魔王消滅①

ロキには黙っていたけど、街には既に王宮騎士が常駐している。彼らなら、なんらかの方法で勇者と連絡が取れるはずだ。全身怪我だらけになりながら街までの最短ルートを走る。大丈夫。間に合う。間に合ってほしい。

(魔王なんかどうでもいい)

荒々しく走れば、森の動物たちが僕に驚いて音を立てて離れていく。

(兄さん)

こんな事なら、勇者の存在を知った時すぐ会っておくべきだった。正義感溢れる兄、カズハならロキを助けられる道を一緒に考えてくれただろう。でも今となっては正直カズハがどう出るか予想が出来ない。遅すぎた。なんでもっとちゃんと魔物について調べておかなかったんだ。

後悔から唇を噛み、口の中に鉄の味が広がる。ロキがロキであるなら、魔族とか魔王とかどうでも良かった。二人で静かに生きていければそれで幸せだった。

魔物の容姿が変わらないと知った時は、きっと長寿だから僕の方が先に死ぬんだろうな、と一人感傷に浸っていた。バカだ、何故容姿がそのままなのかちゃんと調べておけば、ああ、また同じ後悔をする。

休まずに街に急いだおかげで昼頃には目的の場所に着いた。

ボロボロの姿で現れた僕に、知り合い以外の人も心配そうにこちらを見てくる。

それらしき建物の前に立っていた白い鎧を着た騎士たちに駆け寄った。彼らからしたら不審者だ、当然のように床に押さえつけられる。

痛みなんかどうでもいい、そのまま叫ぶ。

「勇者は今どこにいる! 勇者に伝えろ! 弟のミツバが今すぐに会いたがっている!」

「こいつ頭イカレてる」

「いや、待て」

遠巻きにこちらを見ていた上官らしき人物が何かを確認し始めた。上で交わされる会話を聞く感じ、どうやらカズハはミツバを探していたらしい。

「勇者様の弟ってフタバ様だろ。フタバ様は見つかって魔塔にいるはずじゃ」

「いや、もう一人いる。ミツバ様だ。見つけ次第保護しろとの指示が入っていた」

拘束が解けて上官がこちらに手を差し伸べてきた。

「ミツバ様、お待ちしておりました。勇者様にはすぐにお伝えいたしますので、まずは中で治療を受けて下さい」

「治療とかどうでもいい! 今すぐ兄さんに会わせてくれ!」

「それは難しいです。勇者様は朝方魔王がいるとされている場所に……あ、なんだ、あぁ、分かった」

人がぞろぞろ増え僕を囲む。皆妙に明るい顔をしているのを見て血の気が引いた。

「今こちらに連絡が入りました。勇者様は先程無事魔王討伐に成功したようです。素晴らしいです! 今ならミツバ様の事もすぐに耳に入るでしょう。すぐに、っ、どちらへっ」

話を最後まで聞かず、来た道を慌てて戻る。

魔王討伐に成功したってなんだよ。成功したって、魔王が死んだって話だろう。じゃあロキはどうなる。ロキは、ロキは? 足が限界を迎える中、必死に走った。

何度も転び、それでも前に進む。いくら体力をつけても、まだまだ未発達の体、洞窟に着いた時にはもう限界に近く這い蹲って奥の寝床まで行く。頑張った甲斐があって日が高いうちに帰ってこられた。わずかな期待を込めて寝床を覗き込む。

そこにはロキが着ていた衣類と毛布があるだけだった。

「……そ、んな……」

なんとか起き上がり布をかき集める。

「ロキ……ロキ……」

衣類にはぬくもりすら残っていない。消えてから時間が経っている事を証明している。

「嘘だ」

こんな、魔法みたいに綺麗に消えてしまうなんて、嘘だ。骨すら残さず全て消えるなんて、そんな、嘘だ。さっきまでいたんだ、ずっと一緒にいたいって、そう思えた恩人で大切で愛しい存在が、魔王が死んだからって道連れのように消されていいのか。かき集めた布から何かが落ちる。それはロキとお揃いでつけているピアスだった。僕のために姿をくらませたとしても、ロキの性格を考えたらこれは持っていくはずだ。

