魔王消滅②

彼女が戻ってきてから、予想通りロキはあの街を避けるようになった。こうやって危険を察知したらすぐ逃げているから、頻繁に街に行くわりに気づかれずにいるのだ。あの洞窟はそういう意味ではかなりの優良物件だ。いろんな街に囲まれているけど、洞窟周辺は人気が少ない。

それでも宿の帰りにいた人達のように怪しんでいる人もいたから、僕がロキの代わりに街に行くようになると、積極的に疑惑を消していった。噂をしているのは女性が多いので、愛想をふりまき僕に目を向けるよう仕向ける。こういう時自分の顔の良さに感謝する。僕に好かれたい彼女達は、僕がロキの弟で、兄弟仲がいいと知ると一斉に手のひらを返し、魔物だと噂していたその口で、ロキを褒めるようになった。時々こんな子供相手に本気になって迫ってくる人がいたけど、その時は世話好きな店主がいるいつもの宿に逃げて、談話室で時間を潰した。

十三歳を過ぎれば更に誘いが増えて逃げる回数も増える。

今日もチェックイン前の無人の談話室に逃げ込む。夏の暑さで汗が止まらない僕に、タオルと冷たいジュースを持ってきてくれた店主が同情してきた。

「相変わらずモテてるな。あいつらも、ガキンチョ相手に何発情してやがる」

「まぁ……」

自分から愛想をふりまいているのは黙っておこう。

「でも、日に日にいい男になるから気持ちは分かる」

「えぇ、やめて下さいよ」

わざとらしく体を隠す仕草をしたら馬鹿野郎と頭を軽く叩かれた。

「すみません、冗談です」

「ったく」

規則正しい生活とトレーニング、更に母方の国の血が濃いおかげか、ロキは十三歳にしてはかなり成長が早い。だから周りからはよく十五、六によく間違えられる。

「僕の年齢を言えば大体の人は引いてくれるから大丈夫です」

「違うからここに逃げ込むんだろ」

「いつもありがとうございます。あ、今日は客室の掃除担当しますよ」

「好きなだけゆっくりしていけ」

笑いながら出て行こうとする店主を捕まえ近くに引き寄せる。今日は大事な話があるのだ。

「逃げ込んだのもありますけど、今日はちょっと相談がありまして」

「忙しいから手短に話せよ」

「実は今朝、下着に白い液体が付いていたんです」

「よーし、じっくり聞いてやる。そういう話は専門だ、任せろ」

歳上の兄弟がいたからなんとなく分かってはいたものの、ちゃんとした知識を得たくて詳しそうな店主に相談してみた。最近ロキとくっついて寝ると下半身に熱が溜まる感覚があり、今朝ついに下着を濡らしたのだ。

「精通したのか!」

「やっぱりこれが精通なんですね」

「色っぽい夢でも見たか? とにかく健康な証拠だ」

(ロキの夢は見たような気がする)

夢を見る前から怪しい時はあったけどね。いつからか着替える時ロキの体を見ると緊張するようになった。緊張しているくせに、吸い寄せられるよう無意識に触り、何度も驚かせた。驚いた顔も何かの欲を刺激して、匂いや仕草、細い体を触った時の感触、その全てに過剰に反応してしまう。

「これ毎回服が汚れるから嫌なんですけど」

「適当に抜いとけばいいって」

やり方を軽く聞いてなるほど、理解した。じゃあ一人になったタイミングで処理してしまおう。

(ロキはどうしてるんだろ)

そもそも魔物の性事情はどうなっている?

「魔物とかって性欲あるんですか?」

「あるだろ。襲われたって話もあるからな」

「ですよね……」

(じゃあロキも)

一人でこっそり抜いている所を想像して簡単に体温が上がる。一番バレたくない人にだけ体が反応するとか大変過ぎる。

(なんでロキだけ反応するんだろう)

家族愛に近いものでロキを好きなのに、その前提が覆りそうなほどの性欲に戸惑う。

「例えば、特定の相手にだけ興奮する場合は」

「そんなもん好きだからだろ。好きなやついたのか」

「……好き、だから」

「片思いでも、お前みたいにいい男ならすぐに上手くいくって。責任取れるようになるまではちゃんと外に出して避妊しろよ」

店主の言う好きの意味はちゃんと分かっている。性欲を含む好意はもう、そうだな、認めよう。ごめんロキ、自覚しちゃった。頭の中でまず先に謝っておく。自覚した途端気持ちがもっと溢れてきて、すぐに会いたくなった。どうしよう、この思いはきっと、重い。

