第6話 出会い頭の衝突にあまり期待するものではない。普通に嫌われる。反作用とは物理だけでなく心理状態にも働くからだ。
「狩野君、次は何が食べたいですか?」
「……卵焼き」
「えッ⁉卵焼きですか?」
さっきまでクールに「あ~~ん」と食べさせてきた稲葉が目に見えてためらっていた。
「わたし、まだ狩野君の味の好みを知らないのでこれはお口に合わないと思います」
そう言って卵焼きを箸でどかそうとしたので。
「どれも美味かったから大丈夫だって」
「あっ!」
若干行儀が悪いが稲葉の隙をついて卵焼きを指でつまんで口に放り込んだ。
「ッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!」
めっちゃ鼻にキタ!
「わたし少々ワサビが好きで、卵焼きもわさび醤油で焼いてるんです」
これ、少々ってレベルの刺激じゃないぞ!口から鼻、そして目に至るまで貫くワサビ!
「ッッッッ、ミ、ミズ」
「……はい、どうぞ」
目頭を押さえて絶えていると水の入ったペットボトルが差しだされたので受け取って一気に煽る。
「……落ち着きましたか?」
「まだ沁みる」
「……そうですか、では」
ばしゃーーーーーーー!
いきなり顔に水がぶっかけられた。
「……どうですか?」
「おかげさまでスッキリしました」
髪をかき上げると傍に知らない男が立っていた。
端正な顔立ちで短く切りそろえられた艶やかな黒髪、切れ長な目には黒い瞳が浮かんでいる。
この学校の生徒ではないことが分かるのは黒いスーツを着ているから。
そして俺の顔面に水をぶっかけるのに使ったであろうバケツを持っていた。
せめてもの情けは掃除用具に入っていたブリキの汚いやつではなく、黄色い綺麗なポリバケツである事だろう。
「……良かったですね、わさびは最悪失明しますよ」
するわけないだろ。
すました顔がムカつくので嫌がらせにそいつの服で顔を拭いてやる。
「借りるぞ」
むにゅん♡
「あらあら」
服の裾を掴んで軽く引っ張っただけなのだが、そいつが意外と軽かった。そして俺は顔を拭こうと顔を突き出していた。
結果、俺はそいつの胸をタオル代わりにした。
この頬に感じる柔らかさは如何なる柔軟剤を使っても出せない心地よさであった。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
「流石は狩野君ですね。出会ってすぐの女の子の胸に顔を埋めるなんて」
それの何処が流石なんだ。
というかコイツ女だったのか。
そう認識すると途端にこいつの匂いを意識してしまう。
少し酸味があって、焙煎したてのコーヒーのような。
「……どさくさに匂い迄嗅がないでください」
「はっ、すまん!」
言われてすぐに顔を離した、が何をやっているんだ俺は、言われる前に離れないか!
「あっ!」
「…………ッ!」
離れて気が付いたが俺は顔を拭こうとしていて、タオル代わりにしたのが目の前のコイツの胸。
つまり胸の部分が濡れて透けてしまい。
「サラシ……だと!」
すぐに隠されたが確かに見た。
サラシを巻いて押しつぶされた胸を。
押さえつけてなおあの柔らかさ。ナマならどれほど―――
「…………じ~~~~」
「はっ!」
何考えているんだ。
頭を振って邪念を振り払い、気まずさをごまかすために質問をした。
「それでアナタは?」
俺の質問に答えたのは稲葉だった。
「彼女はわたしのお付きをしてくれているメイドの
「……井口 杏です。
俺は首を傾げながら。
「この格好でメイド?」
杏の恰好はカッチリとした黒いスーツ姿だ。これでは執事ではないのか?
むしろ中身が女の子だとするとギャルソンの方がしっくりくる。体臭もコーヒーだったし。
「…………」
「ニコニコ」
なんだか2人の視線が俺の内心を覗いているようで恥ずかしくなる。
「杏は正真正銘のメイドよ。ウチとの雇用契約もメイドとして結んでますから」
「……はい、職業欄にも「その他・メイド」と記入しますから、ギャルソンなどではございません」
バレていらっしゃる!
