第4話 愛ゆえに人は満たされ、愛ゆえに苦しめられる。苦しみを受け入れてこそ真の愛は得られる。

 混乱は行き過ぎると思考停止に陥るようだ。

 そう言えばネコは車の前に飛び出すと硬直してしまうと聞いたことがある。

 蛇に睨まれたカエルとも言う。

 俺の場合は美少女に惚れられたオタク、と言ったところだろうか。

 ただしプレッシャーはトラックでもツッコんできたかの様な、バトルマンガで相手が巨大に見えてるような演出状態だった。

「…………待ってください」

「はい」

 稲葉は俺の言うことに素直に頷いた。それは忠犬のようだと思えなくもないが、彼女の口から「ペットにしてください♡」的なことを言われてると笑えない。

 これが狂った世界ならばともかく俺たちはいたってまともである。まともであると信じたい。

「…………」

 俺が黙っていると稲葉は黙って俺を保健室に導いてくれる。

「…………ごめん」

「なぜ謝るのですか?」

「いや、稲葉の気持ちは分かったけどどう答えたらいいか、混乱しちまって……こんな時どんな顔すればいいか分からなくってさ」

「笑えばいいと思います」

「…………」

 こんな時だけどこれエヴァネタだ、って思っちゃって俺の表情はスンッってなっちゃった。

 これだからオタクって奴は!

「くすくす、これじゃあ男性役とヒロイン役が逆ですね」

 稲葉は俺が冗談を言った時の様に屈託のない無邪気な笑い声をあげた。

 そうだよ。こいつはこんな風に笑うんだった。

 そういう事を忘れてしまっていた。まあそれもこれもその後の衝撃の展開のせいで記憶が吹っ飛んだとしても仕方ないと思う。

 けど稲葉は手の届かない高嶺の花じゃなくって俺と同じ普通の高校生なんだ。

「稲葉さんてアニメ分かるんだ」

「アニメだけじゃなくってゲームやマンガ、バラエティー番組なんかも好きですよ」

 表情はクールだけど声は弾んでいた。

 こんな所を見ると変に意識して混乱してるのがバカらしくなった。

 いいじゃん。受け入れちまえば。別に命を取られたり発狂するような恐怖が待っているわけじゃないんだから。

 そう割切ると気持ちが軽くなり口数も自然と増える。

「しかし意外だな、どんなバラエティー番組が好きなんだ?」

 ちょっと稲葉に興味が湧いて来たので会話を試みた。ここでアニメやゲームの話にしたら話が長くなるから。

「ジャングルTVです」

「…………ごめん、……それ知らない」

 終わってしまった。ただのオタクが陽キャの見るバラエティー番組が分かるはずもないのだ。

 はっ!これだから俺は友達が少ないんだ。

「ははは、しょうがないよ。これ関西圏だけのローカル番組だから」

 しかし稲葉は笑いながら話を繋いでくれる。これが陽キャのコミュ力か!

「しかしそれだと知らない芸人しか出てなくって話が出来そうにないな」

「そんなことないよ。レギュラーは知らない方が珍しい位だよ」

「おっ、誰だよ」

 あれか、地元愛が強い芸人だろうか?

「タモリさん」

「…………はっ?」

 すっげ~知ってる芸人だった。

「あと関根勤さんとナイナイの岡村さんと矢部さんの4人」

「いやいやいや!そんな豪華メンバーとかローカルじゃないだろ!」

「ちっちっち、これが本当なんだなぁ。ただすでに放送は終了してるんだけど」

「そうか」

「1994年から2002年がリアタイだったの」

「生まれる前!ってか長いな」

「8年半でTBSのバラエティー番組では20年経っても最長記録だって」

「まあ『いいとも!』のタモリさんだからな」

「でもこの番組のタモリさんはかなりはっちゃけてたよ」

「想像つかないな」

「罰ゲームで男性の股間にデコピンしたり収録中にお酒飲んだり、盛り上がり過ぎて収録時間をに過ぎて深夜まで続いたり」

「すごいな」

「長寿番組でゲストの数も幅もすごいから伝説も多いの」

「面白そうだな」

「ネットでは見れないから―――」


「こ~~ら、そこのバカップル。今は授業中だぞ」

「「あっ」」

 ついつい話し込んで保健室の前まで来たのに気が付かなかった。

 てか稲葉さんって学園のアイドルとして澄ましてるかと思ったら、好きなことに饒舌なオタクタイプだったんだ。

「大方授業中に気分が悪くなったんだろうが、ここに来るまでイチャついて元気が出たのかね」

 保健室から出て来た犬山先生にあきれられてしまった。

「それで、授業を抜け出してイチャつく2重のおバカさんは保健室に何の御用?」

「少し休ませてほしいのですが」

「保健室は元気になった子が休憩する場所じゃないわよ」

 稲葉が俺を休ませようと頼んだら犬山先生は下ネタで返してきた。まぁそこも男子に人気がある所以ゆえんなのだが。

 稲葉はというと若干眉をひそめたくらいで、慌てることはなかった。

 しかし若干頬が赤くなっている。

「分かりました。狩野君は本当に体調が悪いので寝かせてください」

「いいのかい?先生が貰っちゃうかも……」

 と先生が冗談を言うと、表情は変わらないのに稲葉から冷たい空気が流れて来た。

「…………そういうことなら2人で早退します。狩野君はわたしが自宅に送って誠心誠意お世話いたします。ですから役に立たない犬山先生も辞表を出してどうぞお家へお帰り下さい」

 怖い!怖い!怖い!怖い!

 稲葉に支えられて密着してるからプレッシャーが肌に刺さります!

 犬山先生も流石に焦ってた。

「ごめんごめん。冗談だって、まだ仕事辞めたくないから」

「では真面目にお仕事頑張ってください。わたしは教室に戻りますので狩野君のことお願いします」

 そう言って稲葉は俺から離れた。

「くれぐれも、狩野君につば……もとい、傷1つつけないでくださいね」

 笑顔でそう言い残して廊下を歩いて行った。

 その背中を見送ってから犬山先生に促されて保健室に入った。

 まずは黒くて丸い椅子に座るように促されて、軽い診察を受けた。

「ふむ、確かに顔色が悪いが、たぶんストレスによる精神的疲労だろう。少し休めば大丈夫だ」

 と問題ないことを告げるとデスクの横の小さい冷蔵庫から小瓶を取り出した。

 見たことのないラベルだった。

「栄養ドリンクだ。飲んでおけ」

「良いんですか?」

「試供品だからタダだよ。学校に卸せれば結構な顧客になるからな。よく来るんだよ」

 とのことなので遠慮なくいただいた。

 そしてカーテンで区切られたベッドで眠らせてもらった。

 あぁ、落ち着く。

 静かな環境と清潔なシーツの匂いがなんだか心地よい。

 混乱と緊張で強張っていた心と体がほぐされて、悩みが遠くへと―――――


「ってぇ!メールのこと聞きわすっれたあ”あ”あ”あ”あ”ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 これだからオタクってやつは!

「ぅお!君大丈夫か?救急車呼ぼうか?」

「結構です!」

 頭を振りながら叫び出したので変に心配されてしまった。

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