それくらい好かれていた自覚はある。ピアスを拾い、確信した。

ロキは魔王と共に消滅した。

「あ、っ、ああああああああああ!」

布とピアスを抱きしめたまま、思いっきり泣いた。

こんな別れは認めない。認めるもんか。どれだけ泣いても涙は止まらず、喉が潰れる方が先だった。

整理整頓が苦手なロキの寝床にはいろんな道具が転がっている。工具箱からハサミを見つけ手に取った。これなら心臓に届きそうだ。瞳から光が消えた瞬間、入口から人の声と足音が聞こえてくる。

「ミツバ様! どこですか! おい、この中を捜索しろ」

「ミツバ様! 我々は味方です! 勇者様の所へすぐにお連れして差し上げます!」

「ご無事ですか!」

僕を追いかけて騎士たちが来たらしい。

(お前たちのせいで)

逆恨みだとか今はどうでもいい。悲しみがジワジワと憎しみに変わっていく。

心臓にやるはずだったハサミを投げ捨て、代わりに工具箱の中にあった細い針を持つ。右耳に当て、ピアスの穴を器用に開ける。熱くなったそこにロキのピアスを捩じ込んだタイミングで僕は見つかった。

「……ミツバ、様」

僕の姿を見た騎士がまるで魔物と対面した時のように怯えた顔をする。異変を察知されないよう無邪気を装い笑う。泣きすぎて潰れた喉を酷使して、なんとか掠れた声で彼らに願った。

「兄さんに会わせて」

だって僕はまだ、死ねない。


♢♢♢


僕には二人の兄がいる。十歳違いの長男、一葉(カズハ)、四歳違いの次男、二葉(フタバ)、そして三男が僕、三葉(ミツバ)だ。

カズハとフタバは日本人の父親似で僕はロシア人の母親似で兄弟だけでいるといつも僕だけ浮いていた。しかし兄弟仲は良く、年が離れているにも関わらずよく三人だけで遊んでいた。

カズハが行方不明になった日も、三人で遊んでいた。

その日は最近車を買ったカズハがドライブに連れて行ってくれると言うので、男三人で日帰り温泉に出かけていた。サービスエリアで休憩しながら温泉街に行き、僕達は先に目的地の店前で車を降りて、カズハが車を駐車場に停めて戻って来るのを待つ。

しかしどれだけ待ってもカズハは現れず、そのまま行方不明になった。

事件性があるからと警察はすぐに調べてくれたが、車を停めたカズハが何かを見つけて私道に向かって歩き出した所をカメラで確認しただけで、その後の行方は分からずじまいだった。

家族は仕事や学校を休み、毎日カズハを探した。僕たち兄弟は一緒に行動するよう言われ、捜索何日目かで二人は新しい所を探そうと私道近くにある空き家に無断で入った。ここは既に警察が調べただろう。それでも怪しいと思えば自分達の目で確認したい。

「ミツバ! これ!」

空き家の真裏には林が広がっている。そこに入った時、カズハの私物を見つけた。

「それもだけど……下の光ってるやつは何?」

二人の立っている場所に魔法陣のようなものが浮かび上がる。動けば何かに反応したように光が強まり、本能的に危険を察知して魔法陣の上から離れようとして……どうしたんだっけ、記憶はそこで止まっている。

目を開けた時、僕は変な洞窟の中にいた。そして自ら変人を名乗るロキと出会う。

年齢は十代後半くらい、か? 目にかかるほど長いボサボサの赤髪、青ざめた顔に酷いクマ、印象的な三白眼、服の上から見てもガリガリな体、その体を隠す服は真っ黒で独特のデザインをしている。まるでコスプレ衣装のようだった。言葉通り本当に怪しい。

相手を刺激しないように慎重に情報を集めた方がいいだろう。正直この時強がっていたものの、実際はだいぶ怯えていて怖かった。そんな僕を怖がらせないように、ロキは知りたい事を丁寧に全部教えてくれた。看病しながら僕のしつこい質問に付き合ってくれるロキが嘘を言うとは思えない。見せられた地図や道具も小道具にしては上手く出来すぎだ。だからすんなり受け入れられた。

(異世界って、やつか)

兄達が読んでいた本に異世界ものがたくさんあったからなんとなく分かる。来てしまったものはしょうがない。

(夢であってほしかったな)

何日経っても環境は変わらず、その間に体調はだいぶ回復した。これも全てロキのおかげだ。ロキに見つけてもらわなかったらきっと僕はこの世界で死んでいた。助けてもらっておいてあれだが、こんなにお人好しで大丈夫だろうか。記憶喪失のフリをしている怪しい男をロキはずっと優しく世話してくれた。僕が子供だから? それはそれでほんの少しだけ悔しい。ロキだってまだ子供のくせに。

