stage.23「おかーさん! かべどん! 女の子なのに!!」

「こんの蛆虫どもがぁぁ!! 誰が休んでいいと言ったぁああ!!??」


「ひ、ひいいっ!!」


 青空は地平線が見渡せる広大な訓練基地で、罵倒を浴びながら地べたを這いずっていた。隣では妙にイキイキした表情の向日葵が匍匐ほふく前進に励んでいる。


「どうアオちん? ジキル軍曹のバーチャルブートキャンプ!」


「もうむり~!! あ゛っ、あし……つったぁ」


 目をバッテンにして伸びてしまった青空を見て、頬を膨らませた茜が向日葵を睨みつけた。


「これ本当に人気なんですか~??」


「いやいや、白銀女学園うちのガッコでめっちゃ流行ってんよ!? ちょー! ダイエットになるって☆」


「貴様ら、ペチャクチャと楽しそうだな……?」


 乳繰り合う二人の背後で、軍服のキャラクターが腕を組み冷酷に見下ろす。彼女はジキル・フリート・ハイドリッヒ、登録者1億人越えの人気バーチャルパフォーマーだ。


「す、すみません軍曹!」

「ごめんなさい……」


 軍帽を深く被った美しい瞳の威圧感に、茜はすっかり素で謝っていた。ジキルは、力尽きた青空と怯えて震える茜を交互に見やり、溜息をつく。


「ふん……貴様らはひよっこいちげんだったか…………無理するなよ」


 それだけ言うと、女軍曹はつかつかと前方で荒い息を洩らす参加者新兵に歩いていった。その凛とした背中に見入っている茜の頬を、向日葵がつつく。


「むふーっ、惚れっしょ?」


「べっつに~? そんなにちょろくないし~??」


「ほんとかな~、このたま~に見せるデレたまんなくない? ほら、見てみ?」


 向日葵が指差した先では、二人の新兵が今まさにしごきを受けて叫んでいた。片方の声には明らかに喜びの色が含まれている。


「こんの豚がぁ!! 出荷されたくなければキリキリ動けぇ!!」


「は、はひぃぃ!! ありがとうございましゅぅぅ~!!」


「は、はい! がんばります軍曹!」


 その光景に、茜は軽蔑のまなざしを隠そうともせずに呟いた。


「うっわ~、きっも~♡」


「あかねちゃん、ダメだよ」


「よーし、今日の訓練はここまでだ! さっさと帰ってママにミルクを飲ませてもらえ!!」


 青空に窘められていると、腕を組んだジキルの罵倒を最後に視界が暗転する。


『お疲れ様でした。お忘れものにご注意ください。お足元が……』


 機械音声によってにわかに現実に引き戻された茜はゴーグルを外して円形のハッチから顔を出した。隣のマシンから出てきた向日葵は目が合うと得意げにウインクを繰り出す。


「あか様、楽しかった?」


「その呼び方やめてくださ~い」


 茜は軽やかに跳び降り、そっぽを向いた。だが、すまし顔から興奮が隠しきれていない。彼女たちは今、新設されたばかりの複合型アミューズメント施設『プロミネンスランド』のフルダイブ型VR体験ゾーンにいるからだ。


「なんで~? かわいーじゃん☆ 『赤ちゃん』みたいで」


「だからいやなの!」


 笑顔としかめっ面を付き合わせる二人だったが、隣のダイブマシンのハッチが開くと、息ぴったりの動きで振り返る。


「ん~! けっこう汗かいちゃった」


 青空が伸びをしながらマシンから出てきて、向日葵は両手を羽ばたかせるような仕草で駆け寄った。

 

「アオちんアオちん! 楽しかったよね!?」


「うん、ちょっと怖かったけど」


「茜は~もっと楽しいとこいきた~い」


 苦笑する青空の手を握りしめ、向日葵は足をぶらぶらさせている茜に振り返る。


「じゃ、次はゲーセン行こ☆」


 三人の少女は姉妹のように手をつないで、アーケード筐体が並ぶ店内を歩いていた。日曜の昼間だけあって大勢の家族やカップルが思い思いのひとときを過ごしている。一方で、茜は相変わらずのふくれっ面だった。


