stage.19「あーしは……ティアソレイユ☆ よろ~☆」

 丸っとした亞獣は短い腕で一生懸命バーベルを上げ下げしている。その仕草は愛くるしく、道行くカップルが次々に足を止め店の前に人だかりができている。


――まずいな……。


――どこが……全然平気そうだよ?


「ふっ……ふっ……」


「かわよ、なんのキャラ?」

「筋トレしてる……猫か……?」

「負荷かけれてえらいね~」


 なんとも気の抜けるルックスに、青空は眉をひそめる。立ち尽くしていると、向日葵がスマホのカメラを構えて隣にやってきた。


「アオちん、あーいうの好きなんだ? けど飛び出すのはあぶねっしょ?」


「いや、そうじゃなくて……」


「照れるなし~」


 にっと歯を見せてウィンクする向日葵に、青空は苦笑いを浮かべる。二人の間に緩くほっこりとした空気が生成されるが、海岸に切迫した声が響いて青空の顔が瞬時に硬直した。


「そいつから離れろ!!」

「見た目に騙されてはいけませんわ!!」


 自ら車輪をガラガラ回して店内から現れた大地に続いて、胸を揺らしてヘレナが飛び出す。


「ニュースで見ただろ!? こいつもあの怪物と同じだ!!」

「みなさん、早く避難を!!」


 二人はカップルたちに呼びかけるが、馬の耳に念仏だった。ほとんどは撮影に夢中であり、聞いた者も事態を飲み込めず首を傾げるばかり。ただし、ただ一人。青空の心にはしかと響き、目元を引き締めるに至った。


「そう、だよね。あれでも亞獣……暴れる前に!」


 青空はカバンに右腕を突っ込み、円環の蛇をかたどった指輪を掴む。左手を胸の前に掲げて、取り出したティアリングを薬指に嵌めようとするが……


「だめだよぅ~!!」

「え!?」


 カバンから飛び出したリンドゥがパクりと右手を飲み込んだ。


――まだ20時間経っていない! ただでさえキミは無茶をしてるんだ、次はどうなるか!


「でも……」


――でもじゃない! あの痛みを忘れたのか!?


 艶やかな白蛇の瞳に睨まれて、全身に激痛の記憶が蘇る。青空の瞳は、必死に人々を逃がそうとする二人と、自分の指とを彷徨った。


「じゃ、じゃあ……トワちゃんとかバジルさんは」


――キミと同じでまだ変身できないし、今回はキミたちが戦う必要はない。


「なにそれ……」


「あ、アオちん……?」


 微かに震える声にいざなわれて顔を横に向けると、口を半開きにした向日葵が大きく開いた目を瞬かせている。


「ヒマ!? こ、これは……」


――青空、見ろ! 亞獣の様子がおかしい!


「今度はなに!!??」


 押し寄せる情報の波に逆らうように青空が対岸に目を向けると、ふわふわの亞獣は動きを止めて、顔を抑えていた。否、顔の皮膚をぐしゃぐしゃに握りしめている。そして、腕を勢いよく引っ張り、そのまま自分の頭部を引きちぎるのだった!


「なっ!?」


 まさに着ぐるみのように剝ぎ取られた頭は、ごとりと地面に転がる。丸っこい胴体からは、猫と人が混ざったような新しい顔が生え、カップルたちの顔は青ざめていた。


「まっっそぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 もこもこの体を服でも破るように引き裂き、筋肉質な腕が飛び出しバーベルを片手で天に掲げる。丸太の様な健脚でコンクリートを踏みしめると、砂地のようにへこんで、ひびが入った。3m近く聳える体躯を見上げて、カップルがうわごとのように呟く。


「なんか……いかつくて」

「ムキムキになった……?」


 猫の目がのっそりとカップルを見下ろし、バーベルを棍棒のように振り下ろした。無慈悲の一撃が脳天に迫る。


「させるかぁぁ!!!!」


 だが、大地は咄嗟に車椅子から飛び出してカップルを突き飛ばし、すんでのところで助けるのだった。彼らの足元の地面は深く抉れている。亞獣は、忌々しそうに大地を睨みつけると、突き刺さったバーベルを引き抜こうと全身の筋肉を震わせた。


「いやあああああああ!!!!」

「にげろおおお!!!!」


 先ほどまで能天気だったカップルも、目の前で起こっている惨状を理解し、街道は途端にパニックに陥った。逃げ惑う人々、そして亞獣の前に倒れる大地の姿に、青空は覚悟を決める。


「リンドゥ離して! わたし行かなきゃ!」


 青空は喰らいついた白蛇の胴を鷲掴みにすると、目一杯引っ張った。


――だめだ! これ以上キミに無理はさせない!


 意地でも食い下がるリンドゥを青空は歯をむき出しにして睨みつける。


「お願い!! みんなを助けなくちゃいけないのぉ!!!!」


 血走った瞳に涙を湛えて叫ぶ少女の肩に、そっと手が置かれた。


「じゃ、あーしがやったげる」


 青空の潤んだ瞳を、はにかんだ向日葵が見つめている。同時に、リンドゥの腹部が黄色い光を放ち始めた。


――やっぱり、適格者だったか。


「え……え?」


 自分の手から口を離して向日葵の眼前をはばたくリンドゥを、青空は戸惑いに震える目で追いかける。


「で、どうすりゃいいん?」


「手をだしてぇ~」


 小首を傾げて差し出された向日葵の手のひらに、白蛇の口からころんと指輪が転がった。


「それを嵌めればぁ~、アイゼツティアになれるよぅ~」


「なるなる~、りょ☆」


 ぱしんと指輪を握ってあっけらかんと笑うギャルを、青空は呆然と見つめる。


「ねえ……どうなるか本当にわかってるの?」


「わかってるって~☆」


 いかにも軽そうな笑みを浮かべる向日葵は、そっと青空の目元を拭うと対岸を指差した。道路の向こうでは筋肉ダルマの亞獣がバーベルを引き抜き、今まさに振り下ろさんとしている。


「だ、だいち……!!」

「あの人が、アオちんの大事な人ってことはさ!!」


 パチンとウィンクをすると、向日葵は薬指にティアリングを装着して駆け出した。夕暮れの海を背負って黄色の光が疾走する。


「トモダチのは守んなきゃぁっしょぉお!!」


「まそぉ!?」


 太陽のように輝くシルエットが滑り込み、大地に向かって下された鉄槌を受け止めた。光が弾け、肩から雄々しく角が伸びた分厚い装甲に全身を包んだ姿が露わになる。


「っぶな~!? だいじょ~ぶ??」


 バーベルを軽々と弾き飛ばして、右側だけ垂れた前髪を翻し少女はにこやかに振り返った。大地は、自分を救った四人目の戦姫を見つめる。


「き、きみは……?」


「あーし?」


 少女は数秒考えた末、無骨な鎧に包まれた両手でピースをつくり、モデルのようなポーズを取った。


「あーしは……ティアソレイユ☆ よろ~☆」

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