慣れない外での生活は、住みやすい洞窟のおかげでだいぶ快適で、数日で慣れた。むしろ現代っ子の自分からすればやる事全てが新鮮で楽しい。

(兄さん達どこにいるんだろ)

それでも毎日兄達の心配をしていた。

そんなある日、薪を集めるためにロキと二人で森に入れば、タイミング良く街へ一緒に行こうと誘われた。ずっと興味があったから勿論、と言いたい所だったのに、余計な気遣いを足されて躊躇する。

(宿で働く?)

「……街には行ってみたいけど」

「じゃあ」

兄達とすぐ会えるならまだしも、探すだけならまだ信用出来そうなロキのそばでやりたい。

街に行けば大勢の人がいて、その中には悪い奴も必ずいる。ロキが任せようとしている店主だって、いくらロキがいい人だと言っても、ロキに対してだけだったらどうするのだ。

(情報は集めたいけど、まだ動くには早い)

街に行くのはもう少しこの世界に慣れて、ロキという人物が完全に味方だと分かってからにしよう。それまではここでゆっくり過ごす。学べる事はここで学んでおいた方がいい。ロキが悪者で油断した所で襲われたとしても、街の人間達よりはこのガリガリに痩せているロキ相手の方が倒せそうだ。そんな警戒も馬鹿らしくなる出来事がすぐに起きた。

「ロキ?」

「今日は肉料理だ。ハハハ」

「……顔色悪いよ、大丈夫?」

「あ、待て! ミツバ、そこで待ってて!」

ロキが何かを見つけて走り去る。待っててって……。

「あんなに顔色が悪いのに」

心配になって待っていると、ロキが鳥を捕まえて戻ってきた。確かにそろそろ肉を食べたい気分だったけど、明らかにさっきまで生きていた鳥を見て複雑な気持ちになる。それはロキも同じ、いや、僕以上に気分が悪そうだった。狩に慣れているものだと勝手に思っていたけど、あの反応は殺してしまった罪悪感からくるものだろう。

実際調理する時に聞けば、僕のために用意したと言う。

(なんで他人の僕のためにそこまでするんだ)

仕留めたショックから、美味しそうな料理が出来ても終始吐き気を堪えているような表情だ。

(優しすぎるよ)

そんなに繊細で優しいロキに、結果的に無理をさせてしまった。

(僕が子供だから)

その優しさはちゃんとこちらに伝わった。でも頼りになる男になりたい、ロキにこんな顔をさせたくない。微かに残っていた警戒を解き、少しでも気持ちが軽くなればと魔法の言葉を教えてあげた。こんなのただの子供騙しだ、この世界には本物の魔法があるらしいし、ロキだってきっとガッカリして呆れる。

気持ちを込めていただきますと言ったロキの反応を見た。予想に反して表情が和らぎ、気持ちが軽くなったようだった。感謝をされ、そのままロキを見つめる。

(優しくて、すごい、素直な人なんだ)

年下の子供の言うことを真剣にやってくれるその素直さもまた嬉しい。僕の瞳にはロキだけが映る。見つめすぎたせいでロキが恥ずかしそうに目をそらした。優しくて、素直で、守りたくなる人。僕はロキを知るたびにどんどん惹かれていった。もっと知りたくて、好かれたくて、狩を覚えた。適度な距離を保っていた兄達が見たら引くくらい、ロキにべったりくっついて甘えるようにした。ロキは優しいから怖いくらいなんでも受け入れてくれる。

家族を思い出して眠れなかったある日、寝床を抜け出してこっそり焚き火にあたっていたら、気付いたロキが横に座って話を聞いてくれた。ずっと一人で生きていたロキに家族の話をするのはどうなのかと黙っていたのに、家族の事を思い出して、そう呟いただけで、いつもの穏やかな笑みをこちらに向け、家族の話聞きたいと言ってくれる。

(話して、いいのかな)

優しいからどんどん甘えてしまう。

「僕はお母さん似で……」

ぽつぽつと家族の話を始めた。

静かに聞いてくれるだけで心が落ち着く。

「二人は別の国に住んでいたんだろ? どうやって出会ったんだ?」

「お母さんがお父さんのいる国に旅行に来て、そこでお父さんに一目惚れして猛アタックしたらしいよ。連絡先を渡して、遠距離なのに何度も会いに行って、戸惑っていたお父さんも頑張って会いに来てくれるお母さんに負けて……好きになって、付き合ったみたい」