この日一日中店主からあらゆる性教育を受けて、洞窟に返された。覚えたばかりの自慰のおかずは毎回ロキ一択。好きな人が近くにいれば成長と一緒に性欲も増して、十四歳になった頃には、昼間ちゃんと抜いておいたのに、夜ロキを抱きしめただけで簡単に勃起するようになった。

(勃った)

冬の寒い日、毛布に包まりながら勃起した下半身に悩む。萎えるまで待つつもりが、ついつい今日もロキの尻に擦り付けてしまう。爆睡してるはずだから大丈夫のはず、調子に乗って腰を振ったら思いっきりバレた。引かれるどころかうぶな反応をして煽ってくるロキに僕は欲に負けて手を出してしまった。せめて気持ちよくしてあげたくて持ち前の器用さをフルに使い、なんとか中でイかせてついでに告白までしてしまう。魔物を理由に断ろうとしたので、それだけは阻止しようと知っていた事を教える。僕は知っていて、ロキが欲しいんだ。

期待するような反応をしてくるからロキも悪い。こんなのもう押して押して押しまくれって事だろう。ね、お母さん。結局僕はどこまでも母親似のようだ。あとはロキが負けてくれるのを待つだけ、だったのに、少しずつ狂い始めてきた。

王宮騎士から引き離す前にロキの体調が悪くなり、ついには寝たきりに近い状況になる。

魔物だとバレる覚悟で病院に連れて行こうか本気で悩んでいた時に、ロキは僕だけ街に行かせようとした。勇者の弟だと知っていたのは意外だったけど、隠していたのはお互い様だからこの際どうでもいい。僕だけ保護されて、じゃあロキはどうなる?拒む僕を嘲笑うかのように現実は残酷だった。

「魔王様が消えれば俺も消える」

弱々しく告げられた内容に頭が真っ白になる。僕は考えが甘かった。魔王なんかどうでもいい、二人でひっそりと生きていければいいなんて。僕は呑気に引越しの提案をする前に、カズハを止めて話し合い解決策を考えるべきだったのだ。

消える、その表現通り体の一部が既に消えている。早く止めないと。この時ばかりは、世界の平和とかどうでもよかった。

僕は国の敵になる覚悟で走った。しかし全て遅かった。

「兄さんに会わせて」

魔王は僕の大切な人を道連れに消滅した。


♢♢♢


魔王消滅と共に王宮騎士達も街から撤退し、僕は彼らと一緒に王都へ行く事になった。

おそらく用意してあった馬車の中で一番状態がいいものに乗せられ、寝られるサイズの座席で横になって治療を受ける。治療だと知っていれば断っていたのに、若い騎士に魔法を使われたせいで一瞬で終わってしまった。慌てて起き上がり傷を確認する、全て綺麗に治っている。

「自分の力では傷を治すだけで限界です。体力は自然に戻るのを待つしかありません」

「との事です。王都には途中休憩を挟みながら三日程度かかります。その間こちらでゆっくりお過ごし下さい」

こちらを見守っていた上官らしき男が、こちらの返事を待たずにさっさと若い騎士と一緒に降り、中に僕が一人になったタイミングで馬車が動き出した。ガラス窓から外の一部を確認すれば、護衛のために騎士が乗馬で伴走していた。目が合いそうになり、カーテンを閉めた。薄暗い室内が更に暗くなる。灯りもつけずそのまま馬車に揺られ、痛いのを覚悟して右耳を触り、驚く。

(ここも……そっか……怪我になるんだ)