風向きが悪そうなので話題を逸らそう。
「それでメイドさんは何でここに?」
「……杏とお呼びください。屋敷にはメイドが多いですから」
屋敷。メイドがたくさん。
やっぱお嬢さまなんだ!
「……この度はお嬢様より新しい昼食の用意を申し使ったのですが」
杏さんは無表情ながら視線に感情がこもっていた。不機嫌ですね。
「……ゴミムシがお嬢様とイチャつきながらお嬢様の手作りお弁当を食い漁ってやがりましたので」
「なるほど、男嫌いであのような仕打ちを」
「……いいえ、貴方への評価は先ほど抱き着かれたことで下したものです」
「スミマセンでした!」
しっかり頭を下げて謝れば視線の鋭さはマシになった。
「……それではお嬢様、こちらにお昼のご用意を」
杏は隣の机(持ち主は今はいない)に置いていた銀色の箱を手に取る。
「それってテレビなんかでたまに見る昭和のウーヴァのバックだよな」
「……これは「おかもち」と言います」
「ウーヴァのバックっておかもちって言うんだ」
「……はい、そういう認識でいいでしょう」
そう言っておかもちの側面を上に上げて中身を取り出した。
「……お嬢様、何分急だったのであり合わせのもので作った牛丼になります」
「構いませんよ」
これまた稲葉の前に提供されたのは町の食堂や刑事ドラマで見る典型的な丼ぶりだった。汁物が入っているだろう小さめのお椀も一緒に並べられる。
ただ、並ではなく大のサイズだったが。
「いただきま~す」
手を合わせてから丼ぶりの蓋を開けると湯気が上がり、中には熱々のごはんと分厚い肉がたれに絡んだ状態で詰まっていた。
「ねぇ、これってステーキ丼だよね?牛丼じゃないよね」
「……なにを言いますか。ご飯に牛肉が乗っている丼ぶりですから牛丼です」
「いやいや牛丼というのは細切れの牛肉と玉ねぎを甘辛い出汁で炊いたものをご飯にぶっかけたモノを言うんだ」
「……急だといたでしょ。出汁を引いてるうちに日付が変わります」
「そこから?」
「……幸いシャトーブリアンの残りがありましたので、これなら焼いてソース絡めてご飯にINで済みます」
「ソースの仕込みはしないんだ」
「……ステーキソースはシェフが秘伝の物を継ぎ足ししていますので」
つまり日頃からシャトーブリアンとか食べているんだ。これだから金持ちは。痛風に成れ。
「お前らは庶民の味、吉野家とか知らないだろう?」
「……まさか、週3で通っていますよ。ぶい」
「わたしも常連です。ぶい」
意外と通っているらしい。そこらへんは普通と言えるか。
「……ですが買い食いして夕飯を残さないでいただきたいのですが」
「え~~、だってステーキとかより美味しいもん」
頬を膨らませて駄々をこねる稲葉さんは可愛いけど、意外と貧乏舌なんだな。
それはそれとして夕食を残すのは頂けない。俺が代わりに頂きたい。
「でも吉野家て言われると食べたくなっちゃうな。杏、今度はしごしよ」
「……その時は小盛でお願いします」
「じゃあけって~~い」
お嬢様かと思うと普通の所もあって、そのギャップに好感度が上がるな。
「……とりあえず今はこの牛丼をお召し上がりください」
そう言って杏がおかもちから取り出したモノを受け取った稲葉はソレを丼にぶっかけた。
大量のワサビだった。
跳ねた一部が俺の目に飛んで来て。
「目があああああああああ!目がああああああああああ!」
後で調べたところによると本当にワサビが目に入ると失明の恐れがあるらしい。
稲葉のこういうところ本当にSAN値が下がりそう。
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