母がいつも聞かせてくれるからよく覚えている。

『いい? この人だって感じたら、絶対に逃さないで捕まえるのよ ?押して押して押しまくるの。最初は同情でもいい、とにかく自分を売り込んで意識してもらいなさい。でも本気で嫌がっている事はしちゃ駄目。目的はあくまで付き合ってもらう事なんだから、分かった?』

母の母国語で勢いよく言われた言葉を僕たち兄弟はしっかりと胸に刻んでいた。

「へぇ、じゃあミツバもそうなるんだな」

「……うーん」

「だって一番母親に似てるんだろ?」

「見た目はね……多分」

「へー、でもミツバもいつかは誰かを好きになるだろ」

「なれたら、いいな」

一途に父を愛する母を誇りに感じるのと同時に羨ましくもある。

「家族の事は全部思い出してるのか?」

「……全部は、まだ」

あまり話しすぎると都合のいい記憶喪失がバレそうだからあえて濁しておく。でも両親の話が出来ただけでだいぶ気持ちが落ち着いた。

「俺なんかといるより、家族に早く会えたらいいな」

「うん。でもロキといるのも楽しい。ロキが家族なら良かったのに」

結婚とか特定の相手がいたら、絶対大事にしそう。

(まだダメ。僕にはロキが必要だから、まだ現れないで)

ロキの性格の良さに気付く鋭い女から守れるように、僕は自己肯定感の低いロキをあえてそのままにしておいた。その後もロキとの生活を楽しみながらこの世界について少しずつ学び、気付けば一年が経っていた。もっと兄達の捜索に力を入れるべきなのは分かっている。ちゃんと家族に会いたい気持ちがあるのに、毎日が楽しすぎてついつい目の前にいるロキとの時間を優先してしまうのだ。とは言いつつ、一緒に街へ行こうと誘われても、いつも通り留守番を希望する。この世界に慣れてきたから付き添い程度ならもう行けそうだけど、油断した所で例の宿に連れて行かれたら泣く。泣かないで有名な僕でも多分泣く。強い意志で拒み続ける僕を今回のロキはついに動かした。だって僕のためにプレゼントを渡したいって……。

(それはずるいよ!)

結局宝石店まで着いてきてしまう。昔から物欲が少なく、毎年プレゼントなんてどうでもいいと思っていたけど、ロキが必死に用意したとなれば物凄く欲しくなった。ロキが集めた原石からロキの髪色に似ているルビーを選び、それをピアスにしてもらえるか聞く。身につける物で落としにくい物となればピアスが最初に浮かんだからだ。

(穴は開けてもらえればいいか)

ふと気になってロキの耳を見る。ピアスは……無いな。そもそもアクセサリーをしている姿を見た事がない。

(お揃いにしたい)

お揃いの物を持って喜んでいた女子達を冷めた目で見ていた過去の自分を叱りたい。今なら分かる。好きな人と同じ物を持ちたい。それだけで幸せな気持ちになる。

(好き……は違うか。尊敬してる……? でも好きの方が近いな)

とにかくロキにもつけて欲しくて、わりと強制的にお揃いにした。流石に穴を開けさせた時は胸が痛んだけど、喜びの方が大きかった。我ながら最低だ。ついでに痛がるロキの前でカッコつけたかっただけで、僕も普通に痛かった。一人だったら絶対もっと反応していたけどロキの前だからなんとか堪えた。痛いけど気分はずっといい。このまま帰れたら一番良かったのに、恐れていた事が起きる。ロキが宿に泊まろうと言い出したのだ。宿ってあそこだろ、僕を預けようとしていた場所だろ。時間的に泊まった方がいいのは分かる、ただ勝手に話が進むと困るから紹介されるタイミングで先手を打つ。

「兄をこれからも宜しくお願いしますって言いにきた弟のミツバです。よろしくお願いします」

記憶喪失のくせに人探しをしているなんて言えば、この人の良さそうな店主ならすぐにうちで面倒を見るとか言い出しそうだ。ロキはロキでそっちの方が僕の為になるっていまだに考えていそうだし、そうはさせるか。邪魔をしたせいでロキからは普通に怒られたけど、これに関しては全く悪いと思わない。僕の事なんだから、僕の意思が尊重されるべきだろう。