無理矢理穴を開けたせいで出来てしまった傷が消えて、綺麗な穴だけが残っている。右耳のピアスを触っても、腫れが引いているからか前後に動かせるだけの余裕があった。

今は痛みを感じていたかったのに消えてしまった。

「全部、消えた」

痛みは消えたはずなのに息が苦しくなって座席にもたれ掛かる。馬車の音で誤魔化されると信じて僕はまた泣いた。

四日目の早朝王都に入り、騎士達と共に王宮へ入った。出迎えてくれた王族関係者の中に、既に戦地から戻っていた勇者、カズハが馬車を降りた所で待っていてくれた。元々十歳の差があったが、会わなかった四年で更に色々差がついたような気がする。百八十以上ありそうな身長、日に焼けた黒い肌、黒い短髪、黒い瞳、鍛え上げられた筋肉は僕のとは質が少し違い、とにかくボリュームがある。国の英雄にしてはラフな服装でこちらに手を振り、こちらに近付いてくる。

「ミツバ!」

(懐かしい)

会いたくて探していたはずなのに、気分が悪い。大好きだった笑顔が何よりも憎い。僕は目の前に迫ってきたカズハの顔を思い切り殴ろうとした、その手をあっさりと掴まれ阻止される。横からこの光景を見ていた何人かが少し反応するも、僕を抱きしめて上手く誤魔化した。

「……ここは人が多い。あとでいくらでも殴らせてやるから、今は大人しくしていてくれ。にしても、大きくなったな。十三、四か?にしては逞しくなったな」

英雄を殴ったとなれば、兄弟であっても印象が悪くなり僕にとって不利になる。このフォローのおかげで少しざわついていた何人かが大人しくなった。

(周りにどう思われてもいいから殴らせてよ)

僕だってちゃんと鍛えていたのに、あっさりと手を取られ抱きしめられた事がかなりショックだ。勇者には特別な力が宿っているとか聞いたけど、今は完全に元々の力だけで対応された。

「疲れただろう。ゆっくり休んで、元気になってくれ。……俺はしばらく王宮に滞在する予定だから、元気になったらまた沢山話そう。……時間はいくらでもある」

周りがカズハの包容力に感動している所で悪いが、今のはその時殴れという意味だろう。ああ、確かに包容力はあるな。理由も聞かずに殴らせてくれるなんて、やっぱり凄い。

(じゃあ僕を殴ってくれって頼んだらどうなるんだろ)

そっちの方がカズハを困らせそうだ。じゃあ僕は? 無知のせいでロキが消えるまで呑気に過ごしていた自分への罰はどうなる? 僕の弱点はロキだった。ロキを失った今を生きる事が何よりも辛い。それが自分への罰?

(頭、痛い)

カズハの言う通り、時間はいくらでもある。

「疲れたから、一人になりたい」

「ああ。分かった。ミツバ用の部屋を用意してもらったからそこで休んでくれ。……弟を頼む」

近くにいた執事らしき男が僕を案内するようだ。兄が心配そうにこちらを見つめていると知りながら、あえて無視をして大人しく王宮の中に入った。

城の中を丁寧に説明されるのを適当に聞き流したどり着いた部屋はかなり広く豪華だった。

入ってすぐ、ソファや机が並ぶ広い応接室があり、部屋の中にいくつか扉がある。一番奥が寝室、その横に書斎、ダンスを練習する為だけの部屋、勉強部屋、等が並び、洞窟暮らしが長かった僕からすればかなり居心地が悪い。寝室の中にも扉があり、そこはトイレや風呂と最低限のものがあるだけで、正直この寝室だけで十分だ。

(でも……寝るだけの部屋にしては広すぎる)

壁にくっつけてあるベッドが小さく感じるくらい中は広く、豪華な絵画やシャンデリアでどこを見ても眩しい。大きな窓を見る、三階にあるこの部屋からはいくつかある庭園が見渡せるようになっていた。それも僕には無駄なものだ。ベッドに横になった瞬間、執事が夕食はどこでとるか聞いてきた。なんでも再会を歓迎する為にパーティーを計画していたが、カズハが僕の意思を尊重するように指示した為、こうやってちゃんと確認してくれたらしい。ありがたいはずの親切にも腹が立ち、一瞬断ろうかと悩むも結局行く事にした。

馬車移動の疲れを仮眠で取り、その後風呂に入れられ窮屈な貴族服を着させられ、招待された晩餐会に行ってみた。

(緊張しなくて済むように小規模にしたって聞いてたけど)

