stage.26 ◆ 龍 胆 開 花 ―りんどうかいか―

「これが……あのヴルゥム?」


 スカイは、細長い首をこきこきと回す黒蛇に全神経を集中させる。額に浮かんだ汗が顎を伝って雫となった瞬間、ヴルゥムは視界から姿を消した。


「どこに――」


 目の端に黒い尾がチラついた次の瞬間、少女の視界が渦を巻く。スカイは、真横に現れた黒蛇がノーモーションで振るった腕に吹き飛ばされ、既に大破していた機器に突っ込み中身をぶちまけさせた。思考する余裕させ与えられず、スカイはスクラップの海に沈む。


「はぁっ……はあっ……なに……が……」


「ふん、この程度か……まだ、ほど遠いな」


 機械の死骸の上で少女が息を切らしていると、いつの間にかヴルゥムが眼前に立っていた。真っ黒な瞳で見下ろす蛇は、徐に腕を伸ばし、白く細い首を鷲掴みにして持ち上げる。


「あっあっ……あぁっ……」


 スカイは涙を浮かべ腕をひっかき足をばたつかせるが、ヴルゥムは微塵も意に介せず、つま先から舐めあげるように少女の体を眺めていた。


「っ……っっ!!」


 鬱血うっけつして赤黒く歪んでいく少女の顔をしげしげと見つめていたヴルゥムは、突然手を開く。スカイは鱗に覆われた怪人の足元に崩れ落ち、喉元を抑えた。


「かはっ……げほっげほ……あなた……なにがしたいの?」


「貴様にはまだ利用価値がある。それだけのことだ」


 ヴルゥムは冷淡に吐き捨てると踵を返して、歩いていく。脇目も振らず過ぎ去る背中をスカイは床を引っ掻き睨みつけた。


「そうやって……あなたは他の人も利用したっていうの!?」


「無論だ……ここには正の感情が腐るほど集まる。うってつけの実験場だった。だが、もう利用価値はない。この下品な娘と同じようにな」


「なにを……はっ!? やめろ!!」


 浅い呼吸を繰り返すだけのソレイユへ、ヴルゥムがにじり寄る。また一歩み出された節くれだった脚に反応するように、ぼろぼろの鎧が淡く光りソレイユから飛び出した。角が折れ、痛々しい姿に変わり果てた鉄サイは主人を守るために、暴君に立ちはだかる。しかし……


「どけ」


 ぞんざいに繰り出された腕の横なぎで、バラバラに砕け散った。レーヴェの攻撃から少女を守り抜いた装甲は、儚げな光となって消えていく。ヴルゥムは、レオタードスーツ一枚になったソレイユを見下ろし、酷く瞳を歪ませた。


「無様で無価値で無意味なゴミくずが……」


 ヴルゥムは無造作に腕を振り上げる。少女の命を摘まんとする爪を睨むつける青空と、ティアリングの蛇の瞳が青く激しく燃え上がった。


――動け、あのときと同じ……違う! 昨日の感覚を……力を絞って集中しろ!


 スカイは床を拳で叩きつけ立ち上がり、指輪から流れる冷たいエネルギーを下半身だけに流し込む。両足のブーツにネガティヴィウムが満ちて青い光を洩らした。


「交わることしか頭にない下劣な生物が……せめて」


 ヴルゥムの突き立てた爪がソレイユの心臓に振り下ろされる。その瞬間、瞳は光に溢れ、スカイは時が止まったような錯覚を覚えた。


――絶対に守る!!


 決意と共に少女の体は爆発的な瞬発力で、黒い背中を目掛け飛び上がる。自壊覚悟の青蛇点睛を改良し、局所的かつ高出力の肉体強化へと昇華させた真の必殺技!!





「させるかぁぁぁぁああああああ!!!!」


 スカイは一瞬でヴルゥムの前に滑り込み、振り下ろされた腕を殴り飛ばした。自分に匹敵するほどの速度に、黒い瞳が僅かに揺らぐ。


「ほう、いいぞ!!」


「うるさぁぁぁあいっ!!」


 目を細める蛇の顔面に、間髪入れずに二発目の拳を繰り出すスカイ。だが、ヴルゥムは少し首をのけ反らすだけでかわした。


「まだまだぁぁあああ!!!!」


 ワンツー、左フック、ボディブロー、スカイの拳は悉く、最小限の動きで躱されていく。


「な、なんでっ!?」


「貴様の戦い方は、亞獣の目を通して既に見ている。すばしっこいだけの攻撃が当たるわけがないだろう」


「くそ! くそ! くそぉおおおおお!!!!」


 目にも止まらぬ速さで繰り出されるラッシュを繰り出すスカイと、その全てを捌いていくヴルゥム。超常の攻防に、闇の中から昏睡した人間を抱えてレーヴェが姿を現した。


「ボス、ジブンもお手伝いし~ましょ~うカ?」


「必要ない。直に終わる」


「な、なにを……あがっ!?」


 アッパーカットを繰り出したスカイの足に、突然激痛が走る。がくがくと震える少女に背を向けてヴルゥムは歩き出した。


「まだ、不完全のようだな……もういい」


「ま……まだ、まだぁ!!」


 それでもなお、歯を食いしばり痛みを堪えて少女は飛び掛かる!