宿泊した日の夜、初めて街に来た興奮のせいかなかなか寝れず、一人で一階にある談話室に向かった。ここは宿泊客ならいつでも使える場所で、暖炉とソファ、大量の本がある。

(流石に僕だけか)

遅い時間なので当然か。室内の張り紙に、フロントに行けば飲み物を貰えると書いてあったから取りに行こう……として、他の張り紙に目が行く。似顔絵が大量に貼ってある。

「これは?」

指名手配のポスターのようなそれが気になり、フロントで飲み物を受け取りながら店主に聞いてみた。

「あれは魔物だ」

「魔物……ってなんでしたっけ」

「おいおいまじかよ。ロキの弟」

「ミツバです」

「ミツバしばらく起きてるか?」

「はい。談話室で本でも読もうかと」

「ちょうどいい、魔物について教えてやるからこい」

二人で談話室のソファに座り、店主は色々教えてくれた。

「壁に貼ってある奴らは魔物の中でも強い奴らだ。この顔を見たらすぐに逃げろ」

(やっぱりそういうポスターか」

「紙が結構古そうですけど、大丈夫ですか? もう顔が変わってるんじゃ」

「あいつらは歳をとっても見た目がずっと同じだからいいんだ。噂では飲まず食わずでも生きていけるらしいぞ」

「……それは……凄いですね」

一瞬ロキの顔が浮かんで、返事がワンテンポ遅れた。一年も一緒に暮らしていると、ロキについて色々詳しくなる。いい事がほとんどの中、少し不気味に思う事もある。今話に出た食事がまさにそれだ。出会った時から僕はずっと不健康そうなロキが気になっていた。顔色が悪く、ガリガリで、寝不足のような酷いクマ、どれか一つでも改善したくて、食べ物をとにかく食べさせた。渡したらちゃんと全て食べるのに体型はずっと同じ。一緒に寝て、ちゃんと長い時間寝ているのを確認したのに、寝不足のような顔も同じ。その時点で違和感があった。決定的だったのは、とある実験をした時だ。

ロキは僕が料理を渡すと、毎回思い出したように食事を始める。じゃあ渡さないままだったらどうなるのか疑問に思って、あえてロキに食事を渡さず、自分だけこっそり食べた。そしたらどうだ。僕がもう食事を済ませたと言えば、納得してそれでおしまい。おしまい? おかしいだろう。じゃあ俺も、と一人で食事をする流れなのにロキは食べない方向にいく。しかもしばらく放置してみたら、一週間も飲まず食わずで過ごしていた。あれはもう少食とは違う。僕が心配になって思わず食べ物を差し出さなければもっと続いていた可能性がある。ずっとべったりくっついていたから食べていないのは確かだ。良くも悪くも一週間飲まず食わずでも普通だった。いつも通りガリガリだけど元気だった。不気味だったけど、既にロキに懐きまくっていたから見て見ぬふりをした。

(魔物なら説明がつく)

店主は魔族を悪だと言うが、僕は黙って聞いていた。魔王や手下がしている事が本当なら人々からすれば悪そのものだ。でもロキは? 彼もまた悪なのか?

「でも、勇者様が現れたからもう大丈夫だ。なんでも転生者やらはこの世界に来た時何かしら特別な力を得るみたいでな、すぐ力をつけて魔王の手下を減らしてくれた。このままいけば魔王も倒してくれる」

次は勇者の話になった。勇者、転生者、まさか。

「勇者の名前って」

「名前? 確か……カズハ様だ。響きだけならミツバと似てるな」

「……光栄です」

勇者は探していた兄、新田一葉だ。世界を救う為に勇者をこの世界に呼んだらしいが、呼ばれた側はいい迷惑だ。探していた僕達がこちらに来たのも、血が繋がっているせいで魔法陣が反応したとかそんな所だろう。

(どうせなら僕にも特別な力をくれればいいのに)

とにかく見つかって安心した。勇者として上手くやっているみたいだし、国から丁重に扱われているうちは大丈夫。正義感が強いカズハが魔物を倒しまくっている想像をして、やめた。気分が悪い。

「眠くなってきたので部屋に戻ります。お話聞かせてくれてありがとうございました」

「おう。過保護なロキの代わりになんでも教えてやるから、知りたい事あったらいつで聞きにこい」

「頼りになります」

手をつけないままでいた飲み物を持ち、そのまま部屋に戻った。眠たいと言ったのはただの口実で、一睡も出来ずに朝を迎えた。機嫌のいいロキを見ながら、自分はどうしたいのか考える。

