3、
落ちた短剣を拾い上げ、危なくないように布でくるもうとして、カズアが制止する。手には短剣の鞘。クルンと持ち返して持ち手の部分をカズアに差し出せば、そっと受け取って鞘へと収める。なんとも無気力な、ノロノロとした動きに苦笑する。
「気が抜けたか?」
「そうだな。あんなに苦労して逃げて……倒すどころか一矢報いることすら出来なかった相手だからなあ」
言ってカズアは俺を見る。「あんたが……」その後に続く言葉はない。だが俺にはハッキリと聞こえた。
──お前がもっと早く……十年前に村を訪れていたなら──
それは幾度となく聞いた怨嗟の声。そう、呪いの言葉だ。
魔王を倒した俺にかけられる祝福とねぎらいの声。と同時にかけられたのは、悲しみにくれる悲痛な叫びだった。
『なぜもっと早く魔王を倒してくれなかった!』
『お前が早く倒していれば、私の夫は死ななかったのに!』
『息子を返せ!』
『お前が遅かったからだ!』
『十二年もかけやがって!!!!』
実に身勝手な言葉だ。
魔王が君臨して数百年、誰一人として倒すことが出来なかった存在。それをわずか十二年で倒したのだ。非難される覚えはない。
だが俺は俺に投げつけられる心無い言葉を、甘んじて受け止めてきた。俺に怒りをぶつける連中は、けして俺を傷つけようと思っているのではない。ただ理不尽な怒りをぶつける相手が欲しかっただけ。悲しみで押しつぶされそうな気持ちを、俺にぶつけることでなんとか踏みとどまっていたのだ。
そうでなければ、悲しみに押しつぶされて、命を断っていたから。
実際、魔族に身内を殺されて、自らの命を断つ者は大勢いた。旅の道中でそういった話を見聞きしては、更に魔王への怒りを燃やし、打倒魔王という目標を失うことなく旅を続けることができた。
悲しみに、怒りに苦しむ人がいるからこそ、やる気になるなんて皮肉な話である。
そんな怒りや悲しみの恨みつらみな声は、最初こそ多かったが、この十年で激減した。俺が定住の地と選んだあの村では、一度もそういった経験はない。まあ村人は俺が勇者だと知らなかっただけだが、知っていても怒りをぶつけるような奴はいなかっただろう。
カズアは俺が勇者だとは知らない。それでも、強い者が村を救ってくれていたらと思う気持ちはあるだろう。あって当然だ。
「なんだよ?」
怒りをぶつけたければぶつければいい。俺はそれを受け止める。そう思って続きを促すも、「なんでもねえよ」と言ってカズアはそっぽを向いた。
村が滅んで十年。それだけあれば、怒りや憎しみが浄化されるには十分だろう。直後ならばともかく、今更俺に怒りをぶつけたところで……といったところか。
そう、村が滅んで『十年』、なのだ。
「なあカズア」
「あん?」
名前を呼んだだけで睨まないでくれ、恐い。元々目つきが悪いって? そうか、お前に可愛い子供時代があったのか、はなはだ疑問だ。産まれた時からそんなオッサンだったんじゃないのかと思ってしまう。……まあ十年前はまだギリイケメン、今や野暮ったいオッサンの俺が言えた義理ではないが。
「この村、滅んで十年……魔王討伐直後なんだよな?」
「そうだよ」
「五年前、じゃなく?」
「だから十年前だって言ってんだろ。五年前なんて、とうにこの村は無くなっている」
「そうか……」
俺の質問に、怪訝な顔を向けるカズア。そこに嘘は感じられない。数多の修羅場をくぐった俺だ、相手の嘘くらい見抜ける。つまりカズアは本当のことを言っている。
ではあの子供達が言っていたことは?
『魔族はここを……俺達の村を滅ぼしたんだぞ!』
『それはいつのことだ?』
『五年前だよ!』
先ほどの会話が思い出される。
あの子供達は、明らかにシャティアと同じか年下だった。つまり十年前は、まだ産まれていない。勘違いしているとも考えられるが……。自分が産まれる前か後かなんて、間違えるものか?
「どういうことだよ……」
「なにがだ?」
俺の呟きが聞こえて、首をかしげるカズア。対して俺は難しい顔を奴に向ける。
「なにか気になることでもあんのか?」カズアに問われて、顔を上げる。
「あんた、さっきここに来てた子供の名前、なんて言ってた? たしかザッシュと……」
「ザッシュとモンドリー。今年十二歳になるガキどもだ。最近自分らが産まれた、二歳まで住んでいた故郷の村に興味もっちまいやがってよ。物心つく前の、記憶もない村だってのにな。大きくなって親に連れられて来てから、頻繁に来るようになったんだ。危ないからやめとけって怒られても懲りやしねえ」
ま、そのくらいの年齢ともなれば無茶しやがるもんだし、俺もそのくらいの歳は無茶してたけどよ。
そう言ってカズアは笑う。
「とはいえ、まさか魔族が来るとは思わなかった。まああんたが倒してくれたが……やっぱガキどもだけで来るのは危険だと、きつく言ってやらねえとな」
ガキらはどこだ?