「やめておけ」


 ヴルゥムが無気力に呟いた瞬間、地下室に乾いた音が二発響く。


「へ……?」


 スカイは後ろに崩れ落ち、両足のブーツに穴が空いていることに気付いた。


「あああああああああああああああああああああ!??!???!??!!!!」


 床をのたうち回る少女を、黒いローブを纏った瞳が見下ろす。袖から覗く骨と血肉で作ったようなグロテスクな銃口が硝煙を立ち上らせていた。


「ご、ごめんなさい……これも、安心のためなんです」


「あっは~、いたそ~で~すネ?」


「殺すなよ?」


「だ、大丈夫……です。急所は、外しました」


ちかちかと明滅する目を凝らして、スカイは世間話のように人の命を語る化け物たちを睨む。嫌悪と恐怖に顔を引きつらせる少女の背後から、快活で重低音な声が近づいてきた。


「だいじょ~ぶヨ~! ルデンちゃんの射撃は正確だかラ」


「バルバロ……赤いのはどうした?」


「飽きたから、帰ってきちゃっタ♡」


「アナタはいつ~も勝手で~すネ」


「まあいい……実験は上々だ。引き上げるぞ」


「承知し~まし~タっ!」

「了解……です」

「おっケ~」


 暗闇に消えていく足音に、スカイは激痛に顔を歪めながらも手を伸ばす。指に嵌められた指輪は青く点滅していた。


「はぁ……はぁっ、まて……」


 少女の声は空しく響き、ただ漆黒の闇だけが広がる。伸ばした腕は力なく倒れた。敵は逃げ、自分は地に伏している。完全なる敗北だった。


「ソレイユ……」


 もはや、彼女にできるのは友人の無事を祈ることだけ。スカイは必死で這いずり、仰向けで虚ろな瞳を彷徨わせる少女の顔を覗き込んだ。


「ソレ……イユ…………ヒマっ」


「あ……お……ちん?」


「ぁっ!!??」


 頬を撫でると、向日葵の瞳は薄っすらと光を灯し、青空を見て微笑む。


「よかった……よかった……」


 青空は向日葵の胸に顔を埋めて、ただ涙を流した。抱き合う少女たちに、慌ただしい足音が近づいてくる。


「なんだここぅ……? 感覚の共有ができない?」

「スカイ!! バルバロがこっちに……え??」


 駆け付けたトワは、惨たらしく転がる二人を見て足を止めた。装甲の隙間から顔を出したリンドゥも飛び出して青空の顔を覗き込む。


「よかった……息はしてるよぉ……トワ、運べるかいぃ?」


「う、うん! も~、こんなときにあのアラサー軍曹は~」


 二人に駆け寄るトワの肩を暗闇から伸びた腕が力強く掴んだ。


「呼んだか? クソガキ?」


「ひゃ!? きゅ、きゅうにでてこないでくださ~い!」


「バジル~、どこいってたんだ~いぃ?」


「奴らを追いかけていたんだが、見失った。すまない……」


「そんなのいいから、軍曹も運んで!」


「了解した……酷い傷だな」


 ソレイユを横抱きにしたバジルは堪らず顔を背ける。


「ごめん……なさいっ……守れなかった……」

 

 トワに抱きかかえられた青空は、小さな体にしがみついた。


「アオさん……もう大丈夫ですから」


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 青空は自分より幼い少女の胸に顔を押し付け、涙を滲ませる。うわごとのように謝罪の言葉を繰り返す恩人を、トワは泣き止むまで優しく撫で続けた。



♡ ♥ ♡ ♥



 今回、新設アミューズメント施設『プロミネンスランド』で起きた亞獣の同時多発的発生は、対亞獣特殊部隊SADの迅速な介入により、死傷者0名で鎮圧された。だが、建物の損壊は酷くランドは無期限の休業を決定する。亞獣被害で行方不明となっていた人々も誰一人として救出は叶わなかった。


 存在が世間に知られてから僅か数日で、多大な被害を齎した亞獣。戦争終結以来の緊急事態に、政府は本腰を入れて対策に乗り出すのだった。


 

 そして……


 人と亞獣、異なる者にくみする白と黒の蛇。彼らは奇しくも同じ台詞を吐くのだった。


「あと一人……あと一人だ」

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