(一年、か)

離れるにはちょうどいい。今なら宿の世話になるのもいい考えだと思える。ロキは最初からそうしたがっていたから、きっと喜んで背中を押してくれる。想像したら腹が立った。こんなに悩んでいるのに、ロキは僕がいつ離れてもいいとか、少しは引き止めろよ。

(でも絶対引き止めてくれないよなぁ)

洞窟に向かって歩き出す。こちらを見て何かを話している街人に嫌な予感がして歩くスピードを上げた。

「ミツバみたいに顔がいいと目立って大変だ」

「……まぁね」

あの雰囲気は違う気がするけど、そういう事にしておこう。今後について考えるのは、ロキが魔族だと確定してからにしたい。僕は縋るように隣にある細くて白い手を握った。

ピアスが完成した頃に、僕たちはまた街に行った。

この頃には二人ともピアスの穴が完成していたから、お揃いで早速つけてみる。最後までつけるのを渋っていたロキは実際つけてみると気に入ったようで、ずっと鏡を見ていた。髪色と同じ色のピアスだ、似合うのは分かっていたけど、少し印象が華やかになった。まぁ僕は、お揃いのピアスをつけてくれている事に興奮してしまっている。この胸のドキドキはなんだ。

鏡でピアスをつけた自分を見る。正直ロキとは違い、自分の容姿に赤のピアスは似合っていないけど、かなり気に入った。女店主は絶対他に似合うのがあると分かっていたのに、僕の気持ちを尊重して最後まで合わせてくれた。向こうからすれば、客が満足すればそれでいい。今は彼女なりのプロ意識がありがたかった。

(僕が周りから微妙って思われるって知ったら、絶対ピアス取り上げられてた)

このまま何事もなく店を出られたら良かったのに、女店主の言葉に空気がおかしくなる。

内容は、病気が治って街に戻ってきた女性の話だ。ただの世間話なのに、ロキは明らかに動揺していた。これには何かあると察してしまう。宿に泊まっても表情は暗いままで、僕まで落ち込みそうになった。でも落ち込む暇があるくらいなら、行動した方がいい。

(ごめんね)

翌日、僕はロキを先に帰らせ午後まで時間を潰し、街に帰ってきた女性に会いにいった。

パン屋はかなり人気なようで店の外に行列が出来ている。軽く覗いてそれらしき人物が見当たらなくてどうしようかと悩んでいたら、パン屋の二階、おそらく生活するスペースの窓からこちらを見ている女性と目が合った。僕が小さな子供に見えるのか、白髪でシワシワの手をこちらに振ってくれる。実際子供だけど、複雑な気持ちを抱えながら手を振り返す。ついでにジェスチャーで必死に会いたいと伝えたら、中から若いスタッフらしき人物が忙しいのに話を聞きに来てくれた。

「昔あの方にお世話になった……人の知り合いなんですけど、街に帰ってきたって聞いて、その、少しだけでいいので、お会いする事って出来ますか?」

我ながら怪しい。世話になった人の知り合いって、相手からしたら他人だ。あと面識がある前提で言ってしまったけど、ロキと彼女が出会っている可能性の方がロキの年齢を考えるとかなり低い。

「ついでにその知り合いのお名前って分かりますか」

「名前は、なんだっけ……赤髪で、今は五十歳くらいで……ええと」

万一に備えていくつか嘘を混ぜてロキの特徴を伝える。この世界でも赤髪は珍しいようだから、言えば伝わる気がした。少し待って、二階の部屋に通される。杖を持って立ちあがろうとする彼女を慌てて止めて、木製の椅子に座らせる。

「ありがとう。良かったらそこの椅子に座ってちょうだい。今焼きたてのパンとお茶が来るから……ああ、来たわ」

「おかまいなく」

「子供が遠慮なんかしないの。お腹いっぱい食べて」

テーブル前の椅子に座るよう指示され、すぐに目の前に焼きたてのパンと紅茶が並ぶ。

「私も今からお昼だったの」

反対側にいる女性が少し震える手でパンを掴み、美味しそうに頬張る。断るのも失礼か、お礼を言って食べたパンは凄く美味しかった。

(ロキにも食べさせたい)

