第8話 不協和音
恐ろしいほど広大で、
エンジェルと遭遇してから、どれほどの距離を歩いたか、四人の内把握している者は、ただの一人もいなかった。
「ちょっといいかな?」
ここにきて、セイがゆっくりと口を開く。
「シニガミというソンザイはいったいナンなんだい? テンシというカミのミツカいがクルってしまっているのに、なんでシニガミはクルっていないの? カミのミツカいというイミでは、オナじようなソンザイなのに」
頭の上に疑問符を浮かべながら、セイが首を傾げる。
「それは多分、わたしたちが元は人間だからよ。天使たちは神様によって生み出された、云わば神様の子供のような存在。わたしたち人間、死神たちとはまるで存在の構造が違うの」
メイが難しそうな顔付きで、淡々と語る。
「ソンザイのコウゾウがチガう? それじゃ、もしかして……、シニガミって、ナニかトクベツなチカラとか、そういうものはナニもないの?」
下を向きながら、歯痒そうにしているミコトに、セイが尋ねる。
「悔しいけど、何もないわよ……。あくまで、あたしたち死神は、幽世の案内人。それ以上でもそれ以下でもないわ」
それを聞いたセイは、驚いた顔付きで、メイとミコトを交互に見る。
「クルったテンシたちとソウグウしても、ただただニげるのみなんだね……」
暴走天使と遭遇しても、半ば打つ手なしと判明し、四人の面々を重苦しい空気が包み込む。
そんな中、突如強風が吹き荒れる。
たまらず叫び声を上げる四人の面々。
土ぼこりと砂ぼこりが舞い上がり、見通しが悪い中、二人の……、いや、二匹の大天使が、四人の前に圧倒的存在感で姿を現した。
二匹の大天使、アークエンジェルは、巨大なイカのような姿を擁(よう)していた。
触手のように不気味にうごめく十本の足は、四人を捕食せんとばかりに爪を出して威嚇している。
「……ひっ!」
再度暴走天使を目の当たりにしたミコトは、そのあまりの恐怖から小さな悲鳴を上げた。
エンジェルとは違い、今度は二匹の登場である。
彼女が感じている恐怖は、恐らく計り知れないものであろう。
泣きながら怯えるミコトの横で、メイも身体を大きく震わせていた。
今、其処にある危機に、二人は何の対処も出来ずにいた。
「ね、ねぇ、メイにミコト……。いったいどうしたらいいの……?」
絶体絶命を肌で感じ取り、顔面蒼白で、声を震わせながら、二人に尋ねるセイ。
アークエンジェルとにらみ合う中、カバネが大きな声で叫んだ。
「皆さん! 何をやっているのです! 早く逃げましょう! 相手は二匹です! 二手に分かれましょう!」
カバネに思い切り背中を叩かれ、怯えていた三人は、我に返ったかのようにハッとする。
「そ、そうよ! このまま殺られるより、そっちの方が全然マシだわ! みんな、今すぐこの場から逃げるわよ!」
慌てた素振りでメイの手を取ると、ミコトは一目散にその場から逃げ出した。
「ちょ! ちょっ! 逃げるってどこへよ!?」
先ほどまで泣いていた者とは思えない、ミコトのあまりの豹変ぶりに、戸惑うメイであったが、二人はあっという間に姿をくらませた。
「セイ! わたくしたちも!」
ほんのりと顔を赤らめながら、強引にセイの手を取るカバネ。
こんな危機的状況にありながらも、カバネは楽しそうに笑っていた。
そして、不安げなセイに微笑み掛けると、脱兎の如くその場から逃走した。
後方。
すぐ真後ろで、二匹のアークエンジェルが、セイとカバネを迫っている。
この世界、幽世では体力に限界がない。
その為、二人は長いこと全速力で走り続けていた。
「カ、カバネ、どうしよう!? このままじゃ、キリがないよ……!」
猛然たる勢い。
二匹の化け物たちを形容する言葉はまさにそれだった。
このまま全速力で走り続けていれば、恐らく追い付かれることはない。
されども、引き離すことも出来ない。
無間地獄。
セイの脳裏に過ったのは、終わりのない苦痛だった。
しかし、
心配はいらない。
カバネは確かにそう言った。
「大丈夫ですわ! この先を行ったところに、建物がたくさんあります! 一旦そこに身を隠しましょう!」
