第2話 フラグを回避したということはすなわち想定外のルートに入っていることである。

「よぉ、お前地味な顔して漢らしいこと言ってるじゃなぇか」

 息が掛かりそうな、というか思いっきり息がかかってる至近距離から凄んでくるのは稲葉の取り巻きで何時も右側に居る赤みがかったショートヘアーの女子。

 つか、俺も地味なりに男なわけで背が低い訳ではないのだが。席に座っているのと相手が女子にしては背が高いことから、俺が覆いかぶさられるようになっているので威圧感が強い。

 しかし、女のこの息ってイイ匂いがするんだなぁ。歯磨き粉の香りかな?でもイチゴ味だとギャップで可愛く見えちゃうんですけど。

「その漢らしさを見込んでいっちょアタシと手合わせしないか?」

 すみません。俺にはそんな地味に見えて武術の達人とかいうギャップはありません。ですからそんな風に拳をぶつけて威嚇しないでください。空手でもやっているんですか?バキガールですか?

「阿美さん汚いですよ」

「あぁ、アタシが下品だってのかい。良運」

 阿美と言われたバキガールに対して輝咲の左側を陣取るのは眼鏡をかけた典型的な文系女子だった。

 良運と呼ばれた彼女は黒髪おかっぱの視線の鋭い女の子で今は眉をしかめながら吐き気を怺えるように口元にハンカチを当てていた。

「いえいえ、そこの汚物に触れるなど汚いということです」

「なるほど」

 ですよね~。

 見事なまでの毒舌見下しですね。ゲームやマンガによくあるけどリアルにもこんなイベントあるんだ。

 俺、こういうキャラ嫌い。

 けど分かってます、悪いのは俺ですよね。

「それで輝咲さま」

 稲葉ってさま付けで呼ばれてるんだ。いよいよらしいな。

「この汚物はどのように消毒しましょうか?」

 おい眼鏡、お前は世紀末からでも来たのか?

 問われた稲葉は俺が振り返ったときから終始ニコニコと笑顔を浮かべていた。

 ラブコメマンガみたいに背後に般若の顔が浮かぶ様なものではなく、まごうことなきアイドルらしい慈愛に満ちたアルカイックスマイル。薬師如来の如き偶像アイドルだった。

「すみません、わたしは貴方の名前を知らないのですけど」

 まあ眼中になさそうだもんな。

「出川哲朗です」

「サラリと嘘ついてんじゃねぇよ!」

「……っち」

 俺を見捨てた薄情な友人がさっさとバラしてんじゃねぇよ。

「じゃぁ狩野英孝で」

「まだ嘘をつきますか」

 眼鏡の視線がさらに鋭くなる、バキガールもガンが強くなる。

「いや半分は本当、本名は狩野安土って言うんだ。これマジ」

「なるほど、では芸人らしくその減らず口をアツアツのおでんで塞いであげましょうか?」

「今からおでんを用意するのは大変だろ?ダチョウネタならキスで塞いでくれよ」

 そう言って唇を突き出すと眼鏡もバキガールもドン引きしてくれた。

「ぷっ、ふふふふふ」

 勝った、と思ったら肝心の稲葉にウケて笑いが取れた。さっきまでの澄ました笑みではなく女の子らしいな無邪気な笑顔だった。

 これはアイドルの素顔を暴いた瞬間ということか。そう思っていると稲葉は真面目な顔で、しかし良い笑顔も残したまま俺に告げた。

「狩野君は地味ですし根暗で存在感のない、もとい人畜無害なモブキャラだと思っていましたのに」

 まぁ名前も把握していなかったしそういう認識だと思ったよ。けどそんな良い笑顔で言われると辛いものがある。

「まさかそのような卑俗なことをなさるなんて……惚れてしまいましたわ♡」

「……はぁ?」

「……マジで?」

「んなぁ」

「噓ぉ」

「———————————ぉ」

 稲葉の口から出た予想外の言葉で俺達の開いた口が閉じず言葉がうまく出てこない。眼鏡は逆に開いた口から魂が出ていた。

「あぁわたしを調教してメス堕ちさせてしまおうだなんて、それはわたしの飼い主になってくださるという事ですよね♡」

 稲葉は推しのアイドルにときめく乙女の様に両頬を挟みながら悶えている。

「ご主人様、わたしは犬ですか?ブタになった方がいいですか?それとも……おんニャのこ?」

 可愛らしく首を傾げて何を聞いてんだ。

 驚いた?私だけ?みんな驚いているんダダダダダ!

 ヤバイ、頭がバグり始めてる。ここは気持ちをはっきりと。

「ペットを飼うつもりはない」

「そんな!」

 稲葉はショックを受けたみたいな顔をした。

 ……みたいなだけですぐに恍惚としていたので喜んでやがる。

「釣った魚にエサを与えないなんてなんて鬼畜、イイですわ」

 俺に飼われなくて喜んでるんじゃなくって塩対応に悦んでいる。発音は同じでもニュアンスがだいぶ違う。

 稲葉、学園のアイドルとはいえその本性は―――なんて冗談だったのに。

「お前のソレ……変態ってやつだぞ」

「如何にも‼」

 うっわぁ、笑顔が眩しい。

 優等生みたいだったけどどうやら防御力が抜きんでているタイプだったみたいだ。

「悪いがウチはアパートで1人暮らしだからペットは禁止ってこと、他を当たってくれ」

「分かりましたわ」

 おっ、意外と素直に引いてくれたな。

 シュンとした稲葉にちょっと申し訳なく思ったがそれも一瞬だった。

「それでは彼女からよろしくお願いします」

 何でそこで気軽に「お友達から」的ノリで彼女になるんだよ。ポジティブ過ぎんだろ。これが陽キャか!

「そしてゆくゆくはマイホームを建てた暁には晴れてペットに」

「勝手に将来設計するな!しかも終点が――――


 ムチュゥ!


「……ぅんん?」

 いきなり稲葉にキスされた。首に腕を回してガッチリホールドされたうえでだ。

「んんんんんん!」

 いきなりのことで混乱したが稲葉を振りほどくことが出来た。

 危うく舌を挿入れられるところだった。

「ふふふ」

 稲葉を振りほどいた時に椅子から落ちて床に転がった俺を見下ろしながら稲葉は微笑んでいた。それが可愛いのが複雑な気分だ。

「……ぅう、初めてだったのに」

 女々しく泣きだしそうになった俺だがそこで堪えた。てかなんだコレ?立場が入れ替わっているというかむしろ最初から状況がおかしすぎるような。

「てか何でいきなりキスなんてするんだ!」

「だって狩野君が口をふさぐならキスで塞いでほしいって言っていたから」

 どうやら俺が言った冗談を回収したようだ。

 この時俺は大切な教訓を得た。不用意な発言をすると取り返しのつかないことになる。と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る