって出来たのが、南東側の掃き溜め地区と呼ばれる場所だ。ちなみに、俺もここ出身である。


 当時ほど荒れてはいないが、今でも後ろ暗いことがある者や、何かを画策する者が集まるのがこの地区である。当然、治安は良くない。


 そんな場所にぽつんと、この場所では小綺麗な建物が一つある。十字架を飾り、この国の主要宗教を信仰する、とある教会だ。


 「シスターセラ、居るか?」


 「はい、おりますとも。先生が呼べばいつでもどこでも、私は駆けつけます」


 「……! セラ、後ろから耳元で囁くな」


 「あぁ、これは失礼しました。先生はお耳が弱かったですものね」


 「……勘弁してくれ」


 標準的な修道服と白と黒のベールから覗く、銀色の髪。150cmほどの小柄な体型に、胸の辺りに少し古い十字架を下げている。そんな彼女はその目を赤く染め、腰の辺りからは細長い尻尾が生えていた。


 南東地区のとある小教会、そこのシスターであるセラ・ルビムは異人種と呼ばれる存在である。カエデのように遠方の国という訳では無く、そも人種自体が違うのだ。


 異人種は人間と獣を混ぜたような特徴を持っていて、その姿ゆえ迫害の対象に長年なっていた。


 しかし、時が経てば時代も変わるもの。未だ根深い問題は残りつつも、一応は共存共栄という形でなぁなぁになっている。その流れで、セラはこの街へやってきた。


 当時の俺はその日暮らしが精一杯だった。一時期はこの教会に泊めて貰ったこともある。その時に、家賃の代わりとして護身術やら何やらを教えた名残で、彼女は今も俺のことを先生と呼んでいる。


 「今度の炊き出し、何時やるんだ?」


 「早ければ三日後にでも。また、手伝いに来てくれるのですか?」


 「こういうのは柄じゃねぇんだけどな。ま、ここ出身としては、セラが炊き出しやら勉強会やらをしてくれるのは、嬉しいことなんだよ」


 飯が食えれば、他のことに時間が使える。時間が使えれば、勉強や技術の習得が出来る。それが回れば、戦争中でも無いのにその日を生きるのに必死になる必要も無くなるはずだ。


 「さて……今日も聖水、貰えるか? 三本くれ」


 「えぇ、どうぞ。先生なら、無料で差し上げてもよろしいのに」


 「そういうことは、自分の生活費を削らなくても済むようになってからな」


 「耳が痛いですね……」


 瓶に詰められた、少し光っている水を受け取る。効果はそうでもないが、呪いや怨霊によって汚染された場所や人物を清めたり出来る代物だ。正直、買わなくても良いと言えばそうである。


 しかし、俺の使い道はそういった浄化的なものではない。単純に、飲料として愛飲している。聖水健康法とかいう、どっかの教徒が思案したものだ。


 ただの水と、セラがそれなりに時間を掛けて作った聖水。もちろん、コスパという点においては最悪である。そも、効果があるかどうかも疑わしい。


 これを続けているのは、半信半疑ではあるが健康法を少し信じているのと、セラの力に少しでもなりたいからだ。


 「いつもありがとうございます。これで、教材用の教科書が買えます」


 セラは笑う。その願いは誰かのため。その行動は何かを救うため。その姿は高潔で、見ているこちらまで感化されてしまう。


 彼女が未だ異人種の迫害があるこの地に来たのも、信仰という概念からかけ離れた南東地区に居るのも、全ては彼女の献身がためだ。俺はそれに、最大限の敬意をもって接したい。


 そのためなら、カエデに不愉快そうな顔をされようと、俺は出来る限りの援助をする。それが、俺に出来る敬意の示し方だ。


 聖水を一気に煽る。元々、飲むように設計されていないから、少し口元から溢れてしまう。それを見たセラは、こちらに近づいてきた。その眼は少し、爛々としていた。


 「先生、少し屈んで下さい。お拭きしますよ」


 「そこまでして貰うほどじゃ……」


 「お拭き、しますよ」


 「……分かった」


 ノーとは言わせないと、口に出さずとも顔に書いてあった。俺はそのまま、ゆっくりとセラの前に膝を突いた。ちょうど、彼女の顔が見える辺りだった。


 「それでは、失礼致します♪」


 「な、まっ……!」


 ぎゅむっという擬音がしそうな、柔らかな感触だった。今、目の前にはセラだけが広がっており、ほぼ全ての五感を彼女が独占していた。


 端的に言えば、俺はセラに抱きしめられていた。


 「ふふっ……先生、あったかいです」


 「~~~!!!」


 顔をすっぽりとセラの体にホールドされ、腰には彼女の尻尾が纏わり付いて来ていた。ズリズリと、喉元の辺りを彼女の身体で拭われ、言いようのない羞恥心に覆われる事しかできない。