「あっ!」


 だが、出口付近に設置されたぬいぐるみがひしめくクレーンゲームに目を輝かせる。牡蠣の身を模した白い体から手足が生えたなんとも珍妙なルックスに少女の目は釘付けになった。


「『かきぼーや』じゃん、あか様好きなん?」


「べ、べつに~?」


「うん、欲しいみたい」


「アオさん!!」


 青空に温和な笑みで看破され、茜は頬を真っ赤っかにして抗議する。その様子に向日葵は意気揚々とクレーンゲームへ走っていった。


「よし、とったげる! あーし得意なんだ~☆」


「い、いいってば」


「いこ? あかねちゃん」


 青空が渋る茜の手を引いて、歩いてくる。


「さーて、どの子がとりやすいかなぁ……」


 そのとき、向日葵はかきぼーやの黒い頭頂部の向こうに見覚えのある男女を見つけた。隣接するフードコートに大地とヘレナが座っていたのである。


――げっ! あんなの見たらまたアオちんが……


「わー、このぬいぐるみよくできてるね~」


 青空の声がすぐ背後に迫り、向日葵は獣の如き眼光で振り返った。


「アオちん、すきすき~! ずっとも~☆」


 両手を大きく広げて囲炉裏から飛び出す栗のように飛び掛かる。青空の視界は向日葵の胸で覆われて真っ暗になった。


「わわ! 急にどうしたのヒマ!?」


「あー!! アオさんになにするんですか~!!」


「ちょっ、あぶなっ」


 青空を引き離すために茜もしがみつき、バランスが崩れる。向日葵はくるっと舞踏のように回り、ガラスに青空を押し付けてしまった。息がかかるほどの距離で二人の少女の視線が重なる。


「ひま……?」


 青空はパチパチと瞬き睫毛を揺らしたり、目を泳がせたり、困惑を全身で表現した。


――うわー! あーし、なんてことを……でもこれでアオちんから二人は見えないっしょ!?


「ほんとに、なにしてくれてるんですかぁ……」


 呻き声に視線を落とすと、押し合う青空と向日葵の胸から赤い髪がはみ出している。四方向から顔を押しつぶされた茜は、怒り悲しみ羞恥で真っ赤になった。


「あ、ごめんね! いまどけるから――」


「アオちん、動かないで」


「は、はい!?」


 向日葵は咄嗟に青空の顔の両脇に手をついて動きを封じる。大胆に繰り広げられる少女漫画のような光景は、にわかに店内の視線を集めた。さらには、照明がパチパチと明滅して妙な雰囲気を醸し出す。


「おかーさん! かべどん! 女の子なのに!!」

「ふふっ、多様性よ~」

「このプレッシャーは……百合!?」


――ごめん、アオちん! 見られるわけにはいかないから!


「ね、ねえ、見られてる! 見られてる!!」


 ざわめきは徐々に大きくなり、青空の頬が熱を帯びていった。三人がそれぞれ傷を負う喜劇という名の悲劇である。だが、危機はまだ終わらなかった。


「騒がしいな……まさか、もう?」

「ワタクシ、見てきますわ!」


――やば!? こっちくる!?


 向日葵は、テーブルに手をついて立ち上がったヘレナを見て青ざめる。高鳴る鼓動に呼応するように照明が再び明滅した。じっとりと纏わりつくような気配に青空のカバンの中で眠っていたリンドゥがまなこを開く。


――みんな、亞獣だ!!


 白蛇の啓示に三人が顔を見合わせる間もなく、爆発音と悲鳴が屋内に轟いた。間髪いれず煙の中から複数体の亞獣が飛び出し人々を恐怖のどん底に陥れる。


「な、なんなんこれ!?」


「亞獣が、こんなに……」


「とにかく変身を!」


――待って! ここじゃあ人が多すぎる!


「でも! 助けなきゃ!!」


 少女たちは指輪を握りしめ、もどかしさで唇を噛んだ。そのときバルコニーのガラス戸が開き、事態はさらに変転する!


「突入!!」


 掛け声とともに、黒い戦闘服の男たちがなだれ込んだ。銃を構えた謎の機動隊は、人々を庇うように陣形を組む。中央に立つスキンヘッドの大男は、額に血管を浮き上がらせると亞獣顔負けの咆哮を上げた。


「SAD第一部隊、これより作戦を開始する! 死ぬなよぉ!!」 

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