魔王様の影武者生活

水鳴諒

第1話 魂色の合致による身代わり

 大学からの帰り道、今日は一雨きそうな空模様だ。

 蒸し暑い夏の風に黒い髪を乱された朝倉露唯あさくらろいは、同色の瞳を上に向け、傘を持っていないから、早く帰宅してしまおうと足を速める。


 丁度大学は、今日から夏休みだ。

 特に遊びに行くような予定はなく、根っからのインドア派なので、休みの間はゆっくりと過ごそうと決めている。現在大学三年生だが、去年も一昨年もそれは代わらなかった。両親が高三の年に登山中の事故で亡くなってしまってからは、それぞれの祖父母ともほとんど連絡はとらないため、天涯孤独に等しい。


 大学に友達がいないわけではないが、一番親しい友人は帰省して過ごすため、正直遊びに行く相手もいない。だがそれが苦にはならない程度に、露唯は家の中が好きだった。読書をしたり、ゲームをしたり、料理を始めとした家事をしたり、そんな日々は穏やかだ。


「おい」


 声をかけられたのはその時のことだった。

 驚いて前を見ると、そこには不思議とコスプレには見えないが、ファンタジックとしかいいようのない、上質そうな片マント姿の人物が立っていた。彼の後ろで稲光が、紫色の空を切り裂いている。轟音が響いた時、ぎょっとして露唯は目を剥いた。なにも服装に驚いたわけでも、突然かけられた声に驚いたわけでもない。


「え……」


 目の前にあった顔に驚いた。同じ背丈らしき相手のその顔に、強烈な既視感がある。それが、己と全く同じ顔だと気がつくまでに、五秒はかかった。


「やっと見つけた。魂色が合致する者を……!」


 青年はそう言うと、杖のようなものを掲げた。長いそれは、先端が金色の幾何学模様のような形をしていて、中央に透明な球体がある。持ち手の部分は焦げ茶色だが、杖全体は翡翠色に輝いている。


「我の身代わりになってくれ!」

「へ?」

「今日から、貴様こそが我、即ち魔王だ! 頑張ってくれ」

「は?」


 何を言われているのか分からなかった時、足下が光り始めた。見るとそこには金色の、魔法陣としか言いがたい丸い模様が出現しており、眩しい光を放ち始める。


「っく」


 あまりにもの眩しさに、咄嗟に双眸を閉じ、片腕で両目を庇う。次の瞬間、下降するエレベーターの中にいるような感覚になった。その吸い込まれるような感覚が終えて少しすると、目を伏せても感じていた光が消えた気配がしたので、恐る恐る露唯は目を開く。


 すると、自分が座っていることに気がついた。

 視線を動かすと赤い布張りの椅子で、肘掛けは金に近い茶色に見える。目の前には、右往左往している、様々な姿のものが見えた。皮膚が緑色であったり、一つ目であったり、頭に角があったり。勿論、人間らしい外見の者もいれば、人間とほぼ変わらず耳だけが尖っているような者もいる。


「……?」


 なんだここは、と、露唯は目を疑った。室内を見渡せば、天井には豪奢なシャンデリアが見える。


「魔王様! 一体どこへ行っておられたのですかな!?」


 すると右手の扉が激しい音を立てて開いた。顔を向けると、これもまたファンタジックな、魔法使いのローブのようなものを羽織った青年が勢いよく駆け寄ってきた。その後ろからも一人の青年が、こちらはゆったりと歩いてくる。


「五日後には魔王四天王が一人、冬将軍家の代替わりしたご当主が来られるというのに、打ち合わせをするはずが、逃げ回っておられたせいで、我輩は非常に憂慮いたしておりますが?」


 まくし立てたローブの主を見て、露唯は曖昧に笑う。完全に引きつった笑みだ。


「あの……ここは、一体……?」

「冗談を言っている場合ではないのです、魔王様! ロイ様、あなたは魔王の座を襲名してまだ二ヶ月。ここで威厳を見せなければ、まだまだ魔王の座を狙う者は多いのですよ! おわかりですか!? おわかりですな!? 宰相として、我輩もこうして尽力しておりますが、あなた本人にやる気が無いのでは、話にならない!」


 それを耳にして、露唯は戸惑った。


「あ、あの? 魔王ってどういう事ですか?」

「は?」


 すると宰相を名乗った青年が、虚を突かれた顔をした。隣に並んだもう一人の青年は、首を僅かに傾げて、興味深そうに露唯を見ている。


「俺は、いきなり目の前に俺と同じ顔の人が現れて、気づいたらここにいたんですけど……」

「なっ」


 それを聞くと、宰相が目を見開いた。


「まさか、魂色が合致する者を見つけたというのか……そんな、魔王様の唯一の取り柄は魔力量ではあったし、探し出すことも不可能では無かっただろうが……そんな……前々から言ってはいたが冗談だとばかり……魂色が合致する者を見つけたら身代わりにするなどと言う戯言を……」


 ぶつぶつと引きつった顔で宰相が呟く。それから唇を引き結び、じっと露唯を見た。


「事実だとして、名前は?」

「朝倉露唯です」

「では、魔王様がお帰りになるまで、あなたがロイ様だ。ロイ様になっていただく。あの馬鹿……本当になんてことを……ところでロイ様は、母国は? どこで暮らしていた? 万が一に備えてご家族には護衛を――」

「日本です」

「ニホン? そんな国は聞いたこともないが……」


 宰相が戸惑った顔をすると、もう一人の青年が、腕を組んだままで口を開く。


「俺はある。異世界だな。そこから初代勇者が来たという伝承がある。チキュウという場所のニホンと聞いている」

「異世界だと!? あの馬鹿魔王は、そこまで探索をするほど、逃げたかったというのか!? 我輩だって逃げたいのに!!」

「ルゼフ宰相閣下、本音が漏れてるぞ」

「しかし……」


 ルゼフという名らしき宰相が、肩を落とした。それからどんよりとした雰囲気を醸し出した後、顔を上げる。


「とすれば、勇者殿と同じくらいの武力や魔力はあるという事ですかな?」


 そして露唯に向き直った。


「そんなゲーム的な能力は、俺にはないですけど……?」

「つまり……無能?」


 ルゼフ宰相閣下の言葉に、確かにそう言われても返す言葉が見つからないと、露唯も思った。逆に言えば、そのような能力は現代日本には存在しなかった。


「まぁ無力の可能性は高い。初代勇者も血を滲むような修行をしたという伝承があるしな。訓練で才能が開花する事はあるかもしれないが、取り急ぎは、家族じゃなく、こちらに護衛をつけた方がいいんじゃないか?」


 青年の声に、ルゼフ宰相閣下が顔を向ける。


「しかし、本当に魔王様がこちらの者を身代わりにしたとすれば、それが露見すれば大騒ぎになる。簡単に言うが、口の固い信用できる者は今、冬将軍家との話し合いに関する重要な任務に就いている者ばかりで、その選定となると……」


 悩ましげにルゼフ宰相閣下がため息交じりにそう述べる。


「俺がやりますよ」

「えっ、しかしジーク殿。そういうわけには――」

「俺では信用できませんか? 俺はもう知っちゃってるし」


 にこりとジークと呼ばれた青年が笑った。それを見て、ルゼフ宰相閣下が唇を引き結び、露唯とジークを交互に見る。それから肩を落とした。


「分かりました。お願い致します」

「確かに引き受けた。さて、宜しくな――魔王……の影武者様。今日からお前がロイ様だ」


 訳が分からない内に話が進んでいく。これが、露唯の、ロイとしての生活の始まりとなった。



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