王と王妃がいるからか使用人の数が多く、よく見れば王女らしき人物も何人かおり、僕と目が合うと優雅に微笑む。それらを無視して王と楽しそうに話していたカズハの横に座り、運ばれてくるコース料理を適当に突きながら、僕は何をしているんだろう、何をしたいんだろうと、自問自答を繰り返す。周囲の楽しそうな会話が苦痛だ。カズハいるからかどうしたって魔王の話も出る。褒められればそれだけ食欲も失せついにはフォークを持つのも面倒になった。

王と楽しそうに話していたカズハがそういえばと流れを変える。頼みがあるなんて言い出して、その内容は意外なものだった。

「魔族の中には無害な者もいました。だから、慰霊碑を建てて欲しいんです」

一気に部屋の空気が悪くなる。魔王との戦いは戦争だ。その相手の兵士たちの墓を作れなんて頼まれればポーカーフェイスに慣れている王族ですら嫌な顔もする。そんな中で表情が明るくなったのは僕だけだった。

(どうして)

どうして、恨ませてくれないんだ。周りと同じように魔王と魔族を貶してくれればまだ気持ちよく殴れたのに、それすら不可能になった。

「それは、難しい」

「しかし」

「その願いは叶えてやりたいが、今すぐは無理だ」

長い戦いの中で、魔族に家族を殺された者も多い。慰霊碑を作ればきっと彼らは反発して壊そうとする、王はそれを警戒していると説明した。護衛をつけるにも、魔族の為に国民から慰霊碑を守る仕事はこの国の人間だったら誰だって嫌だ。僕なら喜んでするけどね。名乗り出ようとした所で、この話は結局地下にこっそり墓を作る形で落ち着いた。国の代表が墓を作ったと知られればそれだけで不信感を買うだろうに、勇者であるカズハの頼みだからやってくれた。

もうこの時点でカズハへの一方的な憎しみは薄まる。そもそもカズハはやるべき事をやっただけで、多くの市民を救った英雄だ。でも、あの時の僕は顔を一発殴るまでは死ねないと思ったのだ。何もかも思い通りにいかない。

優しい彼らに囲まれているのに、何故僕はこんなに悲しいんだろう。ロキもカズハも皆悪いやつだったら良かっ……違う、やめろ、違うだろ。うっかりロキを否定しそうになり、絶望した。誰よりも悪なのは僕だ。

「ごめん……ロキ」

消え入りそうな声で呟いたのを最後に、僕は体調が悪いと嘘をつき部屋に戻った。

それからしばらく部屋に引きこもり、その間にあれだけ待ち望んでいた春になった。

春になれば、告白の返事をもらえるはずだったのに。引越しの返事は正直どっちでもいい、告白をした時のロキの表情がまんざらでもなさそうだったのが嬉しくて、あの時の僕は早く春になって欲しいと願っていた。

今はロキがいた冬に戻って欲しい。着替えもせず寝巻きのままでベッドにいたら、今日もカズハが部屋に来た。忙しいだろうに時間があれば必ず様子を見に来てくれる。二人きりになればいくらでも殴らせてくれそうなのに、今では全てがどうでも良くなって殴らずにいた。

慣れたようにベッド近くの椅子に座り、今日はいい情報が手に入ったぞ!と勝手に一人でテンション高く話し始める。

「フタバの事は前話したよな」

「魔法に興味を持って、今は魔塔にいるんだっけ」 

僕と同じタイミングでこの世界に来た四歳年上の兄、フタバは、本人が望んだ事で魔法の専門機関である魔塔に行きそこで魔法を習得しながら生活していた。素質は十分あったらしく、勇者達が使っていた魔導具の一部を開発製造し、魔王討伐に貢献した。

(魔法か)

時を戻す魔法とかあればいいのに。

「そうだ。あいつは俺の手伝いをしながら、ずっと元の世界に戻る研究をしていてな」

「へぇ、フタバ兄さん戻りたいんだ」

「いや、本人は魔法が楽しいからずっとこの世界にいたいんだってよ。研究は、母さん達のためだ」

「……確かに。まさかいい情報って」

「あっちとこっちの世界を繋げる魔法陣を完成させた。俺と血が繋がっているやつならその魔法陣を使って行き来出来るぞ」

「僕とフタバ兄さんが使ったやつと違うの?」

「あれは俺を呼ぶための魔法陣で、いろんな偶然が重なってお前達が間違って来てしまっただけだ。一方通行で強制的だった前のやつとは違って、今回のは魔力さえ用意できれば家族なら誰でも行き来出来る」