肉、魚、野菜はわりと洞窟でも食べられるけど、炭水化物はロキが街から貰ってくる時だけ食べられる貴重なもの。それも米ばかりで、余計にパンが美味しく感じられた。一つ完食した所で、本題に入る。

「人違いだったら申し訳ないんですけど」

「多分私が覚えている人と同じ人だわ。でもごめんなさい、私も名前を忘れてしまって……なんせ三十年も前だから……彼は今元気にしてる? まだガリガリなのかしら」

懐かしむように目を細める彼女を見て、確信した。

彼女はロキを知っている。

「今でも痩せてます」

「そうなの……体質なのかしらねぇ。たくさんパンを持たせてもずっと痩せたままだったから、いじめられているのかと心配してたのよ。そしたらあの子目の前で美味しい、美味しいって食べてくれて、それでも太らなかったわ。私からしたら羨ましいけど、ちょっと心配になる細さよね」

「……はい」

「あなたのお名前は?」

「ミツバです」

「素敵な名前。ミツバくんはあの子とどういう関係?」

「この間倒れていた所を助けてもらったんです。でも、恩人の名前忘れるとか最低ですよね」

「大変な状況だったのでしょう」

「……ありがとうございます。助けてもらったお礼をしたくて願いを聞いたら、行けない自分の代わりに感謝を伝えて欲しいって頼まれたので来ました」

(嘘だ。ロキの正体をハッキリさせたかっただけだ)

「私と最初に会った時、確か十代後半くらいだったから、今は五十歳くらい? 元気かしら。どこまで聞いてる? 家族はいる?」

三十年前も今と同じ姿だった。つまり、ロキは、魔物確定だ。

「……はい」

(僕は家族のつもりだし)

「まぁまぁあの子が、嬉しいわ。ずっと一人で生きていくとか言ってたけど、そう、家族が出来たの。嬉しいわ、本当に嬉しい」

「昔どんな感じでしたか?」

「とても優しくて、不器用な子だった」

彼女の口から聞くロキの話は驚くくらい今のロキと同じだった。よく街の人の手伝いをして、時には騙されて損をして、パン一つで感動して、彼女の愚痴をいつもずっと聞いてくれて時には慰めてくれる。その割に自分は秘密主義で何も話してくれない。僕ならロキの気持ちが分かる。魔物だと明かせないもどかしさをきっと感じて苦しんでいただろう。

「優しすぎるせいで、あの子を利用する悪い大人もいた。断ったら暴力で無理やり従わせようとして、思い出したらまた腹が立ってきたわ。何度包丁片手にやり返そうとしたか……でも、止めるのはいつもあの子だった」

優しさを利用されて何度も人間に酷い事をされたのに、ロキはこの街を愛している。昔の話を聞いて、泣きたいくらい嬉しかった。僕が慕っているロキは、昔も今も多分未来もずっと今のまま変わらず生きていく。じゃあもう答えは出た。魔物とかどうでもいい、僕はロキのそばにいたい。唯一の心配事だった兄の件も片付いた今、僕はロキといる道を選んだ。

過去のロキのように、自分を偽り続ける罪悪感と戦いながら、彼女と話を続ける。彼女も僕もロキの話となると止まらず、かなり盛り上がった。話に夢中になりすぎて、あっという間に帰る時間になり、お土産に大量のパンを渡される。

「あの子はまだあなたの近くにいる? 会えるなら、これ食べて太りなさいって言って渡しておいてくれるかしら」

「……あの、しばらく渡せないので、また今度、買いに来ます」

彼女が戻って来たと知った時、ロキは魔物だと気付かれるのを恐れていた。帰ってすぐ渡したら、ここに来た事が知られて、ロキを不安にさせてしまうだろう。なんなら魔物だと先に打ち明けて、僕を街に逃がそうとしそうだ。

絶対に嫌だ。僕はロキと共に生きると決めたのだ。

「あらそう。じゃあミツバくんの分だけでも持っていって。このロールパンね、あの子が……一番好きだったやつなの」

「貰います」

これには即答だ。

「ちょっと待って、今、名前が出そうだったわ、えっと、ロ……ロ……」

思い出しそうな所であえて聞こえないフリをして部屋を出た。彼女が名前を思い出さない方が僕たちにとって都合がいい。帰り道に貰ったロールパンを食べる。美味しい、ロキが好きなパンと知ったからか、僕の一番好きなパンになった。


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