言ってカズアはシャティアのほうを見る。シャティアは今もって、狼と戯れていた。その背後では、苦笑して見守っているエリン。他に姿はない。
だが俺は戸惑っている。
「十二歳……?」
そんなはずはない。俺が見た二人は、確かにシャティアくらいの幼さで……十にも届かない年齢のはず。
「どういうことだ?」
首を傾げて、俺は魔族の遺体のほうを向いた。
子供二人が立っているのに気付いたのは、その時のこと。
「なあカズア」
「ん?」
「あの二人が、ザッシュとモンドリーか?」
言って、魔族の遺体の向こう側に立つ二人を指さした。いつの間に移動したのだろう、彼らはシャティアとは正反対の場所に立っている。
「は?」
俺の言葉に応えるように、指さす方向を見るカズア。と、子供二人を目にした瞬間、その体が震えた。
「そんな……まさか……」
体同様に声も震えている。
「カズア?」
「まさか。有りえない。なんで、なんで……!」
「なんだどうした、あの二人がザッシュとモンドリーじゃないのか?」
それは問いではない。やはりと脳裏の片隅で思って、口にするのは確認のための言葉。
カズアが頷き、確認が確信に変わる。
「そうか。やっぱりな……」
俺に剣を向けてきた子供達は、カズアが言うところの『この村出身夫婦の子供』ではない。
では彼らは誰なのか?
なぜここにいる?
なぜ十年前に滅んだ村なのに、五年前だなんて言っている?
俺には答えが分からない。だがカズアの様子を見て、彼なら知っていると確信した。明らかにカズアは、彼らが何者なのか知っている風だから。
「あの子供達、誰か知っているのか?」
驚愕に目を見張り、体を震わせ汗を流すカズアを見る子供達は無表情。ただ黙ってカズアを見ている。
「あれは、あれは……」
ゴクリと喉を上下させて、落ち着かせるように一度深呼吸。それから汗を拭って、カズアは言った。
「あれは……俺、だ」
「は?」
「あの右の、ちっこいほう。あれが俺なんだよ」
「いや何言ってんのお前」
思わずお前呼ばわりすれば、ポカリと頭を殴られた。いやゴメンて。
「あれはガキの頃の俺なんだよ! 40年前……かつて住んでいた村が滅んで……それくらいの時期の俺だ!!」
叫んでカズアは「信じられねえ」と呟いた。信じられないのは俺のほうだ。
「あれが? あの子供が? ガキの頃のあんただって?」
「あ、ああそうだ」
「それは嘘だろ」
思わずカズアの薄くなった頭頂部を見たら、また殴られた。「お前今俺の髪の量を見ただろ!?」と。バレたか。
「あのなあ、さすがにあの年齢でハゲているわけないだろ! 俺だってふっさふっさの頃があったっつーの!」
「ふっさふっさか」
「そうだ、ふっさふっさだ!」
「そうかふっさふっさか!」
「そうだ!!」
「時の流れは悲しいな!」
「うるせえ!」
調子に乗ったらまた殴られました。痛い。
冗談はさておき。
「で。あそこに子供の頃のあんたが居ると。つまり今俺の目の前にいるあんたは、幽霊ってことか」
「なんでだよ。普通に考えてあっちが幽霊だろ」
「幽霊ってことは、あんた死んでるってことになるぞ」
「え、あ、ホントだ! え、俺死んでる!?」
別にからかっているわけではない、この会話はマジと書いて真剣と読むものである。
だがまあ、非現実的なことが起これば人は軽くパニックになって、正常な思考が働かないもんなんだよなあ。
冗談はさておき(二回目)、現実に引き戻してやらないとな。
「冗談だよ。あんたは生きている、俺が保証する」
「そ、そうか、そうだよな、俺生きてるよな」
俺の言葉に脱力するカズア。いかつい顔して単純と言うかなんというか。
「でも生きているあんたが居るのに、なんであっちに子供の幽霊が? 幽体離脱?」
「幽体離脱って俺が起きているのに、なるものなのか?」
「いや俺、僧侶じゃないんで」
僧侶エタルシアならなんか分かるかもしれないが、俺にそんな知識はない。
分からんと答えれば、明らかに呆れた顔をされた。なんだよ。
とか言っていたら、ふと気付く。
子供は二人、一人はガキのカズア。
ならばもう一人は?
「なあ」
「なんだよ!」
「怒んなよ。マジな話に戻すが、あのもう一人の子供は誰だ?」
俺の言葉にハッとなるカズア。子供な自分に気を取られて、完全に視界に入っていなかったらしい。
マジマジともう一人を見るカズア。と、不意にその子供がニコリと微笑んだ。
瞬間、横でカズアが息を呑む。
「アッシュ……」
「ん? 誰?」
「この村を滅ぼされた時に、唯一死亡したのが、幼馴染一家だって言っただろ」
「ああそうだったな」
一瞬、その時に亡くなった幼馴染夫婦の子供二人かと思ったが、一人がカズアなら違うのだろう。
話の先を促せば、「あれは」とカズアが唇を震わせる。
「あれは俺の幼馴染……アッシュ、だ」
「え。亡くなった幼馴染?」
「そうだ」
パッと振り向けば、栗色の髪を揺らして、少年がこちらへと近付いてきた。その後ろをついて来るのは、ガキのカズアだ。
動けないでいる俺達の前まで来たアッシュと呼ばれた少年は、俺達の顔を見上げてまた微笑んだ。
「久しぶりだね、カズア」
「俺が分かるのか?」
「分かるよ。だってずっと一緒にいただろう?」
言って笑う少年は、もう少年ではない。気付けば体は大きくなり、すっかり大人な姿に変わった。
子供の頃の面影をどこか残した、栗色の髪を持った男性。それは少しカズアより若くて……おそらくは、10年前に亡くなった時の姿。
「なんで……」カズアの問いに、「なんでだろうね」とアッシュが答える。
「気付いたら、ここに居たんだ。記憶はついさっきまで完全に忘れていたよ。俺は子供の俺で……常に一緒にいるお前が、やっぱり一緒に居て当然だと思っていた」
そう言って、アッシュは手を握った。未だ子供の姿のままの、カズアと。
子供なカズアは、無言のまま大人の姿になったアッシュを見上げている。
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