それにはまだ複雑な条件があるようで、特に膨大な魔力を集めるのが大変らしく、今後の課題のようだ。

「まだ無理だけど、近いうちに一往復くらいは出来る……ってフタバは言ってた。その時向こうに俺たちの誰かが行って母さん達に事情を話そう。本人達が望めばこっちに来てもらうのもいい。そこで、だ、俺とフタバはこの世界で生きていくって決めたけど、ミツバはどうする?母さん達と会うタイミングで……戻ってもいいんだぞ」

何かを含んだ言い方をされて、気を使われているのが伝わってきた。殴らせてほしいと頼んだあの時から、ちゃんと何かを察していたのだ。辛いなら逃げてもいい、きっとこれはチャンスだ。

「僕もこの世界で生きるよ」

(この世界で生き続けるのが、僕への罰だ)

ロキを思い出すこの世界で生きるのはとても辛い。何度もあとを追おうとして、やめた。

死んで楽になろうなんて僕が僕を許さない。

「気が変わったらいつでも言ってくれ。とにかく、もし母さん達が来たらこの王宮で保護してもらう」

「ここはそんなに信用出来るの」

「……まぁな。あーっと、その……ミツバだから言うけど、俺、第二王女と結婚するんだ」

「……結婚?」

「お互い一目惚れで、魔王を倒したら結婚を認めてもらえる事になってた」

「向こうも魔王を倒した英雄なら大歓迎だろうね」

「実際魔王を倒した勇者なら色々助かるんだろ。血の繋がった子供は王女だけで後継者問題とか大変だったからな。俺は利用されているって分かっていても、彼女と結婚出来るならなんでもいい」

国を救ったヒーローなら、国民に歓迎される。王からしたら、こんなに都合のいい婿養子はいない。

「とにかく、俺はこの城に残って頑張るから、母さん達が来たとしても責任を持って守る」

「……ありがとう」

「ミツバは……この世界に残って何がしたい?」

(何がしたい)

無意識に右耳のピアスに触れて考え込む。

(ロキに会いたい)

「魔王について、調べたい」

もっとちゃんと魔王や魔族について調べていれば、あの時の後悔が蘇り自然と口に出していた。

「……良かった」

「何が?」

「やりたい事があって良かったって意味だ。魔王についてなら、フタバが詳しい。近いうちに一回会ってみろ」

「うん。せっかくだから、僕も魔法の勉強したい」

やる気が出てくると欲も増えてくる。

ロキがいたあの日に戻りたい。

時を戻す魔法の習得、今、漠然とした願いが魔法なら叶えられるのではと考えてしまった。

時を戻して魔王が復活しようが今はどうでもいい。兄達の苦労や人々の犠牲を無にする考えは流石に口には出せず、僕は新たな目的を手に入れてやっとベッドから抜け出せた。

魔法の勉強を始めてすぐ、フタバが魔塔に招待してくれた。

フタバがいる所はいくつかある魔塔の中で一番王宮に近く、馬車を使えば丸一日程で着く。

森の中にそびえたつ要塞のような円柱の建物に入り、黒ローブを着用している魔法使いがわざわざ部屋まで案内してくれた。

「ミツバ!」

「久しぶり」

制服なのか、部屋の中にいたフタバも似たような黒ローブを着ている。身長はロキぐらいで、短かった黒髪は腰まで伸び、色が若干紫色になっていた。でも糸目の奥にある瞳は黒のままのようだった。部屋が暗いから若干だが、明るい部屋ならもっと綺麗な紫色に見えそうだ。

「髪色気になるか? 魔力を持つようになったら自然とこうなったんだ」

「そうなんだ」

「……え? それだけか?」

「何が?」

「今までなら、良くも悪くもハッキリと感想言ってくれただろ」

「……そう、だった?」

言われてみれば最近、どうでもいい、なんでもいいと感じる事が多くなったような気がする。

「似合ってるとか、黒の方がいいとか、ま、そんな日もあるか。部屋の中案内してやるから入れ」

兄達の共通点は見た目と、このサッパリとした性格だ。この性格は素直に好きだった。久しぶりの再会なのに僕たちは軽く挨拶を済ませる程度で、入って数分で本題に入った。

本に囲まれた応接室にあるソファに座る。普段この応接室と、応接室と繋がっている生活用の部屋と研究室の三部屋で過ごしているらしい。引きこもり気質だったフタバからすればこの環境はわりと快適なようで、説明している間終始楽しそうだった。