カバネ。
それは終国の住人。
生まれ変わることを許されない大罪人。
彼女が、カバネが、そうであるかは分からない。
が、少なくとも、彼女にはおかしなところがいくつもあった。
「カバネ、キミはいったい……」
正体不明の女、カバネは――、まるで、こんな現状を楽しんでいるかのように見えた。
カバネの表情には、いつもと変わらず、微笑みが携えられている。
無垢なセイにとって、それは、とても心強いと思う反面、とても恐ろしいとも思えた。
一瞬たりとも休むことなく、全速力で走り続けていると、前方にたくさんの建物が見えてきた。
先ほどカバネが言った通り、あそこで身を隠せそうだ。
「あとスコしあとスコし……!」
前方の建物群に身を隠せば、化け物二匹を撒けると思ったセイは、落ち着いた様子を取り戻し、ただひたすらに走り続けた。
そして、やがて建物群に辿り着くと、二人は、一直線に、近くの建物内へと入り込む。
「ココなら、カレラもどうしようもないはず……!」
二人が入り込んだ、中世ヨーロッパ風の石造りの建物は、アークエンジェルたちよりひと際大きく、外からではどうしようもない、格好の逃げ場であった。
アークエンジェルたちの触手のような足が、真綿のように建物をギリギリと締め上げる。
が、造りがしっかりしている為、びくともしない。
「ヨかった。ココなら、ナンとかシノげそうだね」
ホッと安堵の息を漏らすセイだったが、ここまできても事態は一向に収束しない。
アークエンジェルたちは、建物を締め上げるのを止めると、続いて更なる攻撃に打って出た。
その巨大な体を活かした、痛烈な体当たりは、建物全体をビシビシと震わせる。
「わわっ! わーっ!」
建物を倒壊させんとばかりに、痛烈な体当たりを繰り返すアークエンジェルたちに、セイは思わず大きな悲鳴を上げる。
そして、建物が崩れ落ちようとしたその時。
突如、異変は起きた。
「あれ? コウゲキがヤんだ……?」
アークエンジェルたちは、突として体当たりを止めると、そそくさとその場から立ち去って行った。
何が起きたのか分からず、頭の上に疑問符を浮かべるセイであったが、横にいるカバネを見て、ヒュッと息を呑んだ。
あの微笑みを絶やさなかったカバネが、アークエンジェルたちを睨み付けていたのだ。
その鬼気迫る表情に、セイは思わず声を掛けるのを躊躇った。
やがて、セイの視線に気付いたカバネは、何事もなかったかのようにコロコロと笑う。
「どうしたんですか、セイ? そんな豆鉄砲を食らったような顔をして。うふふふ」
「な、なんでもないよ。ところで、ボクたちタスかったみたいだね」
「そうですわね。大天使さんたち、いったいどうしたんでしょう」
「と、とにかく! イマすぐこのバからハナれよう! メイたちとゴウリュウしなくちゃ!」
「……そうですわね。お二方は今、どこにいるのでしょう?」
「ワからない……。でも、カンガえるよりサキに、コウドウだよ! さぁ、イこう!」
何故だか分からないが、セイはカバネの目を見れなかった。
〝言い知れぬ恐怖〟
今のカバネには、そんな不気味な雰囲気があった。
「セイ? はぐれたら大変なことになりますわ。手を繋ぎましょう」
差し出されたカバネの手を、セイは握り返さなかった。
〝猜疑心〟
セイの心内はそれでいっぱいだった。
自分の目を見ないセイに、カバネは僅かに表情を崩す。
「ごめんなさい。ちょっとべったりし過ぎていたかもしれないですわね……」
顔は笑っているが、どこか辛そうなその面持ちに、セイは気付いていなかった。
「行きましょう。早く合流しないと、お二方も困ってしまいますわよね」
そう言う彼女の声に元気はなかった。
しばらくして、二人は、建物から姿を現す。
仲の良かった二人の間に、不協和音が生じていた。
そんな中、
上位三隊の座天使――、階級第三位の狂ったソロネが、二人の存在に気付き、その命を狙おうとしていた。
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