第7話 異類異形

 薄霧に覆われた不気味な世界で、四人はただひたすらに歩を進めていた。

 死後の世界なので、それぞれに疲れはないが、それでも精神的には参るほどの距離は歩いた。

 幽世に正確な時間の概念はない。

 ただ、四人が歩いて来た道のりを考えると、驚くほど長い時間、此処まで歩いて来たことが窺えた。


「ねぇ、ちょっといい?」


 突如うんざりした面持ちで、ミコトが口を開いた。


「あたしたち、かれこれもう一週間分ぐらいは歩いてるわよね……? 何となく分かってはいたけど、改めて思うのは、やっぱり幽世って広大じゃない……?」

「そうね。時速千キロの魔導列車でも、幽世を回るのには時間が掛かるわ。それが歩きとなると、軽く世界を回っただけでも、どのぐらい掛かることやら……」


 疲れた。

 口には出さないが、メイもそんな顔をしていた。


「まぁでも、幸いわたしたちには、時間は永遠とあるわ。何年何十年掛かっても、根気よく天使を探しましょう」

「うへー……、気が遠くなる話ね……」


 もううんざりとばかりに、舌を出して、げっそりとするミコト。

 項垂れる彼女を見ながら、カバネは楽しそうに笑っていた。


「遊戯の世界でもそうだったけど、天使は死者が多いところにいるわ。まずは死者の群れを探しましょう」


 気合いを入れ直し、変わらず先頭を切るメイであったが、正直なところ、彼女の胸中は、大きな不安に支配されていた。


 今、自分たちがいるこの世界。


 此処はあくまでも幽世だ。

 しかし、この世界は何かがおかしい。

 

 メイの胸奥では、謎の胸騒ぎがひどかった。


 歩き続けてどのぐらいの時間が経っただろう。

 時間の感覚が完全になくなった頃、四人はようやく死者を見付けた。

 この世界に来て、初めて見る死者は、崩落した住居の前に、うつ伏せで倒れていた。


「ねぇ! 大丈夫!? いったい何があったの!?」


 慌てた様子で駆け寄ったミコトに、死者は、ただただ呻き声で返すばかりであった。


「駄目ね……。何があったのか分からないけど、意識を失ってる。これ以上は話し掛けても意味がないわ……」


 死者の様子を冷静に見ていたメイが、重く口を開き、そして、他の死者も倒れていることに気付く。


「行ってみましょう」


 周囲を隈なく探した結果、数十人の死者を発見したが、その誰もが意識を失っており、会話を出来る者は、ただの一人もいなかった。

 ここでセイはある一つの疑問に気付く。


「もしかして、シシャはみんなこうなんじゃない……?」


 それを聞いたミコトは、背筋に冷たいものが走り、怒ったような素振りでセイに言い返す。


「それなら、なんでアナタは動けているのよ!? アナタも死者ってことを忘れないでよね!?」

「ごめん、ワルギはなかったんだ……」


 原因不明の事態。

 それにより、ミコトの精神は不安定になっていた。

 得体の知れない恐怖は、人をパニックに陥らせる。

 今のミコトがまさにそれだった。


「ミコト。一応言っておくけど、セイはまだ死んでないわ」


 突然の告白に、ミコトは吃驚する。

 驚いたのはセイも同じだった。


「じゃあ、なんでコイツは幽世なんかにいるのよ!?」

「それはセイが……」


 リーン。


 突如耳元で鳴り響く鈴の音。


 リーン!! リーン!! リーン!!


 次第にそれは、どんどんと大きな音になって行く。


「な、なに!? この音は!? 耳の鼓膜が破れそう……!!」


 とてつもなく大きな鈴の音。


 まるで何かを浄化するかのような、透き通ったその音色は、一人の……、いや、一匹の『異類異形いるいいぎょう』を呼び寄せた。

 金属のような巨大な体をくねらせ、異類異形は赤い目を光らせる。


「な、なに、あれは……!?」


 顔面蒼白で、歯を鳴らしながら、ミコトがそう呟く。

 異類異形はクリオネとよく似ていた。

 背中には金色こんじきに輝く二枚の羽が生えている。

 銀色しろがねいろの体と、金色に輝く羽と来たら、答えはもう一つしかない。


「も、もしかして……、あれはエンジェルなの……!?」

「どうやら暴走していらっしゃるようですわね」


 驚くほど冷静に、淡々とそれを口にするカバネ。


「ボケっとしてないで、さっさと身を隠すッ!」


 メイに背中を叩かれた三人は、ハッとし、大慌てで彼女の後を付いて行く。

 ちょうど前方には、死者の住居があった。

 四人は天使に気付かれないよう、静かにゆっくりと、音を立てずに、住居の中へと入り込んで行く。


 ハアハアと呼吸を荒げながら、天使の様子を窺う四人の面々。


 すると、天使の頭が真っ二つに割れる。

 頭の中からは六本の触手が現れた。

 不気味にうごめく六本の触手は、近くで倒れていた死者を力強く掴み上げると、勢いよく頭の中へと持って行った。

 頭の中に入った死者は、バキバキと音を立てて、ゆっくりと咀嚼されて行く。


「ね、ねぇ、メイ? 幽世で死ぬと、いったいどうなるの……?」


 幽世での〝死〟は〝無〟への直結。

 最悪の結末になる、とだけメイは言った。

 息を殺しながら、天使が通り過ぎるのを待つ四人。

 

 そんな中、四人が潜む住居の前に立ち止まる天使。


 様子を窺うかのような、その佇まいは、四人の額に冷たい汗を垂らさせた。

 

 一分。

 二分。

 三分。

 

 短いようでとてつもなく長い時間。


 やがて天使は、四人の気配を感じ取れず、その場を後にした。


 天使が去ってしばらくして、最初に言葉を発したのは、ミコトであった。


「何よ何よ、何なのよ!! さっきのアレを見た!? なんでエンジェルがあんなことになってるわけ!?」


 慌てふためくミコトに、メイは無言で首を横に振った。


「分からないって!? アナタ、それでも死神なの!? 死神は幽世で知らないことなんて何もない! それなのに、この世界に来てから、分からないことだらけ!! こんな世界、もううんざりよ!! いったいあたしたちはどうなっちゃうの……!」

「落ち着きなさい。貴方も死神でしょうが……」


 泣き叫ぶミコトを抱き締めるメイであったが、その身体はガタガタと震えていた。

 怯える二人を余所に、カバネが口を開く。


「先ほどの天使さんは、恐らく『下位三隊のエンジェル』。天使さんはまだ他にもいますわ。正気を保っている天使さんを探しましょう」


 メイとミコトの様子を見ても、まるで意に介さず、カバネは淡々とそれを告げる。


「天使には九の階層がありますわ。先ほどの天使さんは、その中でも一番下の天使、エンジェルと呼ばれる者――。もしかしたら、上の階級の天使さんなら、正気を保っているかもしれないですわよ。希望を捨てないで、また別の天使さんを探しましょう」


 こんな時でも笑顔を絶やさず、カバネは二人に微笑み掛ける。


「アナタ、なんでこんな時でも笑っていられるのよ……。天使が、この世界が怖くないの……?」


 ミコトにそう言われても、カバネは、ただただ微笑み返すだけであった。


「なんか腹が立つわね! でも、少しだけ気持ちが楽になったわ。ありがとう、カバネ……」

「いえいえ、どういたしましてですわ」


 ミコトに礼を言われ、恥ずかしそうに照れながら、再度二人に微笑み掛けるカバネ。

 先行き不安な現状ではあるが、二回も笑顔を向けられたことにより、メイも少しずつ元気を取り戻して行った。


「カバネ、貴方が何者か知らないけど、貴方がいてくれて良かったわ」


 二人が笑顔を取り戻したことにより、セイの表情にも緊張感が解け、柔和な笑顔が浮かび上がった。


「メイとミコトがゲンキになったところで、ヒトつシツモンをイいかな? さっきカバネがイっていた、テンシのキュウのカイソウってナニ?」


 分からないことだらけのこの世界で、唯一分かることがある。

 頭の上に疑問符を浮かべているセイだったが、その疑問にミコトがふんぞり返って答え出した。


「いい? 天使の九の階層というのはね、早い話がこうよ」


 上位三隊

 熾天使・セラフィム

 智天使・ケルビム

 座天使・ソロネ


 中位三隊

 主天使・ドミニオン

 力天使・ヴァーチャー

 能天使・パワー


 下位三隊

 権天使・プリンシパリティ

 大天使・アークエンジェル

 天使・エンジェル


「とまぁ、これだけの天使がいるってことなの。さっきあたしたちが遭遇した天使は、羽が二枚だった。だから、恐らくは『エンジェル』。天使は羽の多さで、その位の高さが変わるの。あたしたちはこれから、エンジェル以外の天使を探しに行かなければならない。位の高さで、神からの恩恵も違うから、きっと上位の天使たちは正気を保っているはず……! またさっきみたいな暴走天使と遭遇するかもしれないから、正直とても怖いけど、しらみつぶしに天使たちを探すしかないわ」

「タイヘンなミチのりになりそうだね……」


 これからの道のりを考え、セイは大きなため息をつく。


「時間は掛かると思うけど、仕方ないわ……。さぁ、いつまでもこんなところにいないで、天使たちを探しに行くわよ!」


 先ほどの臆病風はどこへやら、ミコトはすっかり元気になっていた。

 四人の天使探しの旅は、ここから苦難の連続へと飲み込まれて行く。

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