 その小さな身体からは考えられないほど、強い力だった。セラが満足して力を緩めるその瞬間まで、俺は何もさせて貰えなかった。


 「ごちそうさま、です♪」


 「はぁっ……はぁっ……そりゃあ、どうも……」


 「ひゃん♪ せんせ、尻尾触っちゃめーですよ? そこ、場合によっては心臓よりも大事な場所だっていう人たちだっているんですから」


 「…………」


 ならば、安易に絡めてこないで欲しい。しかし、信頼しているという意味でもあるから、やめろとも言いにくかった。


 「はぁ……黙らせたとはいえ、この辺には異人種を疎んでる輩が多い。以前のように難癖を付けられたらどうするんだ」


 「その時はまた、助けてくれるのでしょう? 先生は、いつだって私の味方なのですから」


 セラの献身は本物だ。その行為は、誰が何と言おうと間違ってなどいない。だから、それが悪意によって歪められるのは、気分が悪いのだ。


 「当たり前だ。だが、自制はしろ」


 「はい、承知しました♪」


 「はぁ……三日後、また来る」


 「えぇ、お待ちしております。先生に、神のご加護があらんことを」


 胸元の十字架を握って、セラは常套句を口にする。いつか、彼女の行いが認められるまで、俺はセラの味方だ。


 そのためなら、大嫌いな神様にだって祈ってやろう。


 「あぁそうだ。一つ、伝え忘れていました」


 「ん? なん――」


 「愛していますよ、先生♡」


 一人心の中で決心していた俺の耳元に、甘い声が注ぎ込まれた。普段のセラとは思えない、艶やかな声だった。


 「せんせー? どうかしましたか?」


 「……っ! な、なんでもない!」


 「本当ですか? お耳、真っ赤ですよ?」


 「あまり揶揄うな。本気にしたらどうするつもりだ」


 神聖な職に殉ずる彼女を、俺が穢す訳は無い。しかし、物事に絶対というものはあり得ないのだ。万が一があっては困る。


 「本気にしてくれて、構いませんよ?」


 「はぁ……セラ、ちょっとこっちに」


 「あら? ついに私の気持ちを受け入れてくれるのですか?」


 こいつ……完全に舐めている。この前も誰かれ構わず優しくして、勘違いしたゴミに襲われそうになったのを忘れたのか?


 少し、先生として教育せねばなるまい。セラはもう少し、自分の価値を理解すべきだ。


 「……へ? せ、先生?」


 「…………」


 俺は何も言わず、セラを抱き抱えた。そして、軽すぎるセラを抱えたまま、その辺りの長椅子に腰掛けた。


 「あの……な、何をしているのですか?」


 「……」


 「どうして黙るのです……! この体勢だと、子供扱いされているようで嫌なんですが!」


 「今年で24だから、子供じゃないぞ」


 「なっ……! せ、先生にはデリカシーというものがないのですか!?」


 何とでも言え。人のことを散々惑わしたセラが悪い。いつもいつも、勘違いしない様に自制するのも大変なのだから。


 「もう……! 本当に頑固な人……!」


 「うるさい。これから数十分はこうしてるからな」


 「こんな子供をあやすみたいな体制は嫌です! 」


 「あぁはいはい。落ち着けって」


 「あっ、せ、背中さすらないで……これじゃ、ほんとに子供みたいじゃない……」


 セラは子供扱いされるのを苦手としている。それは、自らの小ささをコンプレックスとしているからだ。


 ああやって思わせぶりな態度を取るのも、大人として自分を見て欲しいからだろう。全く、本当に辞めてほしい。


 「セラはセラのままで居ろ。それが、一番俺の好きなセラだ」


 「……っ! こ、この……! それじゃあダメなんでしょうが……!」


 「は、何でだ? あ、それとも、愛してるって言った方が良かったか?」


 「〜〜〜!!! バカバカ!!! 何でそんなサラッと言うの!!!」


 「痛ッ! おま、本気で殴るなって!」


 顔を真っ赤にしたセラがジタバタと暴れる。本当に、怒るタイミングが謎すぎるだろう。


 「これは天誅です! 乙女心を弄んだ、先生への八つ当たりです!」


 「あだだっ……!!! 力強っ……!」


 そうやって憤るセラと、数十分の間、格闘し続けた。仕込んだのは自分だが、天性の怪力と抜群のセンスによって、彼女の護身術は極まりつつあった。まずい、普通に負ける。


 最終的に、隙を見て逃げるしかないと悟った。セラを相手に、素手では絶対に勝てない。俺はそのまま、走って逃げた。


 「ふぅ……今回は許してあげます。でも、次は逃しませんからね……!」


 一人残されたセラは、静かに誓う。もはや、止めることなど、出来るはずも無かった。

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