4、

 

 覚えているかい、とアッシュは聞く。


「子供の頃、僕らの村が滅ぼされたことを」

「……ああ、よく覚えているさ。忘れられるわけがねえ」

「そうだな」


 カズアの返事に、アッシュは目を細める。おそらくは、無くなってしまった故郷に思いを馳せているのだろう。


「五歳にも満たない頃に、僕らの村は魔族によって滅ぼされた。それから五年、ようやっと新天地にも慣れて……この新しい村で、新しい人生を送ったよな」

「ああ」


 そうか。子供なカズア達の言う『五年前』というのは、この村ではなく、更にその前……カズア達が幼い子供の頃に住んでいた村のことなんだな。


「生まれ故郷からこの新しい村まで、ずっと一緒だった。……僕ら三人」

「……」


 三人。

 アッシュは子供の頃から好きだった女性と結婚したと、カズアは言っていた。つまりその女性と三人、幼馴染だったのか。


「まさか、また、魔族に滅ぼされるなんて、ね……」

「すまねえ」


 悲しみを目に浮かべるアッシュに、即座に謝罪の言葉を述べたのはカズア。それに不思議そうな顔をするアッシュ。


「どうして謝るんだい?」

「だってよ。俺は……お前ら家族を守れなかった。何があっても、お前ら一家を守るって俺は近いを立てていたのに。それなのに俺は……お前らを救うどころか、俺がお前に助けられてしまった!!!!」


 ポタリとカズアの目から涙が落ちたのが見えた気がする。だがそれは一瞬で、今はもう無い涙を確認できない。


「それは僕も同じだよ」


 アッシュの言葉に、カズアの目が見開かれる。


「アッシュ?」

「カズア、僕も妻も、子供達も……みんな、キミが好きだった。大好きだったんだよ」

「……」

「僕の妻をキミも好いていたことは知っていたよ。それでもキミは僕と彼女の幸せを望んでくれた。裏表なく、ただ純粋に祝福してくれた。その時に僕と彼女は誓ったんだ。必ず、キミを守ると。キミの幸せを……」

「俺の幸せはお前らが幸せになることだ!」

「それでも!」


 カズアの叫びを遮るように、より大きな声がアッシュから放たれる。それは生きている人間そのもの。亡くなっているとはまるで思えない。それほどに、彼の魂は強くこの地に残っているのだ。残って、伝えねばならないと思ったのか。


「それでも……僕らは望んでいるんだよ」


 歯を食いしばるように、絞り出すようにアッシュは「キミが生きることを」と告げた。


「俺は、お前ら一家にこそ、生きて欲しかった」

「それは僕も同じだよ。カズア、キミには生きて欲しい。この新しい世界を」


 そう言って、アッシュは俺を見た。その目は真っ直ぐに俺と、いつの間にか横に立って俺の手を握るシャティアに向けられる。

 それから、背後のエリンに。

 魔族な彼女を見て目を細めるも、その目に敵意はない。ただ純粋に、彼女を見つめている。


「もう、この世界に魔王はいない。魔族は確実に弱り始めている。新しい世が始まっているんだ」

「アッシュ……」

「僕らの代わりに、それを見届けてくれ。それでもなお後悔があるのなら、その思いの矛先は今生きる人に向けてくれ。今生きる人を……今のキミが大切に思う人を、守ってあげてくれ」


 好いている人がいるんだろう?

 アッシュの言葉に、驚いた顔をするカズア。それは図星を意味する。


「なんで……」

「分かるよ。子供の頃から一緒だったキミのことなら、なんでも」


 言って、笑う。

 それからアッシュは自分の手を握る、子供なカズアを見た。


「未練だね」

「?」

「キミが来るのを待って、魂となって待って……家族は全員成仏して、一人で待つのが寂しくて……気付けば、キミの幻影を作り出していた」

「なんで嫁さんじゃねえんだよ」

「本当にね。なんでだろう」


 笑うアッシュは、けれど残念がっている様子はない。


「キミが何度かこの村に来ていたのは知っている。でも勇気が出なかった。僕らの死を受け入れることができないでいるキミに、何か言おうにも届かない気がして。でもやっと言えると、今日は思ったんだ。そしたらあの魔族が現れて、勇者が倒してくれた。……もうこれは運命だね」


 勇者。

 死者だからか理由は分からないが、アッシュは俺の正体を知っている。一瞬驚いた顔で俺を見るカズアに、俺は軽く肩をすくめるのみ。


「ありがとう、勇者様。僕らのカタキを討ってくれて」


 礼の言葉に、無言で頷く俺。微笑みを浮かべてから、アッシュはカズアを見た。


「ありがとう、カズア。ずっと僕らを守ってくれて」

「だから俺は……!」


 不意に、フッと子供なカズアが消える。一人佇むアッシュを、カズアは見つめる。


「守ってくれたよ。ずっと守ってくれた。おかげで僕らは幸せだった」

「……そうか」

「うん。カズア、どうかキミも幸せになってくれ」

「なっていい、のか?」

「当たり前だろう?」


 笑うアッシュ、泣き笑いを浮かべるカズア。徐々にアッシュの体が薄くなってくる。もう成仏の時は近いのだろう。心残りはないということか。


「……ありがとう、アッシュ」


 謝罪の言葉ではない。泣きながら礼を告げるカズアに、アッシュが満面の笑みを浮かべた。


「空の上から、家族でキミを見守っているよ」


 言葉と同時。

 その姿は風にかき消されるかのように、消えた。

 まるで最初から何も無かったかのように。


「アッシュ……!」


 カズアの叫びが木霊する。

 俺の手を握るシャティアの小さな手に、ギュッと力が込められるのを感じた。


* * *

 