「一応外出申請すれば出られるけど、魔法の研究と習得が楽しすぎて、いつの間にか引きこもってた」

「楽しいんだ」

「当たり前だろ! 魔法だぞ?」

「……元々理系だったから、それもあるのかな」

「あ〜確かに?」

魔法の勉強を始めたから言えるが、魔法の基礎はほとんど数学だった。魔法陣を描くには無数にある公式を理解する必要があり、難しい公式を理解して応用を解けばそれだけ高度な魔法が使える。しかし魔法陣があれば誰でも使える訳ではなく、最終的には魔力の話になる。

高度な魔法にはそれだけ魔力が必要になり、ここで挫折する者が数学者の道に行く。

魔力の有無は遺伝がほとんどで、わりと早い段階から適性が分かる。少しでも魔力があればこの魔塔や神殿、王宮等で魔法使いになる為の支援を受けられるシステムだ。

勿論兄達のような例外もある。勇者と血が繋がっている僕にも希望はあるはず。幸い僕も理系寄りなので座学には自信がある。そして魔力について訓練するなら、研究機関故に魔法の制限が緩い魔塔がちょうどいい。

「んじゃ、とりあえずミツバの魔力調べるから、こっちに来てくれ」

ソファに座って数分程度で早速本題に入り、研究室に通される。

「かなり広いね」

「そうか? これでもまだ最低限の広さだけどな」

入ってすぐ目の前には何もない空間が広がっていて、部屋の一番奥にだけ電子機器や本がある。この何もない所で魔法陣を展開したり、魔法の練習をしたりするらしい。

「この部屋は研究室だけあって魔法に強い。少しくらいなら暴れても大丈夫だぞ」

「どれくらい暴れてもいいの」

「冗談だって、いや、強いのは確かだけど、暴れたらすぐ魔塔の人間に感知されるからほどほどにな」

魔塔の管理を専門とする魔法使いもいるらしく、ちゃんと中でどんな魔法が発動したのかすぐに分かる仕組みになっていた。これからしようとしている事を考えれば少し厄介だ。

(魔法の制限は緩いけどちゃんと監視はされてるのか)

「今日は魔力調べるだけだから、ちょっと待っててくれ、えーっと、確か」

部屋を見ているうちに魔法陣が描かれている水晶を持ってきて僕に持たせた。

「兄さ、」

「そのまま持ってろ」

真剣な表情で何かを唱える。すると持っていた水晶がかすかに光り輝き、すぐに消えた。

「なるほど。今解析するから少しだけ待ってくれ」

僕を放置して、水晶を持ってテーブルに向かい何やら作業を始めた。邪魔しないように本でも読もうかと見渡した所で結果を分かりやすくまとめた紙をいくつか渡してきた。本当にすぐだったな。

「長くなりそうだからまたあっちの部屋で説明する」

そしてまた応接室に戻され、ソファに向かい合って座る。長くなるのは確かなようで、今回はお茶を用意された。

「結論から言うと、ミツバにはちゃんと魔力がある。ただ性質が俺たち二人のどちらとも違う。兄さんの特徴は魔力の多さだ。魔力を生み出す魔力があるって言えばいいのか? とにかく定期的に放出しないと危ないくらい魔力があるんだ」

「魔法の基本は魔力だったよね。じゃあ凄いんだ。……流石勇者」

無意識に尖った言い方をしてしまう。

「兄さんはその膨大な魔力で肉体強化と魔導具を使いこなして魔王を倒した。魔導具開発には俺もかなり関わったけど、大量の魔力を使いこなす奴が使うってなると開発者としてはかなり助かる」

「それだけ強い魔導具が作れるから?」

「その通り。凄い魔導具を作っても使うやつの魔力が足りなかったら壊れたおもちゃ同然だ。その点兄さんは魔力の心配がいらない。一番大変な魔力コントロールも勘とセンスで乗り切った。あれはもう選ばれた勇者だからこその力だな」

「フタバ兄さんはどんな特徴があるの」

勇者の話で少し気分が悪くなり、慌てて話題を変えた。

「俺の場合魔力量は普通。でも分析は得意だ。それと物に魔力をためる能力にも長けている。物に魔力をためるってかなり難しいんだぞ? 普通はすぐ抜けるから、安い魔導具は使い捨てが多い。でも俺が作ったやつはかなり長い間使えるし、兄さんの魔力にも耐えられるよう複数の魔法を組み合わせて……あーとにかく細かい作業があるんだけど、そういうのはほら、俺昔から得意だろ」

「じゃあだいぶ勇者にも貢献したんだ」

「勿論、と言いたいけど、まぁちょっとだけ、かな。俺だってここではまだまだ新人だしもっと凄い魔法使いがたくさんいる。手伝えただけでも光栄だよ」

これはきっと事実なのだろう。

「次が本題だ。ミツバの魔力だけど、うーん……量はかなり少ない。魔力を作り出す魔力が少ないってやつ。これは……生まれつきの体質みたいなもんだから……」

「ハッキリ言ってくれていいよ。努力でどうにか出来るものじゃないんだね」

「勉強と魔法の練習で増える可能性は勿論あるけど、そもそも魔力を作る能力一点だけについては、ポテンシャルが兄さんとは違う。あれはあれで魔力に全振りしてるから、ミツバの方が得意な事もきっとある。俺にもあるみたいにな」

「……僕が得意なもの」

「分析してみた感じ、これは多分治癒系だ」

「治癒」

「治癒能力はかなり貴重だぞ。魔法使いのほとんどは治癒魔法を学ぶけど、治せても外傷までって奴が多い。でもミツバの場合、病気と、あと先天性疾患まで治せるかもしれない。もっといけば寿命も……これは、冗談にしておこう。弟が世界中から狙われるのは困る」

フタバからの心配も今はどうでも良かった。治癒能力? 今の僕には一番不要なものだ。治したい人はもうこの世にいない。そもそも死と消滅は違う。

結局僕は、役立たずなのか。

「消えた人を甦らせるのは」

「死者の蘇生は禁忌魔法だし、原理を分かっていてもあんな高度な魔法無理。もし母さん達の事を心配してるなら安心してくれ。向こうでちゃんと生きているのを確認したから、あとはこっちの世界と繋げて一緒に暮らさないか提案するだけだ」

「……ありがとう。余計な事聞いてごめん」

「禁忌魔法についてなら、気持ちは分かる。俺も興味があって調べてみたけど、全部使う魔力がかなり膨大だ。国中の魔法使いと兄さんの魔力を合わせても厳しい。出来るとしたら、魔王くらいか」

「魔王?」

勇者に負けた魔王なら可能性なのか?

「兄さんは、俺とか世界中にいた優秀な魔法使いのサポートがあった。でも魔王は結局一人だっただろ? 魔王の仲間だと思っていた手下が実は魔王の分身だって知った時は驚いたぞ。世界対一人でやっと倒せた相手だ。魔王にもサポートがいたらきっと戦況は変わってた」

分身と言われて不快に思う。僕が好きになったのはロキだ。あれは魔王じゃない。

「自我を持つ分身、かなり興味深い。それが出来る魔王は本当最強だよ。味方だったらどんなに良かったか。なんで国を乗っ取ろうなんてしたんだろ」

「確かに」

「実は魔王の研究も進んでるんだ。一人で何十年も魔法使いを相手にしたあの力を無視するのは惜しいからな」

「僕も調べてみたい」

「ミツバが魔王に興味を持ってるって話は兄さんから聞いた。好きなだけ調べていい。母さん達の事は任せてくれ。協力が欲しい時はまた頼む」

「その時は、力になれるよう頑張る」

(時と場合によるけどね)

何度も心の中で両親に謝る。今の僕にとって優先すべき事はロキの復活だ。性質が治癒なのは残念だったが、とりあえず魔力があって良かった。ここで魔法を習得しながら魔王と禁忌魔法について調べよう。時間はまだたくさんある。


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