 ありがとう。

 モミアゲから顎まで繋がったヒゲを生やした、白髪混じりのオッサンが静かにそう言った。


「ごめんな、村を救えなくて」


 俺の謝罪に、カズアは黙って首を横に振る。「しょうがねえよ」と言ったのは、本音だろう。


「あいつが笑ってくれた。それで十分だ」


 そう言って、薄い頭髪が覆う頭をカズアは撫でた。


「スッカスカだな」


 言ったら「うっせえ! しんみり気分が台無しだ!」と怒って殴られた。俺を殴って、カズアは豪快に笑うのだった。

 それからカズアが住む町まで案内してもらった。徒歩二時間の距離は、馬に乗ればあっという間。


「なにが悲しくてオッサンと二人で馬に……」


 とぼやくのは、白馬なエリンにはシャティアだけが乗り、オッサンは俺と一緒の馬だから。

 エリンに俺も乗せてくれと頼んだのだが、カズアの「俺、馬になんて乗れねえぞ」の一言で終わった。背中に当たるゴツゴツした胸筋と、後頭部に当たるジョリジョリなヒゲの感触は、できることなら一瞬で忘れたい。できることなら寝るまでに! 確実に悪夢見るから!


「じゃあな、勇者さんよ。色々ありがとな」


 最後にもう一度礼を言って、カズアは去って行った。別れはアッサリしたもの。だがカズアの顔は、どこかスッキリとしていて、清々しいものだった。

 旅は一期一会。また会うかもしれないし、二度と会わないかもしれない。その背を見やってから、俺らは教えてもらった宿屋へ直行した。

 飯を食べて部屋でくつろぎ、さてと荷物の整理に入る。明日は物資の補給だなと要る物リストを作っていたら、不意に扉が開いた。見れば枕を持ったシャティアが立っている。


「どうした、寝ないのか?」


 時刻は夜。大人は酒を飲み、子供はとうに眠る時間だ。

 首をかしげる俺に、シャティアがおずおずと「一緒に寝てもいい?」と聞いて来た。ちなみにエリンは馬の姿をしているので、宿屋併設の厩である。


「なんだよ、恐いのか?」


 からかうように言えば、「別に」と返って来る。だってのに、そのままシャティアは部屋に入って来て、俺のベッドにいそいそと潜り込むではないか。


「九歳にになって、お化けが恐いのかよ」

「恐くないもん! ただ部屋のベッドが、ちょっと寝心地悪いから……」


 苦しい言い訳してくる様に笑って、シーツをかけてやる。


「本当に恐くなんかないからね!?」

「分かった分かった。早く寝ろ」


 言って、ポンと頭に手を当てれば、ホッとした顔で目を閉じるシャティア。が、すぐにその目は開く。


「ねえパパ」

「んー?」


 二人きりの時くらいは許してやろうと、パパ呼びを敢えて注意せずに返事をすれば、ギュッと手を握られた。


「あの子たちとね、少しだけ遊んだの」

「そうか」

「楽しかった」

「そうか」

「お友達っていいね」

「……そうだな」

「でも……お別れは、寂しいね」

「そうだな」


 今、シャティアは旅をしている。旅先でいくら友達を作ろうとも、その先にあるのは別れだ。

 同年代と遊ぶということに不慣れなこともあり、苦手意識があるのか、行く先々で子供に会ってもロクに話そうともしないシャティア。その彼女が幽霊とはいえ、子供と遊んだのは、かなりの成長と言えよう。

 だがやっぱりその先にあった別れに、少し寂し気な顔をする。


「友達を作るのは恐いか?」

「うん……」

「友達、いらないか?」


 その問いにはすぐに答えない。

 しばし考え込むように目を閉じてから、目を開いて俺を見上げるシャティアは、「ううん」と首を振った。


「私、お友達が欲しい」

「そうか」

「たとえ別れが待っているとしても……思いは残る」

「そうだな」


 カズアとアッシュの絆に、随分影響受けたなと苦笑する。それでもいい兆候だと思う。心の成長ってやつだな。


「できるといいな、友達」

「うん!」


 元気よく返事して笑うシャティアの頭を、もう一度撫でて。「もう寝ろ」と告げれば、今度は素直に目を閉じた。

 繋がれた手は離されることはなく、買い物リストはまた後で作成だなと、苦笑して窓の外を見上げた。

 空にはポッカリと満月が浮かんでおり、どこかで狼の遠吠えが聞